第三章 わがままな未来 -2-
高周波ブレードと、氷の刃が激突する。
ミツキの纏う漆黒のギアと雪乃の纏う純白のギアが、ゼロ距離で睨み合う。
既に、戦いは始まっていた。
トリニティエンプレスのパーツは、この時点でミツキと雪乃の二人意外に持っている者がいない。つまり、勝った方の総取りだ。
下手に引き訳なんて結末を残さないように、ミツキも雪乃も合意の上で時間設定を無制限に変更している。つまり、どちらかが倒れるまで決して終わらない。
その一片の優しさも残っていない死闘の開幕。
ミツキと雪乃の互いの斬撃が正面からぶつかり合っていた。
物理的には切断できないはずのない氷の結晶ごときに、しかし高速で振動するブレードの刃がまるで進まない。
「機巧能力の氷の刃を相手に、汎用武装の高周波ブレードでどうにかできると思ったの?」
妹の声がして、思わず彼女は舌打ちした。同時、振動していたはずの刃がみしりと嫌な音を立てる。
「――ッ。この刃ごと凍らせられるか……」
歯が氷を呑み込んでしまい、とうとう高速振動すら出来なくなっている。
諦めて、ミツキは高周波ブレードを背面に締まった。氷が溶けるまでしばらく使用できないだろう。
「もう退いてよ、お姉ちゃん……っ」
雪乃の声がする。だけど、ミツキは首を振った。
これは弱い自分の心の生み出した幻だ。
だって、あり得ない。
彼女が自分を許してくれるはずがない。
彼女が呪いを諦めて自分を護ろうとする理由がない。
だから、目の前で泣きそうになっている彼女の表情すら、ミツキが自分勝手に生み出した幻想なのだ。
「雪乃ちゃんを相手に近接戦闘はやっぱり不利だったね……」
それを再確認して、ミツキは雪乃と距離を取った。そうすれば、少なくとも間近で顔を見ないで済む。
本当は近接戦闘の方が良かった。何故なら、銃撃になれば弾が逸れる可能性がある。彼女のギアだけを破壊して無力化したくとも、誤って彼女自身を傷つけてしまう可能性があるのだ。
もちろん、彼女の呪いは健在。不死身である以上、そんな傷も瞬く間に治してしまうだろう。――だけど、それは駄目だ。
自らの罪を見せつけるようなその不死身の力を前にして、自分が平静を保っていられる自信がミツキにはない。だから、絶対に彼女自身を傷つける訳にはいかないのだ。
だが、ベルセルクの武装は基本的に遠距離特化だ。機巧能力『発電能力』を発動できるスナイパーレールライフル『アンバーレイル』は、理論上の有効射程は二十四キロメートルにも及ぶ。いくら出力を落としたって、出来るなら彼女にこの銃口は向けたくなかった。
バックステップで更に距離を取ろうとするミツキに対し、雪乃もそれ以上距離を開くまいと右肩の兵装――『アヴァランチ』から自立砲門を射出する。周囲に雪を撒き、自身のフィールドへと変貌をさせる為だ。
だが、その手には乗らない。
ミツキもまた背の翼から同様の自立砲台『インセクト』を展開する。周囲に漂うそれは、瞬く間にミツキの周囲に放電の檻を作り上げた。
雪乃のアヴァランチから放たれた真っ白の雪も、その紫電の檻に触れた瞬間に弾けて消える。
白の空間と紫の空間が、押し合うようにその領域を主張し合う。互いの機巧能力は確実に拮抗している。――だが、これで少なくともアスカのようにホワイトアウトさせられ身動きが取れなくなる、などという状況は回避できた。
それでも状況は依然、ミツキの不利だ。
例え白の空間の侵略を阻んだところで、雪乃の姿がその奥に隠れてしまっていることに変わりはない。機巧能力で拡張されているレーダーを使用しても、これだけの密度の雪の奥にある敵影など捉えられない。
――と。
きっと、雪乃はそう捉えている。
「その程度で諦めてしまえるほど、わたしの罪は軽くない」
呟いて。
雪乃の姿も視認できない真っ白な空間に、ミツキは銃口を向けた。
「シドウ」
「なンだよ、マスター」
ミツキの呼びかけに、視界の端に浮かび上がった成年が答える。
彼の名はシドウ。ベルセルクに付随したサポートAIだ。
「インセクトの制御権を委譲、ホワイトグレイスのアヴァランチの出力に警戒して。これ以上押し負けないように」
「……了解だ」
チッと舌打ちして、しかし彼は応えた。元から、彼は常にこの調子だ。システム上ミツキに逆らえないだけで、協力的とは決して呼べない。ミツキも普段なら彼のシステム自体を停止している。
だが、雪乃レベルの相手ではそんなことを言っている余裕はない。インセクトという遠隔操作の自立砲台を操作しながら戦い切る、なんて芸当はミツキにも出来ないのだ。
「アンバーレイルの出力は五パーセントに設定ね」
「いいのかよ。――殺せねェぞ?」
「殺さないって言ってるでしょう? 文句があるならあなたを切るだけだよ」
「そォかよ」
嘲笑うようにそう言うが、彼は即座にミツキの注文には応えてくれた。がちり、とアンバーレイルに強いロックがかかる。
「……ゴメンね」
きっと聞こえてはいないだろう。それでも、彼女を傷つけることに赦しが欲しかった。
アンバーレイルのスコープに目を当てる。当然、視界は真っ白に覆われている。その奥の雪乃の姿など視認できない。
だが、その必要はなかった。
撃鉄を起こすように、思考回路のスイッチが切り替わる。
途端、吹き荒れていた雪がピタリとその場で姿を止めた。写真で切り取ったみたいに、その場で完全に静止している。
それは雪に限らない。周囲のインセクトから迸っている紫電も同様だ。――僅かに違いがあるとすれば、紫電の方はスロー再生したみたいに、僅かずつ形を変え地面を貫いていることくらいだろう。
これは、ミツキの持つ能力――『加速』だった。
物理的にミツキが加速する訳では決してない。ただ、思考のクロックを人間の限界を超えて加速させるのだ。つまり、彼女の体感時間を限りなく引き伸ばし、周囲の時を止めているようなもの。
自分の意識に身体が追いつかない以上、身体がほとんど動かせないのは当然だが、それでも十分だった。
ミツキの武装は狙撃銃。ゆっくりと対象を狙い、周囲の状況を確認し、ただ一撃で仕留めるのみ。その為に特化したと言ってもいい能力がこれだ。
微かに動いている雪の流れから、その散布状況を類推する。乱流ではないだろう。そんな複雑な軌道をわざわざ生み出すメリットが雪乃にはない。
だからこそ、分かる。
本来ならあり得ないはずの雪の流れのずれ。ごく微小な時間を切り取り続けるミツキの能力だからこそ気付ける、微かな差。――その正体は、つまり雪乃の姿だ。
自分の視界に、ぼんやりと雪乃のイメージが浮かび上がっていく。次第にそれは鮮明になっていった。どれほどの距離で、どのような体勢で、どこを向いて何をしているのか。その全てが手に取るように分かる。
周囲の放電や雪乃の吹雪による軌道のずれすら加味して、ミツキは引き金を引いた。
これが、ミツキの必殺。思考を加速できると言うことは、常に止まっている的に対して狙撃をするのと同じだ。ソロプレイヤーでありながら、かつてVer.2.4をクリアしてのけたのは、偏にこの能力のおかげだ。
その必中の弾丸は、間違いなく雪乃の右肩のアヴァランチのベースユニットを撃ち貫く――はずだった。
なのに。
ミツキの想定を遥かに超えた速度で、雪乃はそれを回避していた。
「――ッ! どうなってるの……っ!?」
「ホワイトグレイスの機巧能力――な訳ねェよな。あの機体にそんな性能はねェし。ってことは、答えなんか決まってンだろ」
シドウに言われ、ミツキも思い至る。
ホワイトグレイスを改修し、高機動力まで付加したか。
あるいは。
雪乃の持つ能力か。
「自分の妹の能力くらいは知ってンだろ」
「知ってるよ……っ。だからわたしは、彼女を退場させなきゃいけない……っ」
ぎりっ、と奥歯を噛んだ。
雪乃の持つ能力は『犠牲』と言う。その能力は、至ってシンプルだ。
物に宿る『姫咲雪乃』の記憶という情報を、完全にエネルギーへ変換するというものだ。身体能力だけでなく、直接的にクラウンギアを加速させることまで出来ることは想定外だったが。
そして、この能力は蓄積された記憶が大きいほど、より高いエネルギーを発生させる。つまり、彼女にとって大切なものほど力になるのだ。
いま彼女は、何を犠牲にしたのだろう。
ミツキがこの能力に気付いた頃には、もう彼女の部屋には思い出と呼べるものが残っていなかった。クラスメートがくれた千羽鶴も、病院で出来た友人がくれたバースデーカードも、母がクリスマスにくれたぬいぐるみも、父が退院祝いにあげた腕時計も、何もかもが消えていた。
それだけの犠牲を払ってでも、彼女はこのセイヴ・オブ・クラウンズでの勝利を狙っている。
その復讐心を前に、ミツキの中の罪悪感が更に胸を締めつける。
「もう、やめてよ……っ」
だから、そう懇願した。
これ以上、彼女が思い出を失う理由なんてどこにもない。そんなことをしなくてもいいのだ。
復讐したいのなら、それも構わない。だけれど、今は邪魔しないでほしい。きちんとVer.4.4までクリアして、雪乃の呪いは解いてみせる。その後でなら、いくらだって糾弾を受け入れられる。
だからこれ以上、思い出を無駄になんてしてほしくなかった。そんなことをしなくたって、きちんとミツキは裁かれる。それくらいの覚悟はとっくの昔に出来ている。
だけど。
ミツキの言葉など聞こえないとでも言うように、雪乃は氷の剣を手にミツキへと迫る。
紫電の檻をアヴァランチの砲門が生み出した氷の壁で受け流し、こじ開けてなおも進む。
また果たしたくもない激突が、ミツキの眼前で――
「させないよ」
声があった。
直後、ミツキと雪乃の間に紅蓮の壁が叩きつけられた。思わず、双方がその場で静止してしまう。
見上げれば、空には燃えるような真紅のクラウンギアがあった。
二枚の白い翼を携え、右手には同じ大剣を握り締め、悲しげな表情で見つめる一人の少年がそこにいた。
それは、まるで――……。




