第二章 六花 -6-
イクスドライヴに乗っている朱鳥は、目の前のベルセルクと対峙していた。――散々繰り返した、彼女との特訓だ。
既に、シリウスは一基が撃破されてしまっている。プラズマブラスターのムルジムも大破、近接ブレードのムリフェンは半ばで断ち切られ、実質的に使用できる武装はシリウス一基ともう一本のブレードのウェズンのみだ。
一方で。
目の前で高周波ブレードをくるくると操るミツキのベルセルクは、完全な無傷だった。右手に常時装備したスナイパーライフル『アンバーレイル』の引き金さえ一度も引いていない。
「――はぁ。今日の組み手はここまでかな」
そう言って、ミツキがブレードを腰にしまう。それを見て、朱鳥も気が抜けたように構えを解いた。
「……ありがとう、ございました」
「意気込んでるのは分かるけれど、先走り過ぎてる。これなら昨日までの組み手の方がまだマシだった」
はっきりと言われて、それでも朱鳥には言い返せなかった。
対峙する度、いや、正確にはブレードを突き付けられる度、朱鳥の脳裏には昨日のホワイトグレイスとの一戦と、未来視で見た自分の死の光景が交互にフラッシュバックしていた。その光景を払拭しようとすればするほど、それは焦りとなって隙になる。
「アスカくんはサポートAIを切らないの?」
「……え? 切れるんですか?」
「普通、ほとんどの中級以上のプレイヤーが戦闘中は切ってるよ。戦闘中にうるさいし、AIによっては我が強くてサポートどころかこっちの邪魔をしてきたりもするから」
そう言われて、朱鳥はメイの方をちらりと見る。だが、彼女は首を横に振る。
「わたくしにお暇を出したければ構いませんが、死亡率が上がるのは明白かと」
「ですよねー……」
朱鳥にしても、戦闘中、非戦闘中問わず、メイにSoCにおいてかなりのサポートをしてもらっている。口頭で指示するだけでいくらか武装の準備を整えてくれると言うのは、初心者でもたつきやすい朱鳥にとってはかなり大きなメリットだ。
「AIとはいい関係なのかな」
「そうですね、普通に友達みたいな気分ですけど」
「いいなぁ。うちのAIのシドウは男で、それも怖いから」
「怖い……?」
その言葉が呑み込めなくて、朱鳥は首を傾げる。
メイは朱鳥に従順だ。口調も基本的には丁寧だ。間違っても怖いと思える要素はない。
「君のAIがどうかは知らないけど、うちのシドウは出来る限りオフにしていたいくらい。虎視眈々と、何かを狙ってるようにも思うから不気味なの。――あと、口がすごい悪いしね」
「へぇ……」
そんなミツキの言葉に、朱鳥はメイを見る。偶然出会ったAIだが、彼女が自分のサポートAIで良かったとそんな風に思えた。
「まぁそんな訳だし、それくらいの関係だったらAIの警告には耳を貸してもいいと思うよ。焦りで前に飛び出すのを許容してくれる訳ではないんでしょう?」
「イエス。ご主人様には猪突猛進という言葉しかないのかと常々思っておりました。というかわたくしの指示をきちんと聞いて下さいませ」
基本的にメッセージでのやり取りでもない限り、ミツキとメイのやり取りはミツキからの一方通行。会話をしているようで、どちらの矛先も朱鳥を向いているだけだ。
「もう少し冷静にってことですね」
「少しじゃなくて、もっと」
ずばりと言われて、朱鳥もうなだれるしかなかった。流石に、今回の組み手の無様さは言い繕えない。そもそも、最大の武装であるシリウスを二基も失うような時点で、ド素人以下の戦いだ。まだ始めて一週間も経っていないとは言え、そんなことは言い訳にもならない。
ミツキと同格かそれ以上とも言われるリッカを相手に戦って、最後まで生き延びなければならないのだ。もたもたとレベルを上げている猶予はない。
「とりあえず、今日はここまで。気分転換をしよう」
「……昨日、後輩と遊びに行って気分は変えたばっかりですけど」
「その後にあんなことがあったんじゃ、そっちに引きずられちゃってるでしょう? こういうのは、必要なときに必要な分だけやるのが理想なんだから。昨日もやったからって休んじゃいけない理由にはならないよ」
まるで自分にも経験があるかのような断定に、朱鳥も従うことにした。ミツキの方が年上で、SoC歴もかなり長いのだ。
「とりあえず、アウディさんのところで修理をして、その後は改造用のパーツを探しにショップめぐりかな。相手がホワイトグレイスだって分かっていれば、いくらか感知系の装備を整えておいてもいいかも」
「そうですね。――気分転換ですし、ちょっと歩きますか」
そう言って、朱鳥はイクスドライヴから降りる。機体は自動でコンテナの中に入り、どこかへ転送されていった。
「いいけど、デートみたいだね」
「俺なんかじゃ釣り合いませんけどね」
「うん? そんなことないと思うけど。――まぁ、少し頼りないかな」
「上げておいて落とすのやめてもらっていいですかね……?」
若干「これはイケるフラグ……っ?」と期待しかけた朱鳥だったが、一秒もない内にへし折られて流石に涙目になった。
「そう言えば、昨日のデートはどうだったの?」
「別に何ともないですよ。デートじゃないですし。――ただ、楽しかったです。こんなところで死ねないなって、そう思えるくらいには」
「うん、それはいいことだ」
ミツキはどこか嬉しそうに微笑んでいた。
「……ミツキさんは」
その笑顔を見て、朱鳥は問いかけることにした。――踏み込んではいけないことのような気がして避けていた、その質問を。
「何をこのSoCに願うんですか?」
問いかけた瞬間、ミツキの顔が一瞬だけ、けれど確かに険しくなった。スクワッドに入っていくらか仲が進んだとはいえ、そこは踏みこんではいけない場所だったのかもしれない。
だが、そう後悔しても遅い。何より、朱鳥にはそれを聞く権利があるはずだった。その鋭い視線に負けないように、きちんと見つめ返す。
「……そうだね。うん、アスカくんにはきちんと説明しなきゃいけないよね」
その視線に応えるように、ミツキは少しだけ柔らかさを取り戻してそう呟いた。
「この戦いが終わったら、アスカくんとしてはもう望みが叶うようなものなんだもの。これから先もわたしを手伝ってもらいたかったら、まずは話さなきゃだよね」
そう言って、腹をくくるみたいに一度深呼吸して、ミツキは口を開いた。
「わたしはね、一度このSoCをクリアしてるの。Ver.2.4を、ね」
「――ッ。それはすごいですね。それに、2.4ってことは、つまり……?」
「そう。宝くじレベルの話じゃない。間違いなく、人知を超えた奇跡を願えた。――だけど、わたしはそこで失敗したの」
ぎりっと、歯を食いしばる音がした。努めて冷静に、笑顔を取りつくろうとしているであろうに、ミツキの顔はただ悲痛さと後悔だけが滲んでいた。
「わたしの家族はね、重い心臓病だったの。助かる訳がなかった。海外で心臓移植したって五分五分かそれ以下なんだもの。そもそもそんな大金も集まらないしね」
だから。
彼女はその完治を願って、このSoCに足を踏み入れたのか。
「でも、クリアしたんですよね? 願いは叶ったんじゃ……」
「そうだよ。願いは叶った。『彼女の命を救って』って、そう願った。それで全部は終わるはずだったんだよ」
そこで、彼女の表情は完全に崩れた。
今にも泣き出しそうなくらいくしゃくしゃに歪んでいて、朱鳥は目を合わせることも出来なかった。
「嘘みたいに彼女は元気になった。退院もしたし、再発の兆しもなかった。――けれど、それで終わりじゃなかった」
そう言って、彼女は道路を指差した。当然、そこには何もない。
「元気になって調子に乗ったのかな。それとも、そもそも外へ出る機会がないから『飛び出しちゃ駄目』なんて当たり前のことも忘れちゃったのかも。――彼女は、本当にあっさりと車にはねられた」
「まさか、また病院に……」
「ううん、違う。そんなことだったらよかったのにね。むしろその逆。病院に行く必要さえなかったの。――だって、彼女の傷は一瞬で塞がったんだから」
言われて、一瞬、何を言っているのか理解できなかった。
このSoCの中であれば治療用のクラウンギアが存在する。どんな怪我を負っても数分もあれば完治するだろう。だが、現実は違う。
車にはねられた傷が消えるだなんて、理屈が合わない。
「どう、して……」
「願ったからだよ。わたしが『彼女の命を救って』って、そう願ってしまったから。だから彼女は不死身になった」
そこまで口にして、ミツキはとうとう涙を零した。今までどれほどの悔恨に苛まれてきたのか、朱鳥になんて分かるはずもなかった。
「自分の姿を見て、彼女は言ったよ。『化け物……』って。その言葉が、わたしの鼓膜から離れてくれない……っ」
彼女の為だった。
彼女を救う為に、命さえかけてこのSoCのクリアをもぎ取ったのに。
その結果が、これ。
彼女を不死身にした挙句、化け物と、そう言わしめた。
「その彼女は、今はどうしてるんです……?」
普通なら、そんな現実を受け止められない。死ぬのは怖い。だけれど『生き続けなければいけない』と突き付けられることがどれほどなのか、朱鳥には想像すら出来ない。ただひたすらに愛する者の死だけを眺め悠久をさまよう人生など、耐え切れる気がしない。
「……アスカくんなら、どうする? 自分が不死身になったとき。その原因がSoCにあると知ったとき。そこでクリアしたプレイヤーが自分の知っている人間だったとき」
言われて、まさかと首を振った。
そんな、そんな悲しいことがあっていいのか、と。
「彼女は『リッカ』として、こっちの世界に来た」
「――ッ」
突然の告白に、朱鳥は顔を歪めた。今にも一緒になって泣き出してしまいそうだった。言い方は悪いが他人事には変わりないのに、その事実にぞわりと背筋が震えた。
「きっと、彼女はわたしを恨んでる。『化け物』に変えたわたしへ復讐する為に、このSoCにログインして、わたしを狙い続けてる。きっと殺しても殺したりないくらいなんだろうね」
どうしようもない、復讐心。それを咎める気に、朱鳥はなれなかった。
だって、リッカの感情や衝動もまた、当然の帰結なのだ。ミツキを恨んだとしても誰も責められない。結果だけ見れば、彼女にとってミツキは恩人ではなく仇敵なのだ。
「だからこそ、わたしはやり直さなきゃいけない。絶対に、彼女を元の『人間』に戻さなきゃいけない。その為なら、わたしは何度傷付いたって構わない。何度彼女と戦おうとも」
その覚悟を、朱鳥はただ黙って聞いていた。
朱鳥の自分が生き残りたいから、なんて理由が安っぽいとは思わない。少なくとも命が懸かるほどのことだから。――けれど、ミツキの願いはそんな次元を超えている。
どれほどの後悔があったか分からない。たった一言、『彼女の心臓病を治して』と、そう願うだけで良かったのに。ほんの少しの言葉の齟齬が、何よりも護りたかったものを化け物に変えてしまった。
その憎悪を一身に受けて、後悔にその身を切り刻まれて、それでもなお彼女の為にと立ち上がった。
さっきまで朱鳥と笑い合えていたことの方がどうかしているような気がするくらい、重い、重い覚悟。ともすれば全身ががんじがらめになって動けないほどの。
それでも決して投げ出さずに、彼女はどれほど戦い続けたのだろう。
それも、たった一人で。
「……だから、ね。この戦いが終わっても、わたしを助けてほしい。Ver.4.1だけじゃない。4.2も、4.3も。4.4をクリアして、彼女を元の人間に戻すまで」
その言葉に、朱鳥はすぐに頷けなかった。
その意味を誤解して、ミツキは取り繕った笑みを浮かべた。
「ゴメンね、うん。いきなりすぎた。これはわたしの問題だもんね。流石にアスカくんに頼むようなことじゃなかった」
「……違いますよ。俺がすぐに頷けなかったのは、俺なんかで本当に力になれるのかなって、そう思ったからです」
これほどの想いを持った彼女の足を引っ張ってしまうのではないか。そう思ったから、朱鳥は二つ返事で引き受けられなかった。
「じゃあ……。いいの? だって、わたしなんかを助けたって、アスカくんには何の得もない。わたしに出来ることは何だってしてあげるけれど、でも……」
「お礼なんか、初めから求めてないですよ」
はは、と少し照れ隠しに笑って、朱鳥は続けた。
「ミツキさんは、前に言いましたよね。人の価値は行動の結果だけで決まるって。――俺は、ミツキさんに助けられた。新見のときも、リッカと勝手に戦ったときも。だから、俺はミツキさんの為になら戦える。命を張るだけの価値が、あなたにはあるんです」
だから、戦う。
自分の命を守るだけならミツキにパーツを押しつけて、二度とログインしなければいいのかもしれない。それが正しすぎるくらいに正しい正解であることは何よりも理解している。
だけど。
自分を救ってくれた人を放り出して。
自分に助けを求めてくれた人を見捨てて。
そうしてのうのうと生きることに、何の価値がある。
そんな行動をした時点で、朱鳥の価値は紙くず以下になり下がる。
「だから、俺はあなたの力になりたい。――こんな理由じゃ、駄目ですか?」
そう朱鳥が問いかけると、彼女の瞳からぽろぽろと涙が零れた。
先程の悲しみに満ちた暗い色ではなかった。
輝くような、澄んだ色をしていた。
「……分かってるくせに」
とめどなく流れる涙をそのままに、ミツキはとびきりの笑顔を朱鳥に向けた。
「これからもよろしくね、アスカくん」
この笑顔を護る為なら。
そう決意して、朱鳥は硬く拳を握り締めた。




