第二章 心乱れ -2-
ハッと、真っ暗な部屋の天井が視界に入る。荒れ狂う鼓動の音が落ち着くにつれて、カチカチと響く秒針の音が聞こえてくる。
あの言い知れぬ恐怖をたたえた目も、ぞっとするほど完成された漆黒の剣も何もない。灰色のスタジアムですらなく、見渡せば殺風景な机とタンスが目に入る。飽くほどに見慣れた自室だった。
夢を見ていたのだと、ぼやけた思考が冴えると共にようやく理解する。荒い呼吸をどうにか整えるように、粘ついた唾を飲み込む。
「……、」
少しは慣れたはずだった。時が経ち、少しずつ、あの愚かな失態の情景は薄らいでいったと思った。――けれど、それは錯覚だ。
昨日の岩石の魔獣との戦闘で晒した無様が呼び水になって、あの光景を鮮明に思い出させる。
もう上崎にはまともなオルタアーツなど使えない。その無力感を突きつけるには、昨日の一戦は十分すぎた。
入学前ですら単騎で仕留められた等級を相手に、時間を稼ぐことで精一杯。それすら六花の力を借りなければままならなかった。それが今の上崎の実力だ。
駆けつけた篠原は、ただの一撃で仕留めたというのに。
「……っ」
プロの魔術師の中でもトップクラスの彼と、落第寸前の自分を比較したところで意味はない。そんなことは上崎が一番理解している。それでも、どうしても考えてしまうのだ。
いつかそこに並び立つはずだった。
京香と篠原と同じように、上崎にもまた優れた魔術師の才能があって、同じようにあれると思っていた。
それがただの幻でしかないと認められるほど、まだ、大人になれてはいなかった。
「今は、こんなことしてる場合じゃないよな。六花を守んないと」
言い聞かせるように呟いて、上崎はベッドから降りて灯りをつける。照らされた目覚まし時計はまだ午前六時。セットしたアラームまでは二時間ほどある。
「って言っても、そもそもあの子の連絡先も知らないんだけど」
一人きりの部屋でそんな風に呟くのは、そうでもしなければ、あの夢に見た光景に、見苦しい嫉妬と焦燥感に、心の内を占領されてしまうから。
そんな自覚を持ちながら、それでも、その事実から目を背けるように、何度か深呼吸を繰り返す。
「とにかく、彼女に何かあったときに少しでも動けるようになっておきたい。一朝一夕で今のスランプから抜け出せる、なんて風には思わないけど。何もしないよりはマシだ」
――出来る範囲でいい。お前が彼女を守るんだ。
その篠原の言葉は、ある意味で上崎の支えだった。もう自身を見限ろうとしていた上崎にとって、その信頼の言葉は唯一の希望で、それだけは、違えてはいけないと思えた。
それでも。
本当は、そんな信頼に応えられる実力なんてとうの昔に失っていたかもしれないけれど。
「――ッ」
募り続ける焦燥と劣等感を払拭するように頭を振って、上崎はもう一度大仰に深呼吸を繰り返す。
出来たことに思いを馳せても仕方がない。
出来ないことを指折り数える意味もない。
まずは出来ることを一歩ずつ。その積み重ねの先で、いつか、上崎が思い描いた魔術師に――京香や篠原のようなその姿に、追いつくことが出来るはずだと信じて。