第二章 心乱れ -1-
――校内順位戦と呼ばれる行事がある。
上崎たちの通う東霞高校で毎年九月に開催されるイベントで、オルタアーツを使用した模擬戦闘を行い、学年の垣根なくトーナメント形式で競い合うというものだ。
二週間かけて開催される上に、全校生徒が男女別、男女混合など様々に分かれてエントリーするため、合計試合数が数百は下らない一大イベントとなっている。それはオルタアーツに関する周知も兼ねていて、一般向けに観戦チケットも販売し広く中継もされるほど。そのため、東霞高校にはこの校内順位戦専用のスタジアムが建設されているのだ。
その、すり鉢状のスタジアムの底だった。
同時に進行すべくいくつもの石畳調のリングが併設されている内の一つ。優勝候補でもなく、どちらが勝者でも数試合後には負けが見えている、消化試合のようなもの。
その中で、上崎結城は荒い息を吐いていた。
「――くそ……っ」
肩で息をしているのに、酸素が身体を巡っていく気配を感じない。酸欠で頭がろくに回っていないから、思うようにならない自分の身体へ無性に苛立ちを覚えてしまう。
右手に握りしめた黒い剣は無惨なものだ。
かつて闇より深く透き通るようだった黒曜石の刃は、今では使い古した墨汁のような色をしていた。とくに性能に影響しないと知りながらも、ナックルガードや柄尻までデザインにこだわっていたが、もはやただの棒きれのような有り様だ。
この程度のジェネレートの生成にさえ、いまの上崎は全神経を集中しなければいけない。そうなれば戦闘に意識も割けず、あっという間に追い詰められてしまう。
「なぁ、棄権しろよ」
目の前の相手はうんざりしたように言って、大剣を肩に担ぐ。実力差は既に歴然。対戦相手からすれば、ここで足掻かれたところで互いに得るものなどないと判断するのは当然だ。
「……まだ、やれる」
それが醜悪で意地の汚い強がりであることなど、上崎自身が一番理解している。だから、苛立ったようなため息を相手がこぼすことに今さら思うところなどない。
「……怪我しても文句言うなよ」
相手は大剣を振りかぶるように構える。その周囲に、風のようなエネルギーの奔流が巻き起こる。
ただの風ではない。オルタアーツの能力として生成された、鋭利さを有したエネルギーだ。振り抜かれれば、そのエネルギーに触れた箇所は切り裂かれるか――あるいは、切断もあり得る。
引き際を見誤ったと笑われるだろうか。
それでも、上崎結城はまだ己の劣化も敗北も認めることは出来なくて。
「やってやるよ……っ」
黒くみすぼらしい剣を構えて上崎は吠える。
そして大剣からエネルギーが解き放たれる、瞬間。
視界の全てが遠ざかるような、何かに引きずられる感覚があった。まるで新幹線の窓に張り付いて線路を見つめるように、風景全てが引き延ばされていく。
カツン、と。
そんな金属音を聞いて、上崎ははっと我に返った。
既に対戦相手は大剣を振り抜き、エネルギーの奔流は消えている。だが、上崎自身には痛みも何もない。理屈は分からないが飛翔する斬撃を上崎は回避していたらしい。
そして、何よりも、眼前だった。
漆黒の剣があった。
闇より深い闇の色。薄く透き通るような黒曜石の刃を持った、全長一メートルの片刃直剣。刃からナックルガード、柄までが一体となった意匠のそれは、かつて上崎が思い描いていた理想の剣そのものであった。
その黒き剣が、薄いタイルに突き刺さっていた。
いつの間にか取りこぼしていたのか。あれほど酷く不格好なジェネレートしか出来なかったものが、こうも完成された形になぜ一瞬にして変化したのか。疑問が尽きることはないが、しかし、理屈など知ったことかと切り捨てる。
先ほどまでの棒きれなどもはやどこにもない。ただこれさえあれば。そう勝利を確信した上崎が手を伸ばし――……
すっ、と。
半透明だった自身の右手が、漆黒の柄をすり抜けた。
『……は?』
理解が出来ない。
意味が分からない。
ただ。
その透き通った漆黒の刃に反射する景色は、すり鉢状のスタジアムの観客席だけ。
そこに、上崎の肉体は何も映っていない。
「なに、やってんだ……っ」
対戦相手の声が聞こえる。
――名前も、顔も、何も思い出せないのに。
――その憐憫と侮蔑の込められた双眸だけは、今でも鮮明に覚えている。
「自分の核まで全部をジェネレートするだなんて、お前、死にたいのかよ!?」