第一章 セイヴ・オブ・クラウンズ -5-
身体がふわふわと浮いている。ただ覚醒と昏睡の間を行き来するような、束の間の感覚。
視界にあるのは、真紅の装甲だった。両手両足に纏ったそれを見下ろすような格好だ。それが自分の身に纏っているものなのだと、曖昧な意識が遅れて気付く。
そう、それは自分の身体を見下ろしているだけの、何でもない画像。
けれど。
その胸の中央に伸びている物体は、何だ?
透明な、どこまでも透き通ったガラスのような何かが、その胸に生えている。――いや、その胸を背から貫いている……?
装甲が赤いのは、元のカラーリングだけではない。
水晶のような刃が胸を貫き、血が流れている。――絶命するまでの、ほんの刹那を切り取ったような、そんな絶望の視界。
誰かに殺された。
その事実に、ようやく気付いた。
吹き出ている血の色だけが、やたら鮮明に映って見えた――……
ごとり、と。
ベッドの端から転げ落ちて、朱鳥は目を覚ました。
じりじりとなる目覚ましの音を聞いて、ようやく、今の画像が夢の中で現実にあったことではないのだと気付くに至った。
「最悪の夢だな……」
こんな悪夢を見るのも、全ては昨日の出来事が原因だろう。
帰り際にゲームに登録しただけのつもりが、何故か『アリスゲート』なる場所へと瞬間移動させられ、現実のこの身体でゲームの中のようにパワードスーツを纏って戦うことを強要されたのだ。
それを現実のものと受け入れるだけで精いっぱい。夢見はいつもどおり、なんて言えるほど朱鳥の神経は図太くない。
悪夢の一つくらいは見てもおかしくはない。実際、一歩間違えば新見に殺されていた可能性だってあるくらいだ。
「……、」
おかしくはない、けれど。
悪夢であることとは違うおかしさ、違和感が、どうしても拭えなかった。
「夢、だったのか……?」
たった一枚の静止画。前後もストーリーも何もない。
昔、朱鳥は『夢とは静止画の連続で、紙芝居のようなものである』なんて話を聞いたことがある。それが事実かどうかは知らないし、実際動画のように夢を見ているなんて話も聞くから当てにはならないのかもしれない。
だが、どちらにも当てはまるのは、ストーリーの存在だ。たとえ支離滅裂で矛盾だらけであるとしても、何かしらの物語があるものが夢なのだろう。
それが、先程見ていた朱鳥のそれにはない。そもそも、夢にしてはあまりにも画像が鮮明すぎる。普通は、目を覚ませばそれは次第にぼやけて記憶から薄れていくはずなのに。
そんな現象を、朱鳥だけは知っている。
「未来視、なのか……っ?」
自分の意思の有無に関係なく、突如として未来の自らの視界を見せるのがこの能力だ。
自らの身体を見下ろすようなあの映像。ストーリーなどまるでない。――それは夢と言うよりも、未来視によって見えた未来の一瞬の視界だと言われた方がしっくり来る。
「……ってことは、俺は死ぬってことかよ……」
何だそれは、と思わず呟いてしまう。寝起きの頭にその事実は重すぎる。受け入れ難すぎて、いっそ軽く受け流してしまいそうになる。
「なら、もう決まってるか」
だが、それほど悲嘆するべき事情ではないのも事実だった。朱鳥の未来視は、その未来を回避する為に使うことが出来る。
実際、突如発動したその能力のおかげで昨日の新見の初撃を躱せたのだ。未来視で得た情報を元に、自分の行動を選択すれば容易く未来は覆せる。
――例えば。
先程見えた未来で、自分はクラウンギアを纏っていた。ならば、SoCを辞めれば全て解決だ。二度とログインしなければ、それだけであの未来が訪れることはない。
「ミツキさんの力にはなりたいけど、流石に死ぬかもってなってりゃあな……」
自分の命と彼女への恩など、天秤にかけるまでもない。
彼女の誘いをどう断ろうか、とそんなことを考えながら朱鳥は身体を起こすのだった。
*
ふぁ、とあくびが漏れる。冷えた空気が喉を撫でたせいか、少しばかり睡魔が遠のいた。
結局、未来視にしろ何にしろ、悪夢で目を覚ましたのと大差はない。そもそも昨日の精神的、肉体的両方の疲労が抜け切っていない中でのあの目覚めでは、眠気が残ってしまうのも無理はない話だった。
ぺたぺた、なんて擬音が似合いそうなのんびりとした歩き方で、朱鳥は通学路を歩く。昨日の帰りはSoCなんてものにログインしたせいで酷い目にあったな、なんて感想が浮かんでくる辺り、通学路にさえ軽いトラウマじみた何かを抱いてしまっているようだった
「――あれ、センパイ?」
そんな朱鳥の背を叩くような声があった。
振り返った先には、くくった二つの髪束を揺らしている女子――姫咲雪乃がいた。カーディガンの裾を握り締めている辺り、結構寒いのだろう。ダサくとも学校指定コートを着ればいいのに、と思うのだが、オシャレの道は厳しいらしい。
「おっす、おはよ」
「おはようございます、センパイ。けど、珍しいですね。いっつも放課後しか見ないんで」
「いや廊下とかですれ違ってるだろ……。まぁ朝に会うのは珍しいな。俺、普段はもう少し早いし」
「寝坊です?」
「まぁ、似たようなもんだな」
実際には目覚ましが鳴った時間には目を覚ましているのだが、その後しばらく動きだせなかったのだ。例え回避できるにしたって、自分が死ぬかもしれないという現実を突き付けられて気持ちを即座に切り替えれる方がどうかしている。――むしろ、たったこれだけの時間で受け入れられている朱鳥だって十分に異端だろう。
「お前は逆にいっつも遅刻してそうだけど、今日は大丈夫なのかよ」
「……センパイ、あたしを何だと思ってるんです?」
「あっはっは。そんな悪口、本人の前で言える訳ないだろ」
「了解です、とりあえず歯を食いしばってもらっていいですか?」
「……可愛くて愛らしい素晴らしい後輩を持ったなぁ、って思ってるから殴らないで?」
「ふふん、初めからそう言えばいいんですよ。えぇ、えぇ。あたしは小動物系ですもの」
小動物の割に結構殺気立っていたような気がしないでもないが、そこは朱鳥も馬鹿ではないので黙っておく。
そんなやりとりをして、ようやく、朱鳥は戻ってきたような気がした。アリスゲートではなく、こちらの世界に自分の意識の比重が傾いているような、そんな感覚だ。
思えば朝からSoCで殺されるかも、なんてヘビーなことを考えさせられていて、普段の高校生らしさと言うのはどこかに言ってしまっていたような気がする。
「……ありがとな」
「? 何がです?」
何となく雪乃にお礼が言いたくなって、朱鳥はそう呟いた。雪乃の方は怪訝そうな顔をしているが、説明のしようもないことなので黙っておくことにする。
「何でもねぇよ。それより早く行かねぇと遅刻するぞ、おバカさん」
「だからおバカじゃないですからね!」
へらへらと笑いながら朱鳥は学校を目指す。
そんな中だった。
ざざ、と。ノイズと共に自分の視界に何かが割り込んでくるような、そんな錯覚があった。何度か経験のある、唐突な未来視の兆候だ。
まさかまた死ぬ未来でも見えるのか、と嫌気が差す朱鳥であったが、その心配は杞憂だった。
見えたのは、さきほどと似ている、自分を見下ろすような視界ではあった。しかし、身に纏うのはあの赤いクラウンギア――イクスドライヴではなく、今と同じ制服だった。
隣には見覚えのある少女、というか今も隣にいる姫咲雪乃がいて、いらっとするくらい腹を抱えて大笑いしている。
そして。
見下ろした制服の胸の部分に、白いペンキのような、鳥の糞がべチャっと付いていた。
「……あー、そうそう。この能力ってそういうものだよ……」
不意打ちを予知したり自分の死を予知したり、大層な能力のように勘違いしそうになっていたが、この能力の使い道はこの程度。日常でそんな大きな怪我や事故などほとんどないのだから、使えるのはこういう些細な不幸に対してだ。
いつもなら朱鳥は一人で登校する。この時間になるのは珍しいし、待ち合わせてもいない雪乃と会うこともないだろう。つまり、今の未来視はこの数分の出来事である可能性が高い、ということだ。
「どうかしたんです?」
「何でもないよ」
そう言いながら、朱鳥はさっと雪乃と自分の立ち位置を入れ変える。これでもう未来は変えられたはずだ。
「あ、ありがとうございます」
「ん? 何が?」
「え、いや、だって車道側を進んで歩くっていう紳士的なアレじゃないんです?」
「違う違う。未来視で鳥の糞が俺にヒットするのが見えたから、お前に肩代わりしてもらおうと思って」
「紳士どころか最低だ、このセンパイ!?」
ぎゃーぎゃー騒ぐ雪乃を無視して朱鳥は歩いて行く。
ところが。
そんな朱鳥の目の前に、白い何かが降って来た。たん、と胸を小突くみたいな感触があって、朱鳥は自分の制服を見下ろした。
そこには、どういう訳か鳥の糞がべったりと付着していた。
「ぷぷー! センパイ、結局じゃないですか!」
「ウッゼぇ……。ウザいからお前のカーディガンで拭いてやろうか」
「ちょ、触んないで下さいよ! セクハラですよ!」
そんなことを言い合いながら、頭の片隅で、どうして、と朱鳥は考える。
確かに未来は見えた。だから行動を変えた。――まさかこれがSFなんかで聞く歴史の修正力なのか、とも考えたが、今まではそれで回避できていたのだ。修正力なんてものは、少なくとも朱鳥の能力によって働いたことなどない。
「……もしかして、元々俺って車道側を歩くはずだった……?」
未来なんか見なくても、本当に気まぐれで紳士的に車道側に出ていたのかもしれない。そんな未来を見て、自分は避けたつもりでその未来に飛び込んでいただけなのでは、と。
それはあり得る話だろう、とそう思うと同時。
――今朝の自らの死という未来視を、果たして本当に回避できるのか。
そんな疑問が頭をよぎった。
背筋に冷たいものが伝う。そんなことあるはずが、と言い聞かせるように心の中で呟くのに、それでもどうしようもない恐怖があった。
「どうしたんです、センパイ? 顔青いですけど、そんなに鳥の糞がショックなんです?」
「あ、あぁ。母さんに怒られるなって……」
適当にごまかしながら、朱鳥は力なく笑う。
自分が死なずに済む未来。それを掴む為の選択が何なのか。そんな思考が頭の中でぐるぐると回っていた。