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第三章 わがままな未来 -3-


 間に合った、と朱鳥は安堵のため息をつく。

 だが、それはまだスタートラインに立ったに過ぎない。ここから先が、正念場だ。


「……アスカくん」


「センパイ」


 二人の呼びかけが朱鳥の鼓膜を震わせる。

 決して大きな声ではない。ただ、彼女たちも戸惑っているのだろう。この状況で割って入ったと言うことは、どちらかの加勢をすると心に決めたと言うことだから。


 ――その期待は、裏切ることになる。

 思わず足が震えた。それでも、逃げることは出来なかった。

 何よりも護りたいものがある。何よりも譲れないものがある。――だから、朱鳥大輝はたとえ二人と決別しようとも、この場に立つと決めたのだ。


「アスカくん。お願いだから、雪乃ちゃんを止めて」


 そのミツキの懇願が、鼓膜に嫌に刺さる。思わず二つ返事で引き受けたくなってしまう。そんな魔力みたいなものがあった。


「……それは、出来ないですよ」


 だけど、朱鳥は首を横に振った。


「それは雪乃を助ける為に、ミツキさんが傷付くのを黙って見てろってことでしょう? そんなの、俺には耐えられない」


 朱鳥はそう答える。そして、「だから」とウィンドウを操作して一つの申請を叩きつける。


「脱退……ッ!?」


 それは、スクワッドの脱退申請だ。受諾されようとされまいと、二人しかいない以上、システム的に自動でスクワッドは解散となる。


「だから俺は、あなたに牙を剥くと決めたんです」


 既に朱鳥の乱入は済んでいる。この状態でスクワッドが解散したことで、戦闘はバトルロワイヤル形式へと変貌する。――ミツキを相手に刃を向ける権利を得るのだ。


「センパイ。あたしを手伝ってください。お姉ちゃんを護る為に」


 可愛い後輩の頼みが、朱鳥に甘く響く。あぁ、と頷いてその手を取ってしまいたいくらいだ。思えば、こんな風に雪乃が朱鳥を頼ったことなんてなかったかもしれない。


「……それは、出来ねぇよ」


 だけど、朱鳥は首を横に振った。


「それはミツキさんを止める為に、お前が『不死身』の呪いを解くことを諦めるってことだろう? そんなの、俺には耐えられない」


 それもまた、朱鳥には選べない選択肢だ。その二律背反の問答に朱鳥は散々苦しめられた。

 だから、朱鳥は閉じこもっていた。どちらを選んでもどちらかが犠牲になる。そんなの、どうしたって認められないから。


「だから」


 声が上ずる。

 二人から向けられる敵意の圧力に、心が軋んでいく、

 それでも、朱鳥はその唯一得た答えで、二人との道を分かつ。


「俺が、SoCをクリアする。雪乃の不死身は俺が解く。ミツキさんが傷付く必要もないんだよ。――俺が二人を倒してでも、二人共を救ってやるんだから」


 それが、答え。

 どちらかなんて選べないなら、初めから、どちらも選ばずにどちらも選んでしまえばいい。

 そんな子供の我がままみたいな理屈を押しとおしてでも、朱鳥には護りたいものがあるのだから。


「……ふざけてるんですか」


「本気も本気だ」


「そんな軽く、SoCがクリアできるとでも思ってるんですか……っ」


「思ってねぇよ。だけど、やってやる。――いいから黙ってろよ、雪乃。お前にはメイド服着せて文化祭出させるって決めたんだ。姉妹喧嘩してる場合じゃねぇよ」


 意地悪な笑みを浮かべて、朱鳥は雪乃を指差す。その内容に、雪乃はただぽかんと口を開けていた。


「アスカくん。いま退いてくれるなら許してあげてもいい。――お願いだから、これ以上雪乃ちゃんを戦わせないで。雪乃ちゃんを苦しめないでよ……っ」


「……一番の元凶が、一番苦しんでる人が何を言ってるんですか。俺は、ミツキさんだって救う。これ以上傷つけさせもしない。そう決めたんです――全部終わったらクリスマスデートしてもらいますからね? 包帯ぐるぐるとか勘弁ですから」


 そんなどうしようもない理由でも、命を懸けていいと思った。懸ける価値があると思った。

 だから、朱鳥大輝はここにいる。


「……出来る訳がない」


「そんなことが出来るなら、あたしはお姉ちゃんに刃を向けたりしていない」


 二人が同時に朱鳥を睨む。

 それもそうだろう。このバトルロワイヤル方式において、朱鳥は間違いなく蚊帳の外だ。ミツキと雪乃、どちらかがどちらかに勝った時点でトリニティエンプレスのパーツは片方に移譲されてゲームは終了だ。――であれば。


 彼女たちにとってみれば、自らの策の邪魔になるかもしれない第三者の排除が最優先だ。朱鳥の存在にデメリットはあってもメリットはないのだから、ミツキと雪乃の間で利害は完全に一致している。


「ったく、さすが姉妹だな。そういう表情はよく似てる」


「ご主人様。戦闘時間が無制限に設定されているとはいえ、呑気に話している場合ではありませんよ」


「分かってるよ」


 そう言って、朱鳥は右手のシリウスを畳み、スラスターモードにして背中のアタッチメントに納めた。これで、スラスターのシリウスは三基になる。

 そのまま両足から近接ブレードのムリフェンとウェズンを抜き払い、構える。


「行くぜ」


 その掛け声は、自らを奮い立たせる合図でもあった。

 躊躇わず、朱鳥は一気に踏み込んだ。同時、機巧能力によってシリウスが火を噴いた。もはや朱鳥には視界すら失われるほどの速度で、彼はそのブレード二本を雪乃へと叩きつけた。

 流石にここまでVer.4.1のクリアに肉薄したプレイヤーだけはあって、その一撃にすら雪乃は反応していた。機巧能力を駆使している氷の盾を展開し、その一撃を受け止めて見せる。

 それどころか、そのままムリフェンとウェズンを無力化せんと、氷が二つの刃を呑み込み始めていた。

 ミツキの対処は完璧と言ってさえいいだろう。

 けれど。


「それでいいよ、雪乃」


「な、にを――っ!?」


 問いかけることさえ許さなかった。

 背に三基も専用のスラスターを配備したイクスドライヴの全速力だ。対抗できる推進力もない雪乃に受け止めきれるはずもなかった。


 ――そもそも、これこそが朱鳥の狙いだった。

 瞬く間に、ミツキと雪乃を遠ざけていく。


「――ッ! やられた!!」


 ミツキが慌ててスラスターを全開にして朱鳥を追おうとする。

 ――だが。


「駄目だよ、ミツキ。ここでの足止めは僕の仕事だ」


 そんな声があった。

 同時、朱鳥とミツキの間を分断するように、緑の壁が出現した。――いや、それは正確には夥しいほどの木々を内包した樹海。全長が何十メートルにも及ぶ、化け物じみた樹木の暴力だ。


「アルケ、ミスト……ッ!!」


 その存在に、ミツキは銃口を向ける。すぐ傍にいた深緑の機体の操縦者は、しかし怯える様子もない。

 当然だった。引き金を引こうとしても、ロックがかかって動かないのだ。


「無駄だよ。対戦以外でプレイヤーは相手を傷つけられない。僕のこれは、たまたま機巧能力の練習をしたらあんたたちの試合に割り込んでしまっただけ。直接的な被害はないでしょ?」


 そんな詭弁でも、システムの隙間は縫える。この結果がこれだ。

 いくらミツキでもこの樹海を即時突破するだけの火力はない。スラスターを全開にして空へ出れば、とも思うが、朱鳥のイクスドライヴの『発火能力』と違って、ベルセルクには通常のクラウンギアと同じでスラスターの使用には制限がある。どうにか追いつけたところで、スラスターの中の推進剤が空になってしまっては致命的だ。


「ふざけないで……っ」


「僕に怒らないでよ。発案者は、あんたをデートに誘っておきながら妹に手を出してるそこのクズ男なんだから」


「人聞きの悪いこと言ってんじゃねぇよ!」


 未だ雪乃を押し出すような形で高速の滑空を続けながら、通信機越しに朱鳥は吠える。


「……こんな足止めじゃ、どの道すぐに追いつくよ」


「いいですよ。それまでにこっちはこっちで片を付けますから」


 そう言って、朱鳥は雪乃と向き合う。


「――っの、離して下さいよ!!」


 こんな状況でも敬語を忘れない雪乃に感嘆するが、残念ながら放さないのは雪乃の氷の盾だ。朱鳥が望んで掴んでいる訳ではない。

 シリウス三基の全速力だ。メイにスラスターの操縦を完全に委譲してある為危険はないが、それでも時速数百キロの世界。車や何かであればまだマシだが、身体を露出するパワードスーツでこの速度では相当以上の恐怖だろう。まして、雪乃の方は背面だ。見えないという恐怖が更に動きに制限をかける。

 ここで無理に朱鳥を振り払えば、下手をすれば地面に激突してその衝撃でギアが砕け散る。そのことを把握しているから、雪乃も実際には動けずにいるのだ。

 ものの数分で、朱鳥たちは中央都市のセントラルを抜け、その奥にピザのピースみたいに広がっている『砂漠ステージ』を抜けて、アリスゲートの外周を囲む海が見える位置まで飛び出した。


「ここらでいいか」


 ほとんど海岸みたいな砂漠で速度を緩めると、雪乃もこれ以上は耐えられないとでも言いたげに氷の盾を消し去り、朱鳥から離れた。

 氷の盾に侵食されたムリフェンとウェズンは、刃が完全に氷に覆われて使い物にならなくなっていた。諦めて朱鳥はそれを捨て、砂漠の中に沈めた。

 ようやく海のにおいを感じ取れて、朱鳥は一息つく。だが、雪乃の方は今にも殺しそうなほどの形相で朱鳥を睨んでいる。


「どういうつもりですか、センパイ。まさか海でデートがしたかったとでも言う気ですか?」


「お前のサイズじゃ水着に希望が持てねぇな……」


「どこ見て言ってんですかね、センパイ……っ」


 少し頬を紅くしながら、彼女は朱鳥を強く睨む。

 先程までの敵意の中に、うっすらといつもの日常が垣間見えた気がした。


「……やっぱり、そうだよな」


 その様子に、朱鳥は思わず笑みを零した。


「お前たち姉妹が追い詰められてるのは分かってるつもりだ。――だけど、俺はお前たちが笑ってる姿ばかりを知ってる。それが違和感だった」


「何を言ってるんですか……っ?」


「姉の為、妹の為、自分はどうなってもいいなんて言っているけれど、それでも日常が捨てられなかった。だからお前は毎日真面目に部活に来てた。だからお前のお姉ちゃんは俺とコイバナでもして盛り上がってた」


 そうして、彼女たちは一時でも笑っていた。互いの背負った罪や後悔などを、少しでも忘れていた。――そうでもしないと、心が耐えられないから。


「本当は、こんなことしたくないんだろ。姉も傷付かない、自分も助かる。そんな未来が欲しかったんだろ。――だったら、諦めんじゃねぇよ」


 彼女たちは口では諦めたように振舞っている。実際にクラウンギアに乗っている間は、その覚悟は滾るようだった。

 だけど、心がそこまで修羅になれなかった。

 だから日常を求めていた。片時でもSoCを忘れられる時間を求めていたのだ。それは責められるべきではない。むしろその逆。大事にしなければいけない感情だ。――今みたいに、悔恨と敵意で覆い尽くしてしまっていいようなものでは決してない。


「笑えよ、雪乃。俺はお前が笑ってる顔、好きなんだぜ?」


「……悪いですけど、今はそういう冗談に付き合う気分じゃないです」


 がしゃり、と音を立てて雪乃は右手に握った氷の刃を突き付ける。

 自らの日常と決別するかのように。すっと、その顔から表情というものが消えていく。


「退いて下さい。あたしはお姉ちゃんを止めなきゃいけない」


「……それで、お前が『化け物』のままになっても?」


 朱鳥はあえて、その言葉を選んだ。

 雪乃が自ら口にして、そしてそれ故に姉を酷く傷つけたその言葉を。


「……センパイ……ッ」


「言ったろ。俺がこのセイヴ・オブ・クラウンズをクリアしてやる。お前ら二人とも揃って助けてやるって。――だから、自分を諦めるんじゃねぇよ、姫咲雪乃」


「……そんな言葉を、どう信じろって言うんですか……っ」


「言葉だけで信じてもらおうなんて思ってねぇよ。――人は『かもしれない』なんて可能性に価値を見い出せないって、俺はお前の姉ちゃんに教わったんだ」


 それは、朱鳥の胸にすっと落ちた価値観だった。それは信じて進んでいける、朱鳥を突き動かす原動力になった。


「人は結果でしか価値を示せない。その通りだよ。過程が大事? 想いが大事? 違うよ。結果があるから、過程に意味が出てくる。想いに意味も持たせられる。――だから」


 そう言って、朱鳥は背のシリウスを一本抜き払う。


「お前たち二人を下して、見せつけてやる。お前の先輩は、ミツキさんの助けたプレイヤーは、このSoCをクリアできるほどのプレイヤーだってな」


 その啖呵に、雪乃は顔を歪めた。


「出来ません……っ。そんなの、出来る訳がない!」

「否定したいなら俺に勝って見せろよ。――悪いが、俺も引かねぇぞ。お前たちの背負ってる色んなものを全部無視してでも、俺は自分の我がままを通すって決めたんだ」


 だから、ぶつかり合わなければいけない。

 その為の戦いだ。


「……死んでも、知りませんからね」


 最後に、雪乃はそう言った。ここから先は容赦しないと、そう言っている。

 それに、朱鳥も応える。


 直後。

 激突があった。


 朱鳥が振り下ろした二メートルを超える大剣を、雪乃は氷の盾で最小の時間だけ触れてそれを往なす。決して止めることの出来ないはずの絶対切断の刃でも、最大出力の機巧能力には対等レベルにまでは持ち込まれる。


「これ、ぶち壊せないのかよ……っ」


「昔、イギリスが考えた空母に氷山をくり抜いて作ると言うものがあります。『水をかければ凍って再び氷の装甲の傷を塞ぎ、決して沈まない』と考えられていたそうですが」


 助言を求める朱鳥だが、メイは首を横に振ってこう答えた。


「要するに、これがそうだってことかよ……。あぁ、クソ。その馬鹿げたこと考えた人間を馬鹿に出来ない現実が目の前にあるな……っ」


 何度シリウスを振り降ろしても、雪乃の盾はそれを往なし続ける。一瞬でどれほど深く傷を入れても、即座に氷が再生してくるのだ。破壊しようと思って出来るものではない。

 これは既に分かっていた。だから、ここから先だ。

 僅かに、意識を雪乃から逸らす。その余白に滑り込むように、朱鳥の未来視が発動してほんの数瞬先の未来の映像を得る。


「――来ます」


 メイの言葉と共にアラートが鳴る、だが、それより僅か早く朱鳥はシリウスを引いて背後を振り向き、左の『アルシラ』プラズマシールドで攻撃を防いだ。

 そこには、朱鳥が直前の未来視で見た通りに、ホワイトグレイスの肩から射出されたあの自立砲門があった。氷を纏い、背後から敵機を串刺しに出来る巨大な氷柱と化している。

 だが、その機巧能力は彼女の盾や剣ほどではないらしい。プラズマが氷に触れた瞬間に一瞬で水蒸気になり、ほとんど爆発じみた衝撃をまともに受けて崩れるように墜落した。


「流石に、クリアだなんて豪語するだけはありますね。死角からのアヴァランチの攻撃に防御を間に合わせるなんて」


「誉めたって飴くらいしかあげねぇぞ」


「要りませんよ。――ただ、そうですね。あまり長引かせるとこちらの戦力が減るっていうのは、お姉ちゃんとの戦いを前に不利ですね」


 とっくに勝つつもりの雪乃に、朱鳥は舌打ちする。――だが、反論できない。それだけのレベル差が、朱鳥と雪乃の間には存在する。

 たった一人でトリニティエンプレスのパーツを四割以上も集めていたのだ。それこそ、アウディやミツキみたいに古いバージョンのSoCからいる古参プレイヤーを相手に賭け《アンティ》で勝って来たのだ。

 くぐった修羅場の数は計り知れないし、昨日今日でプレイヤーになったばかりの朱鳥に同行できる相手とは思えない。


「仕留めますよ」


 言って、彼女は一度肩のベースユニットに戻った自立砲門――アヴァランチを再度展開する。そうしながら、左手で背から剣を抜き払っていた。

 アヴァランチが七基、刀は左右の二振りだ。事実上、これだけの同時攻撃に朱鳥は耐えなければいけない。

 だが、出来ないとは思わない。

 どれだけ言ったって、これはクラウンギア同士の戦いだ。出力の上限はあらかじめ決まっているし、それもこうして一騎打ちの準備を整える間に、戦闘映像を見て把握した。

 だからこそ、雪乃とミツキを分断すれば勝機はあると確信したし、こうして向かい合っているのだ。

 ――なのに。


「悠長にチャンバラに付き合ったりはしませんよ。とりあえず、一段階上げます」


 そう言って、雪乃は片手をギアから脱し、スカートのポケットに突っ込む。

 何をするのか分からなかった。――だって。取り出したのは、ただの映画の半券だ。


「何だ……?」


「あんまり、これ自体に思い出はないと思うんですけどね」


 雪乃がそう言ってひらひらと振ると、その半券が燃えた。だが、そのはずなのに、何故か炎がその紙を包んだ後勝手に消えた。半券には焦げ跡一つない。

 瞬間。

 最低限の距離を保っていたはずの朱鳥の眼前で、透明な刃が煌めいた。


「――ッ!?」


 理解するより先に、身体が動いた。

 とっさにその剣を弾く。

 その反応が出来たことに自分でも驚いた。遅れて心臓が早鐘のように打ち鳴らされ、呼吸まで早くなる。


「まぁ、そうですね。この程度じゃこの一瞬の突撃が限度でしょうね」


 そう言って、諦めたように雪乃は言う。

 何が起きたのか朱鳥には未だに分からなかった。この一瞬の加速は、どう考えたってあり得ない。そもそもクラウンギアの最大出力を超えているのだ。朱鳥のように機巧能力でスラスターが強化されているならまだしも、そうでないなら理屈に合わない。

 だが、それを為したと言うなら。


「これがお前の能力だって言う気かよ……っ」


『――聞こえる? アスカくん』


 驚愕する朱鳥に、ミツキからの通信が入る。


「何ですか、今ちょっと妹さんと遊んでるんですけど」


『そういう軽口、今は要らないよ。――お願いだから、退いて。知らないみたいだから教えてあげるけど、雪乃ちゃんの能力は『犠牲』――物体に宿る自分の記憶をエネルギーに変換するっていうものなの』


「記憶を、エネルギーに……?」


『つまり思い出の品から思い出を消し去って、彼女はそれを力にするの。これ以上、彼女から大切なものを奪わないで……っ』


 ミツキの懇願に、朱鳥は舌打ちした。通信機の向こうで、彼女が涙をすすっている。

 雪乃の手で燃えたように見えた映画の半券は、おそらくこの前朱鳥と共に観たものだ。そんな半券を大事に取っておいてくれるくらいには、あの日を楽しんでくれたのだろう。


 ――だけど、彼女はそれを燃やした。

 それをエネルギーに変えてまで勝とうとした。


「ふざけんなよ……っ」


 そうまでして、姉を止めたいと思うのはいい。その気持ちはきっと何よりも尊ぶべきものだ。

 だけど。

 それでいま、ミツキは泣いている。

 そんなことが雪乃のしかったことの訳がない。そんな矛盾を見なかったことにして、気付かなかったふりをして、拳を振り上げている雪乃が、どうしたって許せない。


『お願いだから、もう退いてよ……っ』


「……駄目です。それなら尚更、ミツキさんとはやり合わせられない」


『どう、して……っ』


「ミツキさん相手じゃ、雪乃は手を抜けない、油断も出来ない。だから全力で犠牲を発動するでしょう? それじゃあ、あいつの思い出は何も残らない。そんなのは駄目だ」


 朱鳥が戦えば、雪乃は僅かに手加減する。大事な大事な、それこそ一番のエネルギーを得られるような思い出はミツキとの対戦に取っておこうとするはずだ。

 だからこそ、朱鳥が戦うことに意味がある。


「俺なら、あいつに犠牲を必要以上に使わせずに済む。だから、待っていて下さい」


 息を吸い、その瞳に覚悟の光を載せて、朱鳥は吠える。


「あなたの妹は、俺が救ってみせる」


 そして、朱鳥はミツキとの通信を強制的に切った。この発言を聞く限り、ミツキもすぐには駆けつけられないだろう。アルケミストの樹海を突破したところで、物理的な距離が開きすぎている。


「……お姉ちゃんと話でもしてたんです?」


「お前の能力を聞いた。だから、これ以上はお前に犠牲を発動させる訳にはいかないな」


 シリウスを握り締め、朱鳥は言う。

 どの道、朱鳥は短期決着で勝負を付ける気でいた。時間無制限とは言え、そもそも持久戦のノウハウが朱鳥にはないからだ。

 いくらパワードスーツで戦うとは言え、生身の身体も消耗する。雪乃、ミツキの二連戦となれば長引かせるほど危険が迫る。

 今さら持久戦の選択肢がなくなったところで関係ない。

 だが、朱鳥の決意とは裏腹に、雪乃の方は何かを諦めたみたいにため息をついた。


「……なるほど。でも、それもそうですね。あたしにとっても、何度も犠牲を乱発する流れは好ましくないですし」


 そう言って、彼女は左目を閉じて、そこに手を当てた。


「なにを……」


「犠牲は蓄積された記憶をエネルギーに変換します。だから、古い思い出の品ほど高いエネルギーを得られる。――だったら、一番古いものは何でしょうね?」


 雪乃が言うと同時、真っ赤な炎がその手の内でちらついた。

 その正体を理解して、朱鳥は驚愕と恐怖に顔を染めた。


「お、前……ッ!」


「答えは、あたしの体そのもの。細胞は四年で入れ替わる、なんて言いますけど、そもそも眼球内細胞は新陳代謝を行わないですし。十五年以上の蓄積された記憶、全部燃やし尽くせばどれほどになると思いますか?」


 甘く見ていた。

 彼女はもう、この戦いで眼球一つ失うことになっても構わないと、そう言っているのだ。

 同時、彼女は突撃する。

 シリウスで加速しているイクスドライヴにすら匹敵する速力で、彼女の氷の刃が迫る。


「――ッ」


 それをどうにか往なすが、打ち合う度にギアの関節が悲鳴を上げる。ホワイトグレイスの機巧能力のせいで、シリウスのプラズマは温度を失い消えていく。ほとんどただの金属塊と氷の刃の剣戟だ。

 こちらを見つめる彼女の左目に、光はない。蓄積された記憶を失うということは、彼女自身との繋がりさえ断つということなのだろう。もう既に、彼女の視界は左側を失っている。


「何してやがんだよ、雪乃……ッ」


「左目の一個も捨てる覚悟がないと思いましたか? あたしはお姉ちゃんを救う為なら、子の身体のほとんどを失ったっていいんですよ。――センパイ、舐めないで下さいよ。あたしたちの覚悟は、センパイが思ってるような安いものじゃない」


 犠牲の力で底上げされたホワイトグレイスのスペックは、もはやあらゆる面でイクスドライヴを凌駕している。ギリギリで攻撃を防げているのは、ほとんどサポートAIのメイ任せにしているからだ。


「――ご主人様、このままでは確実に当機は破壊されます」


「分かってる、けど……ッ」


 先程からARの中で破損状況を示すアイコンが黄色に点滅している。ホワイトグレイスの軌道に追いつく為に、かなりの無茶を強いている影響だ。

 剣閃の威力を殺す為に、朱鳥はどうにか後退を繰り返す。砂漠のステージを抜け、とうとう背後には海との境が迫っている。

 それを見たからだろう。ここが勝機とばかりに雪乃は更に攻め立てる。

 後退の幅を減らすように努力したって、限度がある。瞬く間に追い詰められていき、ついに朱鳥は水面がかかとから僅か数センチのところにまで来ていた。これ以上はもう、下がれない。


「逃げられませんよ、センパイ」


 勝ち誇ったように、雪乃は笑う。

 文字通りの崖っぷち。これ以上の逃げ場はない。

 ――()()()()()()()()()


「あぁ、そうだな。俺じゃなきゃな」


 最後にするつもりであろう雪乃に一閃に対し、朱鳥は防ぎさえしなかった。

 朱鳥は躊躇なく、その先にまで後退したのだ。

 ホワイトグレイスの一閃は朱鳥の鼻先を掠めるだけで、届かない。

 落ちると、彼女自身が思ったのだろう。だが、そもそもの前提を忘れている。

 背面でスラスターのシリウスが激しく燃える。空へと逃げる形で、海の上にまで朱鳥は活動半径を伸ばしていた。


「――あぁ、なるほど。センパイがこんなところまで引き寄せたのはその為ですか。あたしのホワイトグレイスにはスラスターに制限がある。ずっと空中戦なんて出来ないし、当然、水中での戦闘の用意もない」


「お見通しかよ」


「センパイがそこまで演技が上手とは思いませんでしたけど」


「軽口叩いてる場合か? 悪いけど、この時点で形勢は逆転だぞ。――これ以上、お前に犠牲を使わせもしない」


 この状態でヒットアンドアウェイを繰り返せば、雪乃は朱鳥に反撃できない。朱鳥の方が圧倒的な優勢に立っているのだ。

 その上、雪乃が朱鳥との戦闘を見限ってミツキの元へ向かおうとすれば背中を斬れるし、朱鳥に立ち向かおうとしても無限に飛び続けられない以上はどこかで落ちる。その先が海の中なら、水中戦闘仕様にしていないホワイトグレイスでは身動きが取れない。

 チェックはかかっている。


 ――はずなのに。


「甘いんですよ、センパイ」


 ホワイトグレイスが左右に本の剣を逆手に持つ。そして、躊躇なく彼女はそれを海面へと突き刺した。

 瞬間、ピシリという音が鼓膜を叩きつけた。ヘッドギア越しにも響くその轟音の正体に、朱鳥は身震いした。

 見下ろした海面が、真っ白に凍りついていた。


「海面なら戦えない? 冗談でしょう。あたしにそもそも用意された足場なんて必要ない。このホワイトグレイスの機巧能力さえあれば」


「……冗談きついぞ……っ」


「この程度で有利に事を運べると思っていたなら、センパイも所詮センパイですね」


 そう言って、彼女は氷の大地を踏みしめる。二トン以上はあるクラウンギアが踏んでも、割れる気配はない。かなり深部まで凍らされているのだろう。

 二本の剣は氷に差したまま、おそらく温度を保っているのだろう。雪乃はその状態で、背に残っている最後の二振りを抜き払った。

 もはや、朱鳥の優勢などこの時点で覆っている。


「そのクラウンギア。使えなくなるまでぶっ壊しますよ。もう二度と、あたしの邪魔をさせない為に」


 結局、朱鳥には雪乃とのレベル差を埋めるような真似は出来なかった。

 ただ無駄に雪乃に犠牲を発動させ、彼女の瞳を奪っただけ。

 ぎりっ、と奥歯を噛みしめて、朱鳥は胸を締め付けるような罪悪感と後悔に耐える。


「……ご主人様」


 メイが呼びかける。それが、合図だった。


「……これは、もう駄目だな」


 そう言って、朱鳥は構えていたシリウスを降ろした。

 雪乃はその様子に目を丸くして――けれど、どこか安堵していた。これ以上戦い合わなくていいのだと、そう安心しているように朱鳥には見えた。


「……あぁ、俺の負けだ」


 そう言って、そのままシリウスを放り投げる。氷の大地に、その重い刃が突き刺さる。


「……この策が失敗した時点で勝機なんかねぇ。そもそも、二人とも格上なんだ。一朝一夕のアイディアでどうこう出来ると思った方が間違ってたか」


「賢明な判断です。――そういう素直なところは、センパイの好きなところでしたよ」


 そう言って、雪乃は朱鳥に切先を向ける。

 もはや諦めている朱鳥には、即座に追撃する必要がないと思っているのだろう。朱鳥が自らの意思で倒されに来るのを待っている。


「あぁ、そうか。――ただ、一つだけ言わしてくれよ」


 そう言って、朱鳥は彼女を指差す。



「俺が素直? 冗談だろ。二連続で騙されんなよ、ばーか」



 言葉と同時だった。

 視界が白色に染め上げられる。叩きつけるような、文字通りの爆音。それはもはや空気の壁となって二人の身体を押し潰すようだった。

 それは、真っ白な爆発だった。

 数瞬遅れるようにして、異常な熱さと共に真っ白な霧が辺りに立ち込める。


(これ、何が――ッ!?)


 雪乃が何かを喋ろうとするが、声にならない。下手に口を開ければ喉が焼けただれることを、本能が理解していたのだろう。

 だが、彼女自身はまだ気付いていない。その証拠に、雪乃は未だにその真っ白な水蒸気の中に取り残されている。


「シリウス一基の機巧能力をギアの安全装置セーフティを外してまで解放したんだ。お前の氷くらい一瞬で水蒸気に変えられる」


 そして、通信機越しに朱鳥は笑う。

 ここまで、計算尽く。

 大海ステージの見える位置で、しかし砂漠に雪乃を降ろした時点で、この筋書きまで考えていた。――そうでもしなければ雪乃に勝てないことくらい、一度手を合わせた彼にはよく分かっている。

 爆発の手前でスラスターを全開にし、朱鳥は爆発の圏内から脱していた。

 立ち込める水蒸気は一〇〇度以上の熱を持っている。出来れば彼女を傷つけるような真似はやりたくはなかったが、雪乃が『不死身』だから出来る無茶苦茶な煙幕だ。

 この時点で、光学的、熱学的な知覚は役に立たない。雪乃の他の兵装も、機巧能力を発動させようにも周囲の熱が邪魔をする。

 足場が揺れるのが見える。あの分厚かった氷が衝撃で砕かれたからだ。既に、いかだのように氷の層は砂漠ステージから遠のいていく。


(――とにかく、今は逃げるしかない……ッ)


 このままでは海上に取り残されるが、既に雪乃の氷の剣は二本が手から離れている、あの爆発の中では回収は難しいだろう。であれば、実質あと二本でもう一度足場を成型し直さなければいけないが、呑気にそれを許すほど朱鳥も甘くない。


 ――だから、彼女はその真っ白な煙の中から脱して砂漠へと戻ろうとする。最優先すべきは、足場の再確保だから。それが出来なければミツキと戦う前に雪乃の敗北だ。

 左目を犠牲にしたエネルギーがまだ残っているのだろう。純白の機体が、通常ではあり得ない出力で、まるで砂地を求めるようにその白い煙の中から飛び出してくる。


「――ありがとう、雪乃。分かりやすくて大好きだぜ、お前」


 それを。

 知っていたかのように。

 朱鳥の機体が真横から激突する。


「な、――ッ!?」


「こうすれば、お前は絶対に足場を求める。後ろにも上にも飛び出さないで前だけに突進してくれる。それさえ分かっていれば、俺もタイミングを合わせられる。――片目を捨てたのが災いしたな。これでも反応されるか五分五分だと思ってたけど、死角を突けるなら必勝だ」


 背面のスラスターはシリウス一基。右手にはもう一つを大剣に変化させ握り締めている。

 それを振り上げ、朱鳥は悲しげに笑う。


「悪いな、熱かったろ。左目まで使わせちまった。あとで死ぬほど謝る。俺の目が欲しいならくれてやってもいい。だから、今は待っててくれ」


 一閃があった。

 その一撃は容赦なくホワイトグレイスの背面のバッテリーを切り離し。

 朱鳥に『Win』の文字と共に、トリニティエンプレスのパーツの所有権をもたらした。


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