第一章 セイヴ・オブ・クラウンズ -3-
全長一メートルに及ぶ、クラウンギア専用の巨大な緑のアサルトライフル。その銃口を突き付けられて、まともな思考を保てる者が果たしてどれだけいるだろうか。
避けるどころか声を上げることもせずに、ただ朱鳥は呆然とそれを見上げていた。
何も感じていない訳ではない。実際、心臓は張り裂けそうなくらい飛び跳ねている。新見の気分次第で撃ち殺されると理解できているからこそ、その恐怖で指の先までがんじがらめになっているのだ。
そのときだった。
「――ッ!?」
朱鳥の頭に頭痛じみたノイズが走り、その視界が急速に遠のいていく。
痛みに顔をしかめた瞬間、閉じたはずの瞼の裏に浮かんだのは、間違いなく真っ赤な炎だった。視界の左側は真っ暗に閉ざされたままで、右の視界では代わりとでも言うように夥しい血の玉が空中に浮いていた。
その映像は、次の瞬間には消えていた。急速に朱鳥の意識が現実へと引き戻される。
(今の、未来視か……ッ!? だとしたらあの炎はマズルフラッシュってヤツ……っ。ちくしょう、こんな直前で未来を見せられるくらいならもう少し早く――)
「まずはそのAIを壊させてもらおうかな」
朱鳥の思考を断つような新見の言葉と同時、クラウンギアの太い指がライフルの引き金にかかるのが見えた。
これがおそらく、数瞬前に見た未来視の光景の原因だ。事前にそれが分かっているだけで、いくらか冷静に見られた。実際に引き金が押し込まれるより刹那速く、朱鳥は右へと目いっぱい跳んだ。
爆発じみた音が鼓膜を叩くと同時、背後で一条の光が駆け抜けた。避けていなければどうなっていたかは、あの未来視が物語っている。
心臓が暴れ狂う。呑気に学生生活を送っていた数十分前の自分が、もう何年も前のことのように思える。それくらい、今の生死すら懸かる一撃は、当たらずとも朱鳥に衝撃を与えていた。
「おぉ、まさかあの一撃を避けるなんてね! おにーさんの歯車だけを破壊してサポートを断つつもりだったんだけど、ちょっと見込みが甘かったかな。――もしかして、それがおにーさんの能力なのかな」
そう言って、ガシャリと鈍い音と共に、未だ硝煙にも似た煙を漂わせている銃口を朱鳥へと向ける。その禍々しさに心臓が縮み上がる。
「次は仕留め――」
「させませんよ」
新見にそれ以上の言葉を続けさせず。メイの声が朱鳥の鼓膜を震わせた。同時、無人の真紅のクラウンギアが、新見のライフルを殴り飛ばしていた。
「チッ! 自動迎撃とか従順なAIだね、まったく!」
毒づく新見を余所に、その真紅のクラウンギアは朱鳥へと駆け寄り、握るように彼を抱き上げ、そのまま自らのコックピットへと乗せた。
状況が呑み込めずなすがままだった朱鳥だが、気付けば、その装甲はガシャガシャと勝手に動き、形を変え、彼の四肢を包みこんでいた。
見た目からして数トンはありそうだが、ギアの補助のおかげで装甲はおろか右手の大剣の重ささえ感じなかった。モーター音のような何かが絶え間なく体に響いていて、そこでようやく、朱鳥は自分の身がクラウンギアを完全に纏っていることに気付いたくらいだ。それくらいに、身体は軽い。
未だ現状を呑み込めずにいる朱鳥の横へ舞い降りるように、メイの姿があった。ARで映っているだけと言うのは本当らしく、まるで幽霊のように、クラウンギアの分一メートル近く視界が高くなった朱鳥の真横にピタリと張り付いていた。
「まずはヘッドギアの装着を、我がご主人様。ご主人様の身を守るだけでなく、戦闘中でもわたくしの声を正しく聞き取れるはずです。その後は迎撃に備えて下さい。このままでは一方的に敗北しますので」
「ちょ、待てって! いきなり戦え? 冗談だろ。こんな試合、負けたってキャンセルに決まってるだろうが!」
クラウンギアの肩辺りに掛かっていた鎧風のヘッドギアを装着しながら朱鳥が吠えるが、横に浮かんだままのメイはかぶりを振った。
「ノー。残念ながら、降参に類するコマンドは、当セイヴ・オブ・クラウンズには実装されておりません。また戦闘中のログアウトも同様です。――申し上げれば、申請内容の確認を怠ったご主人様の不備かと」
「あぁ、くそ……っ! わざわざ言わなくてもいいよ……っ」
メイと一緒に新見も睨みつけながら、朱鳥は盛大に舌打ちする。
「とりあえず離脱して、操作の確認がしたい!」
「イエス、我がご主人様。足のペダルを踏むことで内蔵された車輪が降りますので、後は体重移動のみで十分な速度での移動が可能です。スラスターも使用できますが、感覚を掴むまでは控えた方がいいかと」
頷き、朱鳥はメイの指示通り、パワードスーツに包まれた足でつま先を押し込むようにペダルを踏んだ。
左右の足から補助輪のような車輪が降りて、ギャリギャリと回転しながらアスファルトに噛みつく。ぐん、と身を引く加速感を感じ、瞬く間に朱鳥は新見から遠ざかっていた。
――なのに。
「あー、おにーさん逃げちゃうタイプ? なら、そういうエンターテインメントにしないとね」
新見は追って来なかった。そのそぶりも気配さえもなかった。
ただにやりと笑って、その場でクラウンギアの武骨な腕を背中へと回す。巨大な装甲の一部だと思っていたそれは取り外され、彼の前に突き立てられる。
「何だ、あれ……。巨大な盾か……?」
スケートのようにアスファルトを駆け抜けながら、横目で朱鳥はその様子を確認していた。機体と同じ深い緑色をした、そして機体と同じ全長を持つ、二・五メートル近い巨大な十字の盾だった。
「――ッ。警告。スラスターを使用してでも、全速でこの戦域から離脱して下さい」
「は? 待てよ、いきなり言われたって――」
そもそもスラスターとやらの使い方を知らない、とメイに文句を続けようとしたときだった。
「発動」
女子みたいな新見の重い声がした。
同時、アスファルトが波打ち始めた。――いや、アスファルトの下で、何かが蠢いている。
「な、あ――っ!?」
理解が追いつかない朱鳥を余所に、突然の足場の変化に対応し切れず、ホイールが地面から浮き、その高速移動が途切れた。思わずつんのめるようにして朱鳥がその場で止まる。
その一瞬で十分だった。
地面の下で蠢く何かが、アスファルトを食い破って姿を見せた。
「これ、樹か……!?」
それはどこにでもあるような広葉樹の幹や根だった。あの黄金の大樹ほどではないが、それでも十二分に巨大な木々が、朱鳥の視界の至るところでアスファルトを食い破って伸び始めているのだ。
「何だこれ!? まさかこういうステージギミックまであんのか!?」
「ノー。これは敵機――ジェイドグローヴの力です」
変わらず冷静な口調のメイに、朱鳥は目を向く。
「力って……これが新見の能力だって言うのか……っ!? 俺の未来視とはレベルが違いすぎるぞ!」
「ノー。これはジェイドグローヴの機巧能力であり、新見碧の能力ではありません。――機巧能力と能力の違いについての説明が必要ですか?」
「あぁ、頼む……」
瞬く間に視界は近未来的な都市から樹海の中へと没した朱鳥は、呼吸を整えながらメイに答える。こんな状況でもパニックにならずに済んでいるのは、もう状況があまりにも突飛すぎて現実感と言うものが徹底的に欠如しているせいかもしれない。
「ご主人様をはじめとするプレイヤーの方々が持つ特異な力を能力と呼称しています。発現条件は不明ですが、原理は『世界の外側』へ干渉することで現実を改変するものになるようです」
「あぁ、俺の未来視がそれか。――じゃあ、機巧能力っていうのは?」
「各クラウンギアが持つ、より高レベルに再現された能力のことです。しかし、クラウンギア単体では使用できません。『世界の外側』へと干渉するそもそものインターフェースを有していない為です。――ですので、クラウンギアは能力を持つプレイヤーを介してその力を行使しています。これが機巧能力であり、単純な性能に関して言えば機巧能力の方が能力よりも上になります。――ご覧のように」
つまり、機械でわざわざ底上げされている能力を生み出した訳だ。こんな未来的なパワードスーツが作れる科学技術であれば、能力の段階を何段もすっ飛ばしてこんな超常現象を引き起こせても不思議はないだろう。――もう、何が不思議かさえ分からない状況ではあるが。
「この状況を打破するには?」
「機巧能力には機巧能力で対抗する他ありません。加えて申し上げれば、わたくしの機巧能力は『発火能力』です」
「つまり、こんな樹は焼き切れるってことか?」
「イエス、ですがノーと答えさせていただきます。その場合、周囲一帯が燃え上がり、何か策がない限りはご主人様が焼死いたします」
「くそ、駄目か……っ!」
朱鳥はため息をつきながら頭を抑えた。だが、悲観していても始まらない。この現状がなんなのか理解が追いついていなかったとしても、このまま殺されるのだけは勘弁だ。
「……新見の位置は?」
「森林が邪魔をしてレーダーが使用できません。ですが当初の双方の距離から、会敵までには最短でも一八〇秒ほどの猶予はあるものと推測いたします。何かしらの機巧能力やスキルの使用がなければ、の話ではありますが」
「なら、とりあえず動く。遠ざかる方を狙えば裏を掻かれそうだから、出来る限り等距離を保つような形だな。そうすれば時間はもっと稼げるはずだ」
「イエス、我がご主人様。――その後の方針は?」
「まずこのクラウンギア――イクスドライヴって言ったっけか。これについて説明をくれ。でなきゃ策の一つも立てられない」
そもそも戦うかどうかも決めていない。だが、逃げるにしてもこの周囲の木々をどうにかしなければ始まらないのも事実だ。
メイにそう言って、朱鳥はガサガサと歩き出した。先程のホイールによる移動も考えたが、こうも木々が密集していては速度が出せないのだから意味はないだろう。パワードスーツだけあって、二メートル以上の巨躯であっても難なく歩けるのは救いだ。
「お答えします。――背のアタッチメントに付随した一・八メートルの翼の形状をした武装、及び、右腕に握られたままの二・五メートルの大剣が、推力併用近接兵装『シリウス』です。これはわたくしの機巧能力を使用し、火炎による推進、プラズマによる切断を可能にした兵装であり、他のクラウンギアと比較しても群を抜いた機動力と攻撃力を誇ります。――反面、見ての通りの大きさになってしまっていますが」
「右手も……?」
「イエス。スラスターモード、ブレードモードの二種類に使い分けできる特異な兵装で、三つまで装備可能です。機動力重視であれば三基、または二機をスラスターとして背面に、攻撃力重視であれば二基をブレードとして左右の手に装備することを推奨します」
確かに、これだけ巨大な剣を振り回すのだから、左右に持ってしまえばいくら強力なスラスターでも一基ではがくんと機動力が落ちるだろう。プレイヤーの向き不向きや状況に合わせて、機動力と攻撃力どちらを優先させるかが肝になる。
「左腕に装備されているのは『アルシラ』プラズマシールドです。通常時は全長三十センチほどのひし形の装備ですが、使用時は各辺からプラズマを放出し、それを盾とします」
「いわゆる、ゲームなんかで言うビームシールドとかの類か」
「プラズマは不透明ですので、実弾、ビーム兵器双方に効果がありますが、当然、耐久限界が存在するのでご留意を。ただし、一度突破されたとしても再展開は容易です」
「……どれもこれも炎やプラズマを使うんじゃ、こんな森の中じゃ山火事まっしぐらじゃねぇかよ。じゃあ次は――」
「なんて、悠長に会話をさせると思ってる? おにーさん」
瞬間。
背筋が凍るより先に、朱鳥の背に重い衝撃が走った。
遅れて、耳元で警告音がけたたましく鳴り響き、視界の端のARに被弾個所を告げるクラウンギアのシルエットアイコンが浮かび上がった。
「っが、ぁ……ッ!!」
背中には装甲もあるし、何よりあの大剣にもなる巨大なスラスター翼『シリウス』がある。何かの攻撃を受けて機体は損傷したようだが、朱鳥自身にはさほどダメージはない。
だが、全く無傷と言う訳ではない。
先程から背に痛みが残っている。心臓が脈打つ度、それに呼応して痛みが走る。流石に骨は無事だろうが、酷い内出血程度はあるだろう。コンピュータ部なんて言う怪我とは無縁の場所にいた朱鳥としては、これだけでも相当な痛みだ。
だが、そんなことにかまけている場合でないことくらい、朱鳥にだって分かっていた。だから、痛みに顔をしかめながら、背後を振り返る。
そこには、まるで朱鳥のリアクションを待っていたとでも言うように、緑の機体――ジェイドグローヴに身を包んだ新見碧が立っていた。
「くそ、来ないなんて楽観視はしてねぇ。だけど、早すぎるだろ……っ」
「あのさぁ。誰がここを樹海にしたと思ってるの? 自分の機体の機巧能力で自分の身動きに制限がかけられるなんて、そんなの馬鹿じゃないんだからする訳ないじゃん」
オープンチャンネルの通信機越しに新見に言われ、朱鳥はぐっと唇を噛むしかなかった。全く以ってその通りで言い返せもしない。――それが彼の機体ジェイドグローヴの持つそもそもの性能なのか、あるいはもしかしたら彼自身の能力かもしれない。だがどちらにせよ、この状況は完全に不利だ。
こんなホイールも出せない狭い空間では、初心者の朱鳥には存分に動けない。右手の大剣も背の翼も、シールドさえ、こんな空間では当たりを炎の海に変えて自分の首を絞めるだけだ。仮に使えたとしても、機体の全長すら超す大剣をこんなところで振るえば、十中八九刃を痛めるだけだろう。
詰んでいる。
そうなるように仕向けられている。
「……ふざけやがって、この中坊……っ」
「何とでも。そりゃ、騙す方が悪いことなんて百も承知だけどさ。――騙される方に何の問題もない、だなんて、そんな間抜けなことは言わないでよね?」
もはや朱鳥には毒づくことしか出来なかった。このままでは敗北する。そんなことは自明だ。
だが。
ここはCGではなく、生身の人間が戦っているのだ。通常の格闘ゲームの敗北条件は機体の耐久値の全損だが、機体が大破するような状況になれば、当然プレイヤーもただでは済まない。
「……ただでやられてやると思ったか?」
「思ってないよ。――だから楽しいんじゃん」
からからと、昼休みにクラスメートと遊ぶみたいに新見碧は笑っていた。
「子供の頃にやらなかった? アリの巣に水を入れて溺れさせたり、ダンゴムシを潰そうとしたり。そういうどうしようもないのって楽しいじゃんか。たとえ、ちっこいアリに牙を突き立てられたってさぁ」
朱鳥は右手の大剣を握り締めた。相変わらず重さは感じられないが、パワードスーツ越しでも確かな感触が返ってくる。
「……メイ。延焼なんか気にするな。巻き添え覚悟でやってやる」
「イエス、我がご主人様」
それにメイが応えると同時、甲高いモーター音がこの樹海の中に響き渡った。さらに、右手の大剣――シリウスに紅い光が宿る。
刃に当たる部分に、更に強い光、いや、プラズマが走る。その熱気でシリウス周囲の光が歪んでいるようにすら見えた。
「まずはこの樹海を切り開いて――」
「そんなことさせる訳ないじゃんか、おにーさんって馬鹿なの?」
朱鳥がシリウスを振りかぶった瞬間だった。そのまま振り下ろそうとした右腕がぐんと後ろへと引っ張られた。
「な――っ!?」
見れば、右腕の装甲に周囲の樹海から伸びた蔦が絡みついていた。ぎちぎちと、それはさらに締め上げて朱鳥の右腕の動きを完全に封じている。
「この辺り一帯の樹木は、僕のジェイドグローヴ・カスタムの機巧能力が生み出したものだよ? それがどうして『生み出したら終わり』だなんて思ったのさ」
「テメェ……ッ」
ぎろりと朱鳥は新見を睨むが、迫力はもうなかった。既に彼のイクスドライヴは両手、両足が周囲の蔦に絡め取られ、一部の隙もなく拘束された後だったから。
「水責めとかっていうよりは、これはもうアリの手足をもいでいく感じかなぁ。あんまり一方的過ぎると動画の伸びが悪いんだけど……」
一人ぶつぶつと言いながら、新見は腰に手を回して新たに武装を取り出していた。
先程のライフルとは違い、今度はサブマシンガンだった。だが先程以上の嫌な気配があった。――おそらく、身動きが取れないと言うのが恐怖心を駆り立てているのだろう。
「まずはその邪魔な右腕からかな」
言って、新見は躊躇なくその引き金を引いた。同時、吊り上げられるように縛られた右腕で激しい火花が散った。
けたたましいほどの発砲音と、装甲と弾丸が衝突する嫌な金属音が、辺り一帯に木霊した。
サブマシンガンから放たれた無数の弾丸は威力が低いらしく、すぐさま装甲を破壊するには至らない。だが、それでも確かにイクスドライヴの身を削っていた。
幸いというべきか、それともただの新見のお遊びか、朱鳥自身の肌には跳弾さえ掠めはしなかったが、それでも朱鳥自身が無傷と言う訳ではない。先程の単発の衝撃ですら十分に痛みを残していたのだ。見るからにサブウェポンのマシンガンであろうと、十秒以上も連射され続けて、何の衝撃もない訳がない。
冗談抜きに、みしりという音が鼓膜を内側から震わせた。衝撃が閾値を超えて、もう朱鳥の骨にまで及んでいるのだ。
「っが、ぁぁぁああああ!!」
叫ぶ。それで一度は弾丸の嵐は止んだが、蔦による拘束がほどける訳ではない。右腕は燃えるような熱さと共に痛みの信号を爆発させ続けているというのに、抑えて悶えることさえ許されない。
理性の糸が弾けそうになる。この場で涙を流して喚き散らしてしまいたい。それくらい、痛みという単純な刺激が朱鳥の心身をことごとく圧迫していた。
既にこの世界に飛ばされた時点で、朱鳥の思考回路は壊れる寸前だったのだ。それを、常識を棚上げにすることで、どうにか理解できる状態に持ち直していたに過ぎない。
こうして激痛という形で現実を突き付けられて、棚上げしていた常識が落ちてくるように朱鳥に押し寄せる。何故、こんな目に遭わなければいけないのか。何故、こんな状況に陥っているのか。そんな疑問に何一つ答えが出なくて、撃たれた腕よりも頭の方が数倍の痛みを発していた始末だった。
「警告。ご主人様のバイタルが不安定です。気休めではありますが深呼吸を推奨いたします」
「ふざけろ……ッ」
こんな状態で何を落ち着けと言うのか。
身動きは取れない。今は引き金から指を話しているが、どうせまた彼は容赦なく朱鳥を撃つだろう。初心者をカモにする為だけに回りくどい芝居までしていたくらいだ。ここで何を叫んだところで手を緩めることはないだろう。
状況は最悪。覆す手段はなく、このまま放っておけば自分の身がズタズタになることだけが確定している。
もういっそ諦めようかと、そう瞼を落とそうとしたときだった。
『――聞こえてる? 聞こえているなら返事が欲しいかな』
「は……?」
突如耳元から聞こえてきた声に、朱鳥は思わず目を丸くした。
綺麗なソプラノボイスだった。それも声色からして若い、朱鳥と同世代の女子の声だった。
「何だ、これ……」
「通信です。新見碧の使用している共通通信用の固定帯域近距離通信ではなく、わたくしの別のチューナーに総当たりで周波数を合わせてきたようです。双方の通信に応じて、こちらでどちらへの音声をシャットアウトするか判断いたします」
つまり、この状況でわざわざ新見碧には聞かれたくない内容で誰かが通信をしてきたということだろう。――冷静に状況を整理しても、全く意図が分からないが。
『何か聞こえづらい? 微妙に返事が聞こえた気がしたんだけど』
「き、聞こえてる。聞こえてます」
『お、やった。じゃあとりあえず、単刀直入に行こう。新人狩りのアルケミストの手にかかってしまった、というわたしの認識は合ってる?』
「ルーキー狩り……? アルケミスト……?」
知らない固有名詞がいきなり出て来て、朱鳥は素直に困惑する。
『あぁ、ゴメンね。新人狩りは異名、アルケミストはユーザー名。目の前で君と戦っているそのジェイドグローヴってクラウンギアに乗ってる子のことだよ。――それで、助けは欲しい?』
「は、はい」
短くそう答えると、通信機越しにふっと笑ってくれた気がした。柔らかい印象のあるその声に、不思議と痛みも忘れて落ち着いてしまっていた。
『わたしが助けてあげてもいいよ。もちろん百パーセント善意という訳ではないけれど、このまま君がやられるのは避けたいの』
「……具体的に、俺は何を支払えば?」
『話が早くて助かる。わたしが欲しいのは戦力。つまりは、君と君のクラウンギアの力だね。だけど、君がその支払いに見合う戦力かどうかはあとで査定するけどね。無理そうなら、わたしの見込み違いってことで引き下がるだけだから安心して』
どこまでも甘い話だった。だが、だからこそより一層警戒心が高まってくる。
先程、女の振りをした新見に騙されたばかりなのだ。馬鹿でもない限り、そんな簡単に頷ける訳がない。
だから、朱鳥は目を閉じた。ただ腹をくくるなんて無意味なことの為ではない。――ただ、適当な未来を切り取って視る為だ。
見えたのは、普段と代わり映えしない部室の風景だった。ただいつものように雪乃が笑っているだけの、そんな光景だ。
だがそれは、この場を脱したからこそ得られる姿。もし、彼女に騙されたとしても、あんなふうに彼女を笑わせる余裕はないだろう。――なら、彼女は信用に値する人物だということだ。
「俺はあなたを信じます。だから、手を貸して下さい」
『了解だよ。――こちらから一つの申請を送る。さっきみたいに適当に押さずに意味を理解した上で、イエスを押してくれればいい。そうすればわたしがきちんと君を助けてあげる』
それを最後に彼女から通信が途絶えると同時、ピロンと朱鳥の視界にARのポップアップが表示された。
表れたのは『Form Squad』という文字列と『Member; Mitsuki』という名前だった。
「これは?」
「スクワッドの結成申請です。メンバーはユーザー名『ミツキ』のみ。おそらくは先程の通信の相手かと。ちなみにスクワッドは、セイヴ・オブ・クラウンズにおける活動単位です。他ゲームなどではギルドやクランなどと呼ばれるもので、基本的にセイヴ・オブ・クラウンズはスクワッドごとの対戦となります」
「これを承諾すればどうなる?」
「バトル申請を承諾した二人とその所属するスクワッド以外は、対戦に参加することが出来ません。つまり、スクワッドを結成した瞬間、彼女にも新見碧と戦う権利が得られると言うことです」
淡々と答えるメイに、朱鳥は小さく微笑んだ。だから、彼女は手助けをすると言ってこの申請を送ったのか。
蔦に拘束された左腕の装甲は諦めて、パージするように生身の手を曝け出し、ARのウィンドウの『YES』タブに触れた。
また軽快な電子音が流れ、無事にスクワッドとやらが結成されたことが告げられる。
「――あん? ギアをパージするって、自分だけ逃げる気? でも残念。腕や足はパージできても、胴体部分のパーツは外せない。だから、結局最後まで僕が潰してあげるよ」
にやにやと嫌らしい笑みを浮かべながら、また新見が朱鳥へと銃口を向ける。
だが。
「させないよ。――だって彼はもうわたしの仲間なんだから」
声があった。
瞬間。
オレンジ色の閃光が朱鳥と新見の間を駆け抜けた。
駆け抜けた一条の光は、その軌跡にあった全ての木々を抉っていた。穴の開けられたそれらは自重にすら耐えられず、みしみしと音を立てて崩れていった。
その光景に、新見はただ眼を剥いていた。
「……どういうことだよ。『ベルセルク』だって……? なんで、あんたみたいなプレイヤーがここにいるんだよ……っ」
その光の源には、一機のクラウンギアが佇んでいた。
二メートルを超す機体の全長にすら匹敵する銃身の、巨大な狙撃銃があった。
漆黒の装甲には、稲妻のように黄金の紋様が走っていた。背には朱鳥のイクスドライヴにも似た翼があったが、それすら漆黒に塗り潰されている。いっそ禍々しいとさえ思えるのに、どこか高潔さすらある、そんなクラウンギアだった。
その中央に座していたのは、一人の少女だった。
長い少しウェーブのかかった栗色の髪が風にたなびく。華奢でたおやかな、まさに深窓の令嬢なんて言葉の似合う大人しそうな女性だった。けれど、琥珀色の瞳は真っ直ぐに新見を射抜いていて、その力強さに朱鳥すら震えそうになる。
「引き下がってもらえるとありがたいなぁ、アルケミストくん」
「……聞いてないぞ。何でVer.2.4のクリアプレイヤーのあんたが、こんなどこにでもいる新人に肩入れするんだよ……っ」
「君が勝負を仕掛けたのと同じ理由かな。イクスドライヴはかなりのレアだもんね」
「チッ」
盛大に舌打ちして、新見はサブマシンガンを降ろした。
「ヤメ、ヤメ。こんなの興醒めもいいところだよ。どうせ今のダメージ量の差じゃ、時間切れになっても僕の勝ちだし」
「物分かりがよくて助かる」
「……でもさぁ。僕も馬鹿にされたままでいるのって大嫌いなんだよねぇ」
そう言って、新見はギロリと朱鳥を睨む。
女の振りをしていたときのあの柔らかな視線はそこにない。獰猛な、それこそ獣みたいな瞳で朱鳥をねめつけている。
「次にアリスゲートを一人で歩いていたら、僕は全力でおにーさんをぶっ潰すからね?」
そう言って、新見はふっと樹海の奥へと姿を消した。ギアの機械音が遠ざかった後には、しん、と辺りが静まり返っていた。
ややあって、彼のジェイドグローヴが一定距離を離れたからか、空気に解ける様に辺りの樹木がひとつ残らず消えていった。あれほど縛り上げていた蔦も外れ、パージされた左腕がごとりと割れたアスファルトに落下した。
視界には『LOSE』の文字が浮かんでいるが、もはやどうでもいいことだった。とにかく、まだ生きている。そのことに安堵し気が緩んで、腰が抜けそうになっていた。パワードスーツであるギアに支えられていなければ、その場に座り込んでいたことだろう。
「……まぁ、無事な方かな」
そんな朱鳥の右腕を見ながら、彼女――ミツキはそう困ったように笑って、朱鳥へと手を差し伸べてくれた。
「初めまして、アスカくん。――とりあえず、よろしくね」