第一章 セイヴ・オブ・クラウンズ -4-
セイヴ・オブ・クラウンズの中であるアリスゲートにも、現実世界に準拠しているらしく、真冬特有の冷たい風が吹いていた。
ギアを降りた朱鳥とミツキの二人はそんな寒さに少し背を丸めながら、アスファルトの上を歩いている。
どういう理屈か、あれほどグチャグチャに下の地面から掘り返されていたアスファルトも、戦闘が終わってものの数分で元に戻っていた。まるで時間が巻き戻っていくかのような光景に、朱鳥は当分理解が追いつかなかった。
「……それで、あの、ミツキさん……? どこへ連れて行くんです?」
痛む右腕を抑えながら、朱鳥はミツキの後ろを歩いていた。初めて会ったときは気付かなかったが、髪は編み込みのハーフアップにしていたり、前髪は三日月の大きな髪留めで留めていたりと、女の子らしい雰囲気を漂わせている。――目の前で見ていた朱鳥でも、彼女が狙撃銃を手に新見を蹴散らしたなんて信じられないくらいのギャップだった。
「んー、まぁ行けば分かるよ。それより、別に敬語じゃなくていいよ。――あ、もしかして年下なのかな」
「十七ですよ」
「……いや、本当に年下なのは分かったけどさ。そう簡単にリアルの個人情報を教えちゃ駄目だってば。その辺りの教育からやんなきゃかなぁ」
はぁ、とミツキに深いため息をつかれてしまう。新見に騙されたばかりだと言うのに、相変わらず成長していない朱鳥だった。
「改めまして、ミツキです。対等の証に個人情報をばらしとくと、十八歳ね。よろしく」
「あ、アスカで、す――ッ!」
ぺこりとお辞儀で答えた朱鳥だが、同時、忘れかけていた右腕に激痛が走って、思わず涙目になっていた。
「もしかして、アスカくんっておバカさん?」
「そんなキャラ付けをしてるつもりはないんですけどね……」
とは言え、思い返しても後輩に正座させられて説教を喰らっていたりもするので、あまり強く抗議できる気はしなかった。
「まぁ、とにかく早いうちに治療しようか」
「これギプスとかですよね……。あぁ、明日からノート取るの大変だろうな……」
残念ながらクラスにあまり友達がいない朱鳥としては、骨折で片腕が使えないのは死活問題だ。流石に後輩の雪乃に頼れることでもないしなぁ、と半ば諦め気味にため息をつく他ない。
「あぁ、大丈夫だよ。それはね」
しかしミツキはあっけらかんとそう言って、ある建物の前で立ち止まった。どうやらここがミツキの案内したかった場所らしい。
見れば、大きなスーパーみたいな建物だった。流石に車がないこの世界に駐車場はないが、直方体でガラス張りの平屋、という構えはどこからどう見てもスーパーかコンビニの類だった。
ここは何だろう、と観察しながら首を傾げる朱鳥を余所に、ミツキは先に自動ドアの前に立って入ってしまう。慌てて朱鳥もそれに倣った。
暖房の利いた生温かい空気が肌を撫でる。中に足を踏み入れれば、そこはスーパーと言うよりはバイクの修理屋みたいな様子だった。辺りにブルーシートが敷かれていて、その上にはおそらくクラウンギアの一部であろうよく分からない機械が散らばっている。
「いらっしゃい。――って、なんだ。ミツキちゃんじゃねぇの」
そんな店の奥から姿を現したのは、一人の中年の男性だった。
身長は、一七〇センチの朱鳥よりさらに十五センチは高いだろうか。ガタイが非常に良くて髪は短め、彫は深く角ばった顔。顎には無精なんだか蓄えているんだか微妙な髭がある。――端的に言ってしまえば、オッサン、なんて言葉の良く似合う風貌だった。
「珍しいね。ミツキちゃんが被弾か?」
「まだVer.4.1に入ってからの無被弾記録は更新中です。――そうじゃなくて、今日はこっちの子、アスカくんを連れて来たかったの」
そう言ってミツキに紹介され、朱鳥は腕が痛まないように軽くお辞儀をする。
「おー? 珍しいな。もしかしてスクワッド組んだのか?」
「まぁアスカくん次第ではすぐに解散しちゃうかもだけどね。無理強いは嫌いだし、かと言って弱くてもいい訳でもないし」
「……あの、こちらの方は?」
堪らなくなって朱鳥が尋ねると、あぁとミツキは手を叩いて思い出してくれた。
「紹介がまだだったね。こちらはアウディさん。アリスゲートで修理屋、改造屋、治療屋の三つを複合させて提供している珍しい商人プレイヤーだよ」
「……? えっと……?」
「あぁ、その説明からか。アスカだったか? ものすげぇ初心者みたいだな。説明してやる前にまずは治療だ。変に骨がくっつくと困る」
そう言って、アウディはこっちへ来いと手招きをしているので朱鳥はそれに従った。
広い店の大半が色んなクラウンギアが散らばっているせいで狭く感じるが、奥は違うらしい。案内された場所は開けていて、中央にはMRI検査で見るような巨大な筐体があった。
「あの、これは?」
「治療用のクラウンギア、でいいのかな。まぁそういう機械だよ。あぁ、ついでにお前のクラウンギアも出しておいてくれ。修理しとくから」
そう言ってアウディは治療の機械の横にあった巨大なコンテナを指さした。確かに、クラウンギア一機くらいは余裕で入りそうな大きさだ。
「どうやって治療したり修理するんですか?」
「こっちは細胞を操作する機巧能力を持ってて、こっちは時間を操作する機巧能力を持ったギアだ。怪我は再生医療だし、ギアの方は時間を巻き戻して傷をなかったことにしてくれる。ただ、こっちを人間に使うと記憶まで戻っちまうから注意な」
「は、はぁ……」
何だか突拍子もないことを言われているが、もはや今さらだろう。驚くことの一つや二つが増えたところで、と朱鳥は呑み込んでおく。
アウディの指示のままに先程新見の前でやった要領でギアを呼び出す。どういう理屈か、呼び出すときも片づけるときも勝手にコンテナに入って突然消えたり出たりするのだから、慣れないうちは心臓に悪い絵面だった。
それをアウディが台車で押して修理用のコンテナに詰め込むと、適当に機械の時間を設定した。放っておけば直るのだろう。随分と便利な話だ。
「お次はお前自身だ。ほらほら、入れ、入れ」
アウディに促されるままに硬そうなマットに横になると、大きな円筒状の機体が朱鳥の身体をスキャンするみたいに包んでいく。
「これでしばらく待てば大抵の傷はきれいさっぱり治ってくれる。お前の怪我くらいならせいぜいカップ麺一個分ってところか」
「すごいですね……」
確かに、先程までずきずきと痛んでいた右腕は温かさに包まれていて、痛みは和らいでいるようだった。軽く手を握ったりしてみても激痛が走るようなことはない。
「それで、このお店って何なんです?」
「ん? あぁ。アリスゲートで唯一、『安全』を売ってる店だよ」
にやりとアウディは笑うが、意味が分からず朱鳥は首を傾げる。
「このアリスゲートじゃ、ギアは自然に直らない。もちろんプレイヤーの身体もだ。ギアの改造だってパーツを買えばはいお終いって訳じゃない。だから、それぞれを担うNPCショップがある。――さぁ、そこで問題だ。お前はどうしても誰かに勝たなければいけないとき、どいつを狙って勝負を仕掛ける?」
突然のクイズに、朱鳥は首を傾げる。質問の意図がまるで分からない。
「……初心者を狙う、とか?」
「惜しいな。でも考えてみろ。そいつが初心者であっても自分より弱い保証なんてないんだよ。だから、一番有効なのは『ボロボロのやつに追い打ちをかける』だ」
言われて、はっとした。
普通のゲームなんかと違って、回復ポーションがある訳ではない。一度傷付けば、必ずNPCショップに行って治療や修理をしなければならないのであれば――……
「待ち伏せ、ですか」
「ビンゴ。戦闘後の身体もギアもボロボロの奴を狙えば流石に勝てるだろ。普通のNPCショップはそれがどうしても横行する。だから、金のある巨大スクワッドはショップごと買い取るのさ。そうすれば、他スクワッドのプレイヤーはそもそも店の半径何百メートルかに入れなくなる。待ち伏せする意味がなくなる訳だ」
待ち伏せしようにも、それだけの円周をぐるっと囲むだけの戦力を整えるのは、相当厳しいだろう。クラウンギアで上から飛んで入ることも出来るし、完全に封じようと思えば地上に出ている半球状全てを覆うだけの戦力が要る。とても現実的ではない。
「でもソロや弱小スクワッドにはそんな真似が出来ないだろ? だから俺が店を買い取って、店の半径二百メートルを『非武装・非戦闘地域』に設定した。これで巨大スクワッドがやっているみたいに、そして誰に対してもオープンに待ち伏せを封じることが出来るって訳よ」
なるほどなぁ、と朱鳥は頷く。その辺りはこの『裏』のセイヴ・オブ・クラウンズの特優と言うよりは、ゲームシステムそのものから来る慣習だろう。
「……でも、何のメリットがあって?」
「メリットは十分にある。俺は純粋な観客なんだよ。近くでいい試合が見られればそれでいいのさ。ソロも弱小も大事に育てれば化けることなんかザラだし、潰れられると困るのよ」
そう言って、アウディは朱鳥に手を差し伸べる。――どうやら治療も終わったらしい。
その手を握って起こしてもらうと、確かに右腕の痛みは嘘のように消えていた。散々撃たれて内出血も酷かったはずだが、そんな痕すら残っていない。
「で、こいつ、いったい誰にやられたんだよ?」
「新人狩りだよ」
そんなアウディの問いにミツキが答えた。その呼び名は、さっき朱鳥も聞いた覚えのあるものだ。
「あー、そりゃ災難だ」
あちゃー、と言いながらアウディは額を抑えている。どうやらそれなりには有名な相手だったのだろう。
「あの、その新人狩り? って、そんなに有名なんですか?」
「もちろん。――ユーザー名をアルケミスト。けど新人狩りっていう異名の方が知れ渡っている彼の何が恐ろしいか。アスカくんは分かる?」
「え? そんなの、右も左も分からない人間を狙って襲うところでしょう?」
「半分正解。――でも、それに旨みがあるのなら、他のプレイヤーだってそうしてる。彼だけが特別に『新人狩り』なんて異名を得るには至らないんだよ」
その通りだと、朱鳥も納得した。どんなゲームにだって新人を標的に詐欺まがいの行為をする連中はごまんといる。実際、朱鳥もトレード可能のソーシャルゲームで、右も左も分からず不当なレートのトレードを騙され受諾した経験がある。
「じゃあ、普通は出来ないことなんですか?」
「そう。――この『裏』のSoCで誰かと対戦する理由は大きく分けて三つ。一つは、ゲームクリアに近づく為。この『裏』ではそれぞれのバージョンにクリア条件が設定されていて、真っ先にクリアすれば報酬がもらえる。Ver.X.4では神すら恐れぬ奇跡を成し遂げられるくらいだし、他のバージョンでも億万長者くらいにはなれる。基本的に、みんなこれを目当てにしてるって言ってもいいね」
「後の二つは?」
「もう一つは、単純に腕試し。クリアをする上でも、自分の腕を磨かなければいけないからね。――そして、最後の一つが、資金集めなんだよ」
言われて、そうかと朱鳥も思い至った。
「この治療とか修理も、タダじゃないんですよね」
「そう。付け加えれば、幸か不幸かリアルマネーは一切使えないし、ゲーム内通貨を得る手段は戦闘による勝利しかない」
だから、新見は朱鳥のような新人を相手に戦闘をしたのだろう。クリアの為には程遠く、腕が磨ける訳でもないが、それであれば納得は出来る。
「……けど、戦ったときのファイトマネーみたいなのってどう支払われるんです? 俺は別に負けましたって言って新見にお金出してないですけど」
「そんな昔のポケット的なRPGじゃないんだから。――ここでのファイトマネーは勝った方の総取り。金額は、動画の回転数だよ」
「動画、ですか……?」
「ギアに付属のカメラ、このアリスゲートに張り巡らされてる監視カメラやドローン。そういったもので戦闘の映像を撮影して、全自動でゲームの映像にコンバートする。それが現実世界の動画サイトで生配信されているんだよ」
そう言って、ミツキは何もない空間で手を振っていたかと思うと、朱鳥に歯車を装着するように目元を叩くジェスチャーをした。AR上で何かのファイルを朱鳥に送ったのだろう。
それに従って歯車を目元に当てると、一つのポップアップがあった。タップしてみれば、自動で動画が再生され始める。
そこに映っていたのは、深緑の機体と真紅の機体が対峙している姿だった。やがて、銃口を突き付けられた真紅の機体が尻尾を巻いて逃げ惑っていく。
「これ、もしかしてさっきの俺の……?」
「そう。ちなみに閲覧者は千人くらかな。まぁ、今回の戦闘でアスカくんが負った傷の治療や修理くらいなら十回は出来るレベルのマネーが、アルケミストくんには入ってるね」
そんなうまい話があるのなら、誰だって初心者を狩るはずだ。そう思って、しかし朱鳥は気付いた。
「そうか。つまらないと、駄目なんだ」
これが、この『裏』のSoCでのルールなのだ。
例えば制限時間いっぱい逃げ惑うことも、狙撃のように遠隔で一撃で仕留めるのもNG。それで勝ったとしても、マネーが一切得られない。だから、極力それを避けるのだ。――もちろん、初心者を一方的にいたぶるなんて行為も、見ていて楽しいものではない。
「気付いてくれたかな? ところが、アルケミストくんはそれを覆した。例えばハンディキャップ、例えばシチュエーションプレイ、例えば過剰な速攻プレイ。そう言ったエンターテインメントを徹底することで固定ファンを増やして、新人を狩ることでも十分なマネーを獲得できる試合に変えた」
だから、錬金術師なのか。
屑鉄から金を練成するように、新人を狩ることから金を生み出すと。
「外道なんだか、賢いんだか……」
被害者であるものの、朱鳥には新見を過剰に攻める気にはなれなかった。システムにのっとった上で、正当にファイトマネーを得ているのだ。どこが悪いかと言われれば、騙して試合に乗せる過程だけ、としか言えない気すらした。
「以上が、君のおかれていた状況の説明だよ。オーケー?」
「はい、ありがとうございました」
ぺこりとお辞儀をして、朱鳥はミツキに向き合う。
「本当に、何から何まで助けていただいて」
「別に大丈夫だよー」
ほわほわ適当に笑いながらミツキは言う。本当に彼女が件のアルケミスト――新見碧を眼光だけで退けさせたのか疑いたくなるくらいだった。
「それで、お礼に俺の戦力が欲しいっていうのは、具体的にどうすれば?」
「今後もわたしとスクワッドを組んでほしいって意味ではあるんだけれど、無理強いはしたくない。義務感だけで一緒にいられても足手まといになっちゃうだろうしね。――だから、君にもしこのまま『裏』のSoCを続ける気があるなら、で構わない」
そんな不確定なことの為に、わざわざ朱鳥を助けてくれたと、ミツキはそう言っていた。なんとそんな性格をしているのだろう。こんな真似をしなくたって、仲間が欲しいなら効率のいい方法はいくらでもあるはずなのだ。
新見のように騙そうとしていた者もいれば、こんなに親切にしてくれる者もいる。その事実だけで、なんとなく救われたような気持ちになる。
「……少し時間を貰っても?」
「いいよ。ログインさえしていればメッセージを飛ばせるから、どっちに傾くかは別にしても気持ちが固まったら連絡して」
ミツキは優しくそう言ってくれた。
その優しさに報いたいという気持ちは、確かにある。
だけど。
もうとっくに治った右腕に残る痛みの残滓が、どうしてもすぐに頷くのを許してはくれなかった。
「今日はゆっくり休んで。初めてのログインで訳が分からないことばっかりだったろうしね」
「はい、ありがとうございました」
深く、深く頭を下げて、朱鳥はARのウィンドウからログアウトを選択した。
その視界の端で、メイド姿のサポートAIがさっきの朱鳥みたいに頭を下げている。
「行ってらっしゃいませ、ご主人様」
「……あぁ」
メイにそう返事をすると、視界が急に黒に塗り潰された。同時、随分前に感じたあの浮遊感が戻ってきた。
この世界――『アリスゲート』に来たときと同じ感覚だった。
やがてそれが終わったとき、朱鳥の視界にあったのはいつもの通学路だった。完全に陽は落ちて人気すらなくなった場所に一人残されて、朱鳥は深いため息をつく。
ここから家に帰るまでのいつもの道が、どうしようもなく長い気がした。