第三章 わがままな未来 -1-
ちょっと日が空き過ぎましたが、まだ続きます!
あれから、どれくらい経ったのだろう。
二日か、三日か。それも分からない。クリスマス目前のはずだが、その喧噪を朱鳥はまだ知らなかった。ずっと、この暗い部屋の中に閉じこもっていたからだ。
理由など決まりきっている。
我が身可愛さ故に、だ。
「だって、どうしようもないじゃねぇか……っ」
朝も夜も分からない真っ暗な部屋の中。布団の中に縮こまって、朱鳥はただ何度もそう呟いた。そうして自分を正当化するしかなかった。
何度も、何度も、何度も。瞼を閉じる度に、勝手に能力が発動する。
映るのは、どちらかの未来。
ミツキを手伝って雪乃に殺されるか。
雪乃を助けてミツキに殺されるか。
それ以外の選択肢などないとでも言うように、気が狂いそうになるくらい、自分の絶命の瞬間を延々と見せつけられ続けている。
氷の刃で全身を貫かれた。
レールガンで胸を穿たれた。
氷の中に閉じ込められて、眠るみたいに死んでいった。
放電の嵐の中で、炭になった四肢から崩れるように死んでいった。
過程は違う。きっと些細な行動の変化で、死に様だけは変わってしまう。
だけど、朱鳥の死だけは絶対に覆らない。
血まみれの身体を眺めて、息を引き取るまでのほんの刹那の時間を、朱鳥は何度も繰り返させられた。
そんな二者択一を、どうやって選べばいいのだ。どちらを選んだって、結局、自分の命はないというのに。
もし、そんな未来を拒むのなら、方法は一つだ。
端末など触れなければいい。二度とSoCにログインしなければ、彼女たちに恨まれることもない。
「雪乃だって、言ってたじゃねぇかよ……」
呟いて、自嘲気味に笑って、自分は正しいのだと思い込もうとする。その引きつった笑みほど気持ち悪いものはないと知りながら、それでも。
「あれは、雪乃と、ミツキさんの問題だ。俺みたいな他人が関わっていい問題じゃない」
そんなところに首を突っ込むから、朱鳥の命は断たれてしまう。ただの部活の後輩で、ただのゲームの友人だ。命を張ってやる義理などどこにもない。
そうやって、何度も自分を言い聞かせる。この暗い世界に閉じ籠ってさえいれば、自分は助かる。それ以上を求めて何になる。
初めから、朱鳥がSoCを続けた理由だってただそれだけだ。なまじ未来が不定だったから、力を付けて対処しようとしていただけ。
未来への筋道がはっきりしているなら、二つとも選ばなければ、それで終わりだ。これから先も彼女たちのことなど知らない振りをして生きていけばいい。きっとどっちかが勝って、どちらかの願いを叶えて終わりだ。雪乃の呪いが解けるか、ミツキの呪縛が解けるか。どっちを選んでも何かが代償になるだろうが、それでも片方だけは救われる。
朱鳥が首を突っ込んだところで、そこに変化はない。ただ無様に死んだ後で、彼女たちがまた泥臭く、血生臭く、血を分けた実の姉妹と殺し合いを続けるだけだ。
「何で、俺がこんなことに悩まなきゃいけないんだよ……」
知らなければ、幸せでいられた。
世の中には彼女たちみたいな苦しみを背負った人間なんてきっと星の数ほどいるだろう。ただ、それが偶然朱鳥の目の前で繰り広げられてしまっているだけ。
手を差し伸べる義務なんてない。だけど、手を差し伸べなければそれは『見殺し』にしたのと同じではないのか。そんな罪悪感だけ押し付けられて、朱鳥は動けなかった。
本当に選ぶ道は、三つ。
雪乃を助ける為に雪乃に殺されるか。
ミツキを助けるためにミツキに殺されるか。
あるいは。
そのどちらをも見捨てて、一生こんな罪悪感に縛られ続けるか。
「ふざけんなよ……っ。ふざ、けんな……」
どうしようもない。
出口はない。笑って過ごす未来が定義できない。
だから、朱鳥は閉じ籠った。このまま心まで閉ざしてしまえば、きっとこんな苦しみからは解放される。
そう思っていたのに。
現実を突き付けるように、机の上に置きっぱなしにしていた端末が震えた。真っ暗な世界で、そこだけぽっかり穴が開いたみたいに液晶の光があった。
のろのろと、ほとんど反射だけで朱鳥はその端末に手を伸ばした。学校も休みっぱなしだったから、クラスメートの誰かが義理で様子を尋ねてきたのかもしれない。
そう思っていた朱鳥の眼前に飛び込んできたのは、予想外の人物からのメールだった。
「新見……?」
見たことのないメールアドレスだが、件名が差出人の名前だった。いったいどうやって朱鳥のメールアドレスを知ったのか。リアル割れの恐ろしさを見せつけられたみたいで、ぞっとしない話だった。
だが、そんな差し出し人よりも、よっぽどの内容が中に書かれていた。
『せっかくの最終決戦、リッカとミツキの一騎打ちだよ? おにーさんは見ないの?』
一瞬、確かに朱鳥の思考が止まった。
ここで少なくとも区切りが付く。どちらが勝つかは分からないが、それでも勝った方にはトリニティエンプレスという最強の一角のクラウンギアが手に入るのだ。きっと、彼女たちほどの覚悟があれば、そのままVer.4.4までクリアすることだってあるだろう。
ここで落とせば、取り返しがつかないほどの戦力差が開く。譲れない大一番。――だからこそ、きっと彼女たちは本気の本気で殺し合う。
「……くそ、が……ッ!」
どうしたらいいかなんて、分からない。
自分を守るならこの部屋から出てはいけない。
そんなこと分かっていて、分かり切っていて、それでも朱鳥は端末から『セイヴ・オブ・クラウンズ』を立ち上げた。
途端、彼の視界は暗闇に包まれて、気付けば、あの黄金の大樹の目の前に転移していた。
「……、」
ちらりと、掌の中の歯車を見る。これを目に当てれば、クラウンギアを使用する準備は整う。そういう補助端末。――そう理解しているからこそ、朱鳥はそれをポケットにねじ込んで駆け出した。
走った。どこを目指せばいいのかは自分でも分かっていない。ただ、こんなメールを送って来た人間なら、どうせ自分は絶対安全な場所にいるだろうと、そう思った。新人ばかりを狙うのも、その臆病さが原因だからだ。
辿り着いたのは、アウディの店だ。ほとんど蹴破るみたいな勢いで乗り込めば、そこには少女みたいな出で立ちのいつもの新見碧がベンチに座っていた。
「――あれ、おにーさん。やっぱり来たんだ」
そう呑気に言う新見に詰め寄って、朱鳥は睨みつけた。
「おにーさん、怖い顔してどうしたの? あ、もしかしてメアドを勝手に調べたこと? 調べれば分かるようなところにアドレスを載っけてる方がどうかと思うんだけど」
「……っ。違う、そんなことどうだっていい……」
ただ、朱鳥の顔が険しいのは、この戦いが何をもたらすのかを理解してしまっているからだ。どう転んだって、自分の中の大切な何かは欠けてしまう。
「まぁ、いいけどさ。それで、おにーさんは参戦しないの?」
「俺が……?」
「そう。だって、ミツキとスクワッドを組んでるのはおにーさんだけじゃん。リッカはソロプレイヤーだし、乱入権があるのはスクワッドのメンバーのみ。――いいの? ミツキが一人でゲームクリアしちゃうと、おにーさんの願いなんて叶えてもらえないよ?」
もう、本当に最後の戦いなのだろう。
ミツキと雪乃。双方が持つトリニティエンプレスのパーツを足せば、そのクラウンギアは完成する。だから、この戦いが終わればセイヴ・オブ・クラウンズVer.4.1はクリアされる。
「俺に、願いなんてねぇよ……」
だけど、朱鳥は諦めていた。
元々、乱入する気はない。そんなことをすれば自分は死ぬだけだ。もしも仮にここで生き残れたとしても、きっとこれから先、どちらかがVer.4.4をクリアするまで殺されるリスクは付きまとう。
もう、朱鳥の日常は破壊された後だ。今さら金目当てにいくらかクリアに絡んだところで、得るものなど何もない。
「願いなんてない、ねぇ。そんなプレイヤーがこのSoCを続けるかよ」
そんな折り、店の奥からガタイのいいオッサンが姿を現した。――店の主人にして、このアリスゲートで唯一の商人プレイヤーのアウディだ。
「アウディさん……」
「願いがなきゃ、このSoCは続けられねぇ。いいか、これは鉄則だ。長い間ここで店を開いてる俺が言うんだから間違いねぇ」
そう言って、アウディは朱鳥の胸の中央に人差し指を突き付ける。
「お前は、何を願ってここに来た?」
その問いに、朱鳥は即答できる自信があった。
全ては、生き残る為だ。
ここでクラウンギアを手放すことで殺されるかもしれないから、せめて自衛の力は付けておこうと、そう思っただけだ。
――だけど。
――果たして本当にそれだけか。
脳髄の奥で、誰かが笑っていた。
「……やり残したことがあるなら、お前には挑戦権がある。ミツキのスクワッドのメンバーはお前だけなんだ」
知っている。そんなこと、分かっている。
他の誰にも頼めない。ただ朱鳥にしか出来ないこと。
だが、それは自分の命と引き換えにしかないものだ。
「やり残したこと……? ねぇよ、そんなの。雪乃か、ミツキさんか。どっちかを助ければ、どっちかを見殺しにする。その過程で俺も死ぬ。絶対に覆らねぇんだよ、これは……っ」
何度も何度も見せつけられた。この数日の間、朱鳥の未来視が勝手に発動していたのは、もしかしたら、朱鳥自身が違う未来の可能性を望んでいたからかもしれない。
だけど、変わらない。
何度繰り返したって変わらなかった。いつだってその未来は朱鳥の死で終わる。手足をもがれ、胸を穿たれ、頭蓋を砕かれ、何度そんな未来を見ただろう。何百、何千もの未来の中に、朱鳥が助かるものなんて一つもなかった。
だから、動けなかった。だから、閉じこもった。
なのに。
なのに。
「なんで、だよ……っ」
――消えてくれない。
自らに真実を打ち明けた雪乃の声が。
自らに助けを求めたミツキの声が。
――消えてくれない。
休日に出かけたときの雪乃の姿が。
恋愛話に目を輝かせたミツキの姿が。
――消えてくれない。
毎日のように過ごして来た雪乃の笑顔が。
自分を助けてくれた瞬間のミツキの笑顔が。
――自分の死の未来よりも、そんな楽しかった過去の映像が、どうしたって消えてくれない。
「選べって、言うのかよ……っ。俺に、あの二人のどちらかを……っ?」
元より朱鳥の命を勘定に入れなかったとしたって。その楽しかった過去のどちらか一つしか、未来に繋げられない。
彼女が入学してから半年以上、朱鳥が雪乃と過ごした時間は宝物だ。
SoCにログインしてまだ一週間だけど、それでもミツキとの出会いは鮮烈だった。
どっちも大切で、どっちも失いたくなくて。
だから、朱鳥は殺される。こんな気持ちでどちらかに肩入れしたって、きっと身動きは取れないのだから。
そんな朱鳥に、何を選べと言うのか。
――だったら。
と、そんな声がした。
――――――、と。
全てをぶち壊す答えがよぎった。
「はは……っ。おいおい……っ」
降って湧いた、どうしようもないくらいにぶっ飛んだ自分の思考に思わず笑みが零れた。そんなの馬鹿げていると、そう嘲笑したかった。
何を考えている、と。馬鹿な真似はやめろ、と。理性は必死にそれを止めている。それはきっと誰に聞かせたって当たり前の制止だった。
「選べねぇ。そうだよ、選べねぇよ……っ」
だけど。
初めから、選ぶ必要なんてあったのか、と。
自分の中に芽生えた根本的な疑問に、朱鳥は応える。
「俺には、雪乃もミツキさんも選べない。俺にはどっちも大切なんだから……っ。だからどっちかを選んだ瞬間に俺は死ぬ。――だったら」
深く、息を吸う。
それを言葉に変えるのさえ躊躇われる。
恐怖がないと言えば嘘になる。頬には汗が伝っているし、指先は震えている。こんな真似が本当に自分に出来るのか、自信なんて微塵もない。
だけど、それでも。
それでも、朱鳥は願う。
「二人とも助けてやろうじゃねぇか……っ!!」
無茶苦茶なのは百も承知だ。現実的じゃない。
だけど、そんな最高の未来の為なら、命の一つや二つ賭けられる。そう本気で思えたから。
「――なぁ、新見、アウディさん」
「なにさ」
「言ってみろよ」
「やり残したことが腐るほどある。あぁ、そうだ。どうせならクリスマスももうじきだし、ミツキさんともデートがしてぇな。来年には、雪乃にメイと同じメイド服でも着せて文化祭の接客やらせてみたい。それを見るまで、諦められねぇんだよ……」
そんなどうしようもない日常の為に、朱鳥は立ち上がる。
「リッカとミツキさんの戦いに割って入る。壊れっぱなしのイクスドライヴの修理もある。場を整えるのは俺だけじゃ無理だ。――だから、準備だけでも力を貸してくれ」
「いいけど、全部終わったら僕の再戦受けてよ?」
「金は取るぜ? こんなんでも店だからな」
あぁ、と頷いて朱鳥は二人に背を向ける。二つ返事で引き受けてくれるそんな二人の存在もまた、朱鳥にとってはかけがえのないものだ。
そして、朱鳥は手を伸ばした。意識から逸らすように遠ざけていた歯車へ。それを取り出して、朱鳥はその小さなレンズ越しの世界に目を向けた。
「――お帰りなさいませ、ご主人様」
視界のARに表示されたメイドの少女に、朱鳥は獰猛な笑みを向ける。
「なぁ、メイ」
「何でしょう?」
メイはもう朱鳥の顔を見て悟っているかのように、真っ直ぐに彼を見つめていた。恭しくかしずいて、主の命を待っている。
覚悟は既に決まっている。
だから後は、進むだけ。
「一片も残さずぶち壊すぞ。くそったれの未来ってやつを」
「イエス、我がご主人様。我が身の全てはあなたの為に」




