第二章 六花 -1-
瞼が重い。というより、身体の全てが重い。いっそ鉛の塊に魂を埋め込まれたと言われても納得できるくらい、もはや普段の自分の身体とはかけ離れていた。
「……パトラッシュ、何だかとても眠いんだ……」
そのまま天使に連れ去られそうになる朱鳥大輝の後頭部に、ツッコミという名のチョップがクリーンヒットする。そこそこ痛かったが、悶える体力すらない朱鳥はちらりと後ろを見る。
「どうした、雪乃……?」
「それはこっちのセリフですよ、センパイ……。なに一人でフランダースの犬ごっこやってるんです?」
「お前も一緒にやりたかったの? なんだ、そう言えばいいのに。そこに横になってくれたらパトラッシュ役のお前を枕にして俺は寝る……」
「それセクハラなんで普通にやめて下さい」
じと目で言われ、そうかとだけ応えてまた朱鳥は瞼を落とそうとする――が、それを許してくれるコンピュータ部の副部長ではなかった。
「昨日もこんな調子でまともな部活にならなかったじゃないですか。どうしたんです?」
「いや、ちょっと特訓がな……」
詳しい話は『裏』のSoCにも関わってくるし、何よりプレイするなとくぎを刺されていたものに手を出したりもしているので、そう口外できない朱鳥は、その単語だけで適当にお茶を濁した。
実際、まだミツキと正式にスクワッドを組んでからたった二日しか経っていないが、その特訓は常軌を逸していると評さざるを得ないレベルだった。部活が終わってから夕食まで、夕食から寝るまでの計三時間以上を拘束されているのだ。運動部の自主連にしたってもう少しマシではないだろうか。
そのせいで、パワードスーツに頼っているはずなのに身体は全身筋肉痛。戦法や操作法に着いてもさんざんのレクチャーを受け、頭だってパンク寸前だ。あまりの疲労に授業中に何度船を漕いだことか、もはや数えることも忘れた。
「とりあえず起きて下さい、センパイ」
「あと五分……」
「十五分前にもそのセリフを聞きました」
「今日は休ませて、お母さん……」
「誰がお母さんですか」
スパンとまた後頭部を叩かれて、朱鳥は渋々ではあるが顔を上げた。
「……で、何をすればいいの?」
「それを話し合おうって言ってるんじゃないですか。このままじゃ部活の体を為してなさ過ぎて廃部にされたって文句を言えませんよ」
「よし、今日の部活は文化祭で作るゲームに関する資料集め。各々で様々なゲームについて調べよう。お前はネット、俺は夢の中でいいな?」
「駄目に決まってんでしょ、センパイ」
ぐっと今度は硬く拳を握られて、とうとう朱鳥も観念した。これ以上適当なことを続けていると、雪乃が本気で怒り出しかねない。あくびをかみ殺して、雪乃と向き合う。
「まぁ仕方ないか……。で、具体的にお前は何がしたいの?」
「それを決めるのは部長の役目です」
「違う。部員のやりたいことを尊重して、道を逸れないように指導していくのが俺の仕事だ。だからまずはお前のやりたいことを言いなさい」
「………………何をしましょうか?」
「お前ね……」
言っておきながら自分の方にこそ何のアイディアもない雪乃に、朱鳥は本気で嘆息する。
「文化祭には例年通りゲームでも作っておけばいいってのがうちの部活だけど。このままじゃ新入部員も来なくて廃部だろ」
「ですね……」
「……もう廃部でいいんじゃね?」
「ここに来てそういう結論になります!? 普通、それは回避しようって言う流れですよね!?」
割と真剣に驚愕している様子の雪乃に、朱鳥は諭すように言う。
「いや、正直、もし来年新入部員が来なかったら、再来年の三月末で廃部ってのが筋じゃん? だいたい年度初めにはもう予算下りてる訳だから、新入部員がいなければ即廃部ってことには出来ない」
「まぁ、そうですね」
「で、廃部になる再来年には、俺もう卒業してるし別にいいかなって」
「このセンパイ思ったよりクズい!」
もっとあたしを思って! と嘆く雪乃ではあるが、さほど動く気は起きない。普段であればもう少し、雪乃の為に力を貸してもいいかな、と思わないでもないのだが、現在は貸したくともその力が底を突いている状態だ。
「半年前までのセンパイはもう少しやる気のある人でしたよね!」
「だって先輩がいたし……。あの人らの目が光ってるとサボれないじゃん?」
「今だって後輩の目が光ってますよ! 何なら後輩にいいところ見せようってさらにやる気を出してくれませんかね!」
「あー、うん。明日から本気出す」
「明日が土曜日だって分かって言ってますね……?」
どうせ部活がないし、月曜になったら忘れてくれないかなー、なんて甘い思考がないとは言わないので、朱鳥はさっと視線を逸らしておいた。
「もーいいです」
「おぉ、諦めてくれたか。じゃあ俺は寝るので――」
「センパイが疲れてるのはよく分かりました。なので、月曜日からは真剣になって頂くことにします」
「分かってくれたか」
「なので、明日は気分転換に遊びに行きましょう」
……脈絡が一切分からなかった。
「ねぇ、俺が疲れてるなーって思うんなら、土日はゆっくり休ませよう的な発想はないの?」
「明日から本気出すと言ったのはセンパイですよ。本気で、全力でリフレッシュして頂いて、月曜日にはしゃきっと復活してもらいます」
――あ、これもう引いてくれないタイプのヤツだ。
何となく今までの付き合いからそれを察した朱鳥は、また深いため息をつく。
「……つまり、明日はデートしましょうってか? お前、俺のこと好きすぎるだろ……」
「デートじゃないです。センパイ、そういうのしたいんだったら顔面一から作り直して来て下さいよ」
「否定にしても言葉辛辣すぎじゃない!?」
思わず涙が出そうなレベルだった。
とは言え、デートでないと明言されればなおさら行く気が失せてくる。まぁ後輩とデートに行きたいかと言われると首を傾げたくはなるが。
「……ねぇ? いま何月か知ってる?」
「十二月ですね」
「クリスマス近いじゃん? 街には超人多いじゃん?」
「ですね」
「あとすっげー寒いじゃん? めったに降らないここら辺でも、今年は雪降るんじゃねぇのみたいな予報あるじゃん?」
「ありますね」
「出かけるのやめない?」
「ぶん殴りますよ」
デメリットをどれだけ上げても雪乃は下がってくれそうもなかった。諦めて、朱鳥はため息交じりに定番の言葉でお茶を濁す。
「まぁ、分かった。明日、予定がなければな」
「予定があってもです」
「……なぁ、お前俺のこと好きなの? でもゴメンな、俺もう少し大きい方が――」
「どこを見て言っているのかは知りませんけど、辞世の句はそれでいいんですか、セクハラセンパイ?」
左腕で胸を隠しながら、右の拳を力いっぱい握りしめる雪乃を見ながら「あー、からかいすぎたかなぁ……」なんて感想をもらし、甘んじて鉄拳制裁を受ける朱鳥だった。






