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2/2 -落第魔術師が神殺しの魔剣になった件-  作者: 九条智樹
#1 アンコール・ディザスター

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第一章 桜舞うころ -9-


 砕きかねないほどの力で地面を蹴りつける六花の後ろを上崎は追随する。まるで一陣の風のように、上崎たちはモールを駆け抜けていく。

 そうしながらも、六花は冷静さを保ったまま上崎へと声をかけていた。


「――やっぱり、カテゴリー5のブラッドが関係しているんでしょうか」


「だったらこんなレベルじゃ済まないし、関係はないよ。さっきも言ったけど、あぁいう事件があったあとは悪い感情が流れて魔獣を呼び寄せる。歩き回っている間でも、ちらほら魔獣とかカテゴリー5とか噂話が飛び交ってるのは聞こえてたし、そういうことだろ」


 だがその『関係ない』の一言で上崎たちが素知らぬ顔をしていいわけではない。ここにいる上崎も六花も、見習いとはいえ魔術師なのだ。

 大勢の人で賑わう場所だ。一度狂乱に包まれれば、あっという間に飽和する。このままでは魔獣など関係なく押し寄せる人波で怪我人が出たっておかしくない。


「先輩、現場に着いたらどうしましょうか」


「避難誘導――って言いたいところなんだが、それよりまずは魔獣の隔離だろうな」


「それはそうだと思いますけど、どうやって中心地まで飛び込みますか? 出入口は逃げる人たちでぎゅうぎゅうで入れませんよ」


「遠かったから聞こえづらかったけど、悲鳴の前に破砕音があった。ってことは、壁か天井を突き破って魔獣が現れたんだろ。だったらそこから入ればいい」


 魔獣の体躯は、普段は『幽体化』と呼ばれる物理的干渉を受け付けない状態となっている。誰にも感知されず建屋をすり抜けて、魂を捕食する瞬間だけ姿を見せて獲物を狩るのだ。

 だが、今回の魔獣はモールの外で幽体化を解き、壁か天井を打ち破って暴れ始めた。魔獣が開けたその穴を辿れば中心地へは一息で行ける。

 六花を追い越すような形で上崎は雨樋や出窓、庇などを巧みに伝って軽々と天窓の枠まで駆け上った。一歩遅れて、六花の方もそれを追いかけてくる。

 見下ろせば、そこには天窓の残骸があった。その中央に案の定開いていた大穴から、中の様子は簡単にうかがい知ることができた。


 巨大な灰色の魔獣が獲物を探して唸っている。

 全長は三メートルほど。山羊のような角を持った髑髏の頭蓋、筋骨隆々の肉体で二足歩行、尾は鱗のようなものに覆われていて蠢く斬馬刀のようだった。こんなに悪魔らしい見た目をしている魔獣も珍しいが、問題はそこではない。

 その怪物の視線の先。

 幼い少年が、がたがたと震えながら座り込んでいた。

 あまりの恐怖で逃げることはおろか、泣き喚くことすらできなくなっているのだ。


「……すみません」


 一言だけの謝罪があった。何を、と聞くまでもない。小さく舌打ちする上崎が制するより先に、六花がその穴へ身を投げ出していた。

 迷っている時間などなかった。

 そのまま上崎自身も大穴へと飛び込む。瞬間、この南棟の広場を包むように薄青色の六面体の壁が生み出された。――上崎が展開した編纂結界だ。

 それと同時、爆発的な脚力で壁を蹴った六花は上崎が落下する間に既に怯える子供の前にいた。オルタアーツ。身体強化のフィジカルエンチャントだ。


「大丈夫? もう恐くないからね」


 後ろに山羊頭の魔獣を背負いながら、水凪六花は優しくあたたかな笑みをその少年に向ける。そんな無防備な彼女を、魔獣が捨て置くなどあり得ない。

 だが。


「――ジェネレート」


 魔獣がその鉤爪を振り上げるよりも僅か早く、まだ落下途中の上崎の手の中でオルタアーツが発動する。

 才能など微塵もなく、身体をそのままに生み出せるのはせいぜいが揺らめく棒状の何か。テレビの向こうで北条愛歌が見せた光や炎を操るような、およそ魔術らしいものは何一つ扱えず、こんな棒きれだけでは魔獣を討つことなど敵わない。だがいまは、それでも十分だった。

 頭上から振り降ろされた上崎の一閃は魔獣の脳髄を揺らし、そのヘイトを彼に向けさせた。

 生臭いような鼻息を至近距離で浴びながら、上崎は震えそうになる自分に鞭打ってそのまま山羊頭の魔獣と対峙する。


「先輩、無茶しないでください」


「それは十割俺の台詞だからな……」


 独断専行で飛び出した六花にため息をつきながらも、しかしそれのおかげで少年が助けられたのも事実だ。怒るに怒れず、上崎はただ剣とも呼べない棒を握り締める。


「六花は編纂結界の中にいる人たちを壁際に集めといてくれ。あとで結界を張り直して、その人たちだけ外に出す」


 編纂結界の出入りはできないが、しかし一度解除してしまうと魔獣に逃げられる恐れはある。だが、この結界はある特徴を持っている。

 それは、編纂結界がその領域を他の編纂結界と決して共有できないということだ。どれほど重なる領域が小さくとも、複数の編纂結界が交わるような形で展開される場合には先か後かに関係なく、常に体積の大きい方だけが残る。

 それを利用し編纂結界を張り直せば、魔獣だけを中に取り込んだまま結界の壁際に集めた民間人は避難させることができる。

 動ける人たちを結界に閉じ込めてはパニックになりかねないため、そう言った人たちを排するよう初めから座標を緻密にコントロールして結界を張っている。逆に言えば、中にいるのは恐怖で腰が抜けて動けなくなった人たちばかりだ。自力で動いてもらうことは諦めざるを得ず、誰かの手が必要な状態だ。


「……本当に、無茶しないでくださいね」


 その役目は上崎よりフィジカルエンチャントに傾倒している自分の方が向いていると、六花自身も納得してくれているのだろう。彼女はそれだけを言って、動けなかった少年を抱えたままオルタアーツで強化した脚力でその場を去った。


「まぁ確かに、問題は俺がこの山羊頭の相手ができるかってところだよな」


 ごくりと、思わず唾を呑み込んだ。

 その膨れ上がった肢体を見れば、その魔獣がカテゴリー1や2ではないことなど明白だ。知性はないようだからカテゴリー3止まりではあるだろうが、オルタアーツがまともに使えない上崎にとってはそれでもなお一撃で殺され得る相手だ。


「けど、少しは格好つけないとな」


 上崎結城は落第生だ。その事実は何をどうしたって変わらない。この場で誰かを救えると思い上がれるような力はなく、本来ならこうして立ち向かうなどあり得なかった。――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 けれど、水凪六花は上崎のことを英雄だと言い張ってくれている。彼が助けてくれることを信じて疑わず渦中に飛び込んだ。

 ならば、上崎結城はそれに応えなければいけない。


「――っ」


 山羊頭の魔獣の瞳が不気味に光る。それは敵意そのものだった。

 とっさに背後へ跳び退った上崎の足元へ、魔獣の屈強な拳が叩きつけられた。それだけでタイルの床は粉々に砕け散り、その下にあったコンクリートまでもが砂に変えられていた。

 上崎のオルタアーツは同年代の中ですら平均以下だ。武具生成のジェネレートが致命的ではあるが、それ以前に身体強化のフィジカルエンチャントも凡才の域を出ない。今の一撃を躱すので精いっぱい。攻勢に打って出る余裕などなかった。

 だが、そもそも反撃しようとしなければいくらか手は打てる。魔獣の拳や蹴り、尾による斬撃を紙一重で躱していく。躱した先に相手の攻撃が待ち構えていることのないように、相手の筋肉の動きそのものを見極めながら。

 フィジカルエンチャントのおかげで息は上がらない。ただ、一手でも誤れば即座に消滅させられるという恐怖故に、冷たい汗が止まらない。


「――っと、どうした……?」


 そんな中で、山羊頭の魔獣は動きを止めた。ぐるる、と唸り声を上げながら、何かを探すように視線だけを動かしている。

 そして。

 自らが生み出した、壁の一部か何かの巨大な瓦礫を掴み上げた。

 カテゴリー3に知性はない。だがそれは『人間と同じレベルの』という修飾語が欠けている。獣と同程度の思考力は有しているし、当然、状況を打破する為に大雑把ではあるが試行錯誤もするだろう。

 山羊頭の魔獣は上崎が動き回って邪魔だと感じた。だから、それでは避けられない規模の攻撃を繰り出す。至極真っ当な帰結だった。

 だが、その石片が上崎の身を襲うことはなかった。


「先輩!!」


 代わりに、綺麗に澄んだ声が響き渡る。

 その呼びかけは上崎の身を案じるもの、()()()()


 それは、合図だった。


 上崎はその場で動きもしない。ただ、目の前に迫った山羊頭を、真横からぶん殴る少女の姿があった。

 身長は倍以上、体重に至っては単位そのものが違うだろう、そんな体格差で。

 なおも山羊頭の魔獣は吹き飛ばされ、無様に砕けたタイルの上を転がった。身動きを封じるように瓦礫の山が崩れてその巨体を埋もれさせる。

 既に六花の合図に合わせて、編纂結界は僅かに形を変えていた。結界を張るタイミングではなく体積の大きい方が優先されるという特性を活かし、山羊頭の魔獣を取り込んだまま壁際に集められた一般人は無事に結界の外にいる。


「さすが六花」


「先輩ほどじゃありません」


 あまりの手際の良さに素直に感嘆の声を漏らす上崎に、六花は小さくほほえむ。


「……正直、ここまでやればプロに引き継げそうなものだけどな」


「待ってる余裕がありますか? この辺りは交通量が多いので駆けつけるのには時間がかかりますし、あのカテゴリー3、この前MaNA――北条先輩がテレビで倒していた犬の魔獣とはわけが違いますよ。逃げ惑うことも先輩じゃ厳しいでしょう?」


 そうだな、と上崎もうなずく。全てが全て当てはまるわけではないが、カテゴリー3の魔獣の強さはその体格に比例している。ここまで巨大化した魔獣に対して逃げるなどという後ろ向きの選択をしていれば、待っているのは破滅だけだ。


 ――そして、何より。

 きっとここで逃げ腰になることを、水凪六花は許さない。

 ならばもう腹は決まっている。


「……俺の魂、お前に預ける」


「任されました」


 言葉はそれで十分だった。

 上崎は息を吸い、意識を集中する。

 瞬間、彼の全身を光が包んだ。

 まるで解けるように、あるいは、撚り合わせるように、上崎の身体は形を失い、やがてそれは一本の剣と化した。


 黒い、黒い剣だった。全長は一メートルほど、黒曜石のように輝く片刃の刀身は細く、鋭く、光すら裂くようだった。

 宙を浮いていたその剣が、重々しい音を立てて地面へと突き刺さる。――上崎のほとんどを変換した剣だ。その重さは尋常ではない。

 だが、突き立てられたその剣を軽々と抜き払い、水凪六花は笑う。


「これも久しぶりですね。ひと月ぶりですか?」


『俺だけが命懸けだからな。できれば使いたくないんだよ。――この状態、幽霊みたいでなおさら死んだ気になるし』


 そう上崎は応える。

 剣から、ではない。上崎の『意識』や『声』といった部分だけは再編成され、誰にも視認できずにこの編纂結界の中を漂っている。幽霊、と彼が言ったのはそういう意味だ。

 自分の身体を、自分が見ている前で誰かに使われる。それも生死が懸かった場面で。

 どんな人間でも恐怖を感じない理由がない。しかし、今の上崎にそんな感情など微塵もなかった。――己の全てを他者に任せてなおも勝利を確信できるからこそ、上崎は自らを剣として彼女に献上できるのだ。


『あの山羊頭もそろそろ起きるぞ。行けるか?』


「大丈夫です。――先輩は、最高の魔術師なんですから」


 その言葉があるから。

 こんなに歪な呪いを受け剣になり果ててしまった自分を、彼女だけは真っ直ぐな憧れで迎えてくれたから。

 自らに絶望し、水底へと閉じ籠ってしまった自分を、彼女のその言葉が引き上げてくれたから、上崎結城は彼女に報いたいと思えるのだ。


「――行きます」


 山羊頭が雄叫びと共に立ち上がると同時、六花は地面を蹴っていた。人一人分にも等しい重さを手にしているとは思えない身軽さで、瞬く間に山羊頭の魔獣との距離を詰める。

 振り降ろされる魔獣の拳を躱し、六花はその腕を断ち斬っていた。ごとりと左腕が落ち、真っ黒い血液にも似た何かが辺りに飛び散った。

 たった一閃だった。

 それだけで、圧倒的なまでの力の差を見せつけていた。

 並のオルタアーツでも、ここまで巨大化した魔獣の腕はそうやすやすと両断できない。それを為すことができるのは、六花の卓越したフィジカルエンチャントと――己の全てを剣になげうった上崎のジェネレートだからこそ。


「――っガ、ァァ!」


 山羊頭の怒りの叫びと共に振り回される尾の斬撃を、六花は漆黒の剣で真正面から受け止めた。びりびりと凄まじい衝撃が伝わるが、その程度で上崎の魂は砕けない。

 それどころか、返す刀で六花はその尾を根元から断ち切っていた。


「……あ、あの、思わず受けてしまったんですけど痛くないですよね……っ?」


『これくらいで俺にダメージなんかねぇよ。第一、そんなこと気にしてる場合じゃないだろ』


 自分の魂を盾にされて都度腹を立てるのであれば、上崎は彼女に自分を預けていない。そもそも、その身が砕けたとしても六花の身が守れるのならよかったとさえ思うだろう。


『――それより、来るぞ』


 上崎の言葉に、六花もはっとしたようだった。

 ここは現世ではなく天界だ。存在を消滅させるには、人間でも魔獣でも、脳と同じ位置にある核を破壊する以外あり得ない。

 それなのに、山羊頭の魔獣は追撃してこなかった。

 ただ地面を踏み締めるように立ち、大口を開けて咆哮を上げた。

 その喉奥で紅の何かがちらついていた。

 おそらくそれは、内臓と共に針を残すミツバチのようなもの。上崎たちの方が強いと認めたからこそ、全霊の攻撃に打って出たのだ。


「……どうしますか、先輩」


 カテゴリー3が命を懸けて放つような一撃ならば、まともにやり合えば消し炭にされる。

 ――だが。

 上崎結城は、とっくに()()()なんて次元を超越している。


『構えろ、六花。俺が引き受ける。――俺の能力、知ってるだろ』


 彼の身体はただの剣では決してない。光や炎を操るようなありきたりな魔術とはほど遠いとしても、己の命すら天秤に乗せた呪いの果てに得た力がそんなところで止まるはずがない。

 うなずく六花と共に、上崎は正面だけを見据えていた。

 恐怖がないわけでは決してない。だがそれでも、柄を握る六花の掌から勇気が流れ込んでくるように、彼女が上崎を奮い立たせてくれる。


 山羊頭の魔獣の口から放たれたのは紅蓮の業火だった。

 まるで太陽を切り取ったような、おぞましいほどの熱の塊。人間の身体であれば焼けただれるどころか一瞬にして蒸発してしまいかねないような、そんな圧倒的で絶望的な灼熱の地獄。

 六花はそれを断ち切るように、漆黒の剣を振り降ろした。


『――吸収。貯蔵』


 瞬間。

 まるで暴風に呑み込まれるように、その灼熱の業火が黒き刃へと吸われていく。五秒以上かけて魔獣が吐き出したその全ての炎を呑み込んで、何もなかったかのように上崎は続ける。


『増幅。――性質反転』


 その光景に、魔獣は呆気に取られているようだった。あるいは、もう動く体力すら残していなかったのか。

 最後の工程をクリアする。その言葉を聞いて、もう一度、六花は上崎の剣を振り上げた。その刀身は、先程までよりもずっと禍々しく輝いている。


「終わりです」


 憐憫すら込めて、六花が漆黒の剣を振り降ろすと同時。

 その刀身から、紺碧の炎が放たれた。

 それはまるで三日月のよう。

 巨大な斬撃そのものとなって、その炎は山羊頭の魔獣を頭から両断してみせた。

 二つに分かたれた巨躯は黒い海へと沈み、やがて、光の粒子となって晴れ渡った蒼穹へと昇っていった。


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