第二章 六花 -2-
「そういう訳でして」
そんな部活を終えた後のアリスゲートにて。
朱鳥は明日の特訓をどうするか判断を仰ぐ為に、ミツキに今日のことを報告している次第だった。
「明日は遊びに誘われてるんですけど、やっぱ駄目ですよね? ミツキさん的には特訓優先でしょうし」
「うん? いやいや、行っていいよ」
てっきり駄目だと言われるものだと思っていた朱鳥は、むしろそのリアクションが想定外すぎて目を丸くしていた。
「え? いいんですか?」
「うん。というか、現実をなおざりにしてSoCに入り浸るようなら、むしろその方が危ないし」
ミツキの意図が分からず、朱鳥は変わらずきょとんと首を傾げる。それを見て、ミツキも更に説明をくれた。
「このSoCにログインすると、能力者は漏れなくアリスゲートに転移させられるよね。――じゃあ、そのときわたしたちという存在はどこにある?」
「そんなの、こっちの世界に決まってるじゃないですか」
「そう。――でもね、わたしたちのことを知っている人は、元の世界にいたままなの。わたしたちが世界を跨いでしまっているその間は、能力者以外は誰もわたしたちを認識できなくなる。たとえ、記憶や情報の中の文字列でさえも」
その言葉に、朱鳥もはっとした。
世界を跨いだ時点で、その世界を超えて認識できる知覚――すなわち能力がなければ、人には何も認識できなくなる。たとえ目の前でアリスゲートに転移されたとしても、その場に立っていた人との全ての記憶が想起できなくなる。それどころか、少なくともログインしている間は所属どころか戸籍からさえ消え去っている訳だ。
「だから、絶対にこの世界に入り浸ってちゃいけない。そうやって元の世界での居場所を失った人を、残念ながらわたしは何人も知ってる」
「だから、現実優先なんですね」
「そう。アスカくんも、居場所は大切にしてよ? ――何の為にSoCをクリアしたいのか。叶えたい願いがあったとしても、そうでないとしても、帰る場所はみんなに等しく必要なもののはずなんだから」
その年上らしいもの言いに、朱鳥はとても納得した。だから彼女はここでの特訓を『部活が終わってから』なんて言っていたのだろう。
たとえ願いが叶うにしても、叶える場所を失ってしまっては意味がないから。
「――ところで」
なかなかいいことを言うなぁ、なんて感心していた朱鳥に対し、ミツキはにまっとちょっと嫌な笑みを浮かべていた。
「その後輩って、男の子? 女の子?」
「……女の子ですけど」
「おぉ! やるじゃん、アスカくん! デートだよ、デート!」
何故かテンションが上がっているミツキに、朱鳥は辟易してため息をつく。
「そんないいものじゃないですよ。大方、荷物持ちか何かじゃないですか? あいつが本気で俺を癒そうとか思ってる訳がないですし」
「えー。女の子だって気がない男の子と二人で遊びに行ったりはしないよ。っは! もしかしてアスカくんの方がその後輩ちゃんを好きなの!?」
「あ、それはないですね」
変に勘ぐってくるミツキだが、朱鳥は即答した。そんな甘酸っぱいもにをゲーム三昧のコンピュータ部で求めるのは無理と言うものだ。
とは言え、年上とは言えうら若き乙女のミツキさんである。この程度でコイバナの熱が冷めてくれる訳がなかった。
「えー、残念。でも絶対チャンスだと思うんだけどなぁ。――それとも、アスカくんから見てその子はそんなに可愛くない?」
「まぁかなり可愛いですけどね……。性格は可愛げがないですけど」
「じゃあチャンス――とかって思ったりしないの?」
「しないですよ……。可愛ければ誰でも好きになるっていうんなら、ミツキさんに真っ先に告白しますよ」
素直に、本当に何の気なしに朱鳥はそう言った。どうせ年上だからこの手の冗談も上手く流してくれるだろう、と思ったのだ。
「え、あ、え? そ、その、ありがとう……?」
が、朱鳥の予想に反してミツキは顔を真っ赤にして目を泳がせていた。とても初々しい反応で可愛くはあるのだが、期待していたものと違いすぎて朱鳥の方が面食らった。
「……ガチ照れしないでくれませんか。この手の軽口はさっと流してくれないと、俺まで恥ずかしくなるんで……」
「ん、んん! それより、アスカくんはその子のこと好きになったりしないの? いま二人っきりで同じ部活をしてるんでしょ?」
咳払いしてミツキが話を戻し、結局そのコイバナに納まった。まぁ傍から見れば羨ましがられるくらいには、恵まれている環境ではあるのだろう。その程度の自覚は朱鳥にもある。
「正直に言うと、一緒にいるだけで好きになるとか、よく分かんないんですよね。一緒にいるだけで好きになるなら、別に俺じゃなくても良くね? って思うんですよ。優しいから好きとか、料理が上手いから好きとか、他にもっと優しい人とか料理が上手い人と先に出会っていたら、その人に恋をしていなかったんじゃないかなぁ、って思いません?」
「……な、なるほどね……。何だろう、すごく哲学的な感じがするけれど。うん、ここは年上のおねーさんに任せて! 恋愛相談は得意だよ!」
「別に後輩に恋してないんで遠慮したいんですけど……。それに、まぁこんなのを考えるのって未来視のせいで、運命なんてものを信じられないせいかもしれないんですけど」
朱鳥が適当に笑ってごまかすが、ミツキは少し真面目な顔で首を振った。
「未来視のせいじゃないんじゃないかな。わたしはアスカくんの言っている意味が分かるしね。――だからおねーさんなりの解答を上げよう」
どこか柔らかくて、けれど深淵を覗いたみたいな、そんな瞳で彼女は言った。年上だから、とか、そんな理由ではない気がした。本当に、彼女には彼女なりの、価値観のようなものがあるのだろう。――でなければ、こんな場所で命をかけてまで戦って叶えたい願いなどそうそうありはしない。
「一緒にいるだけで好きになったのなら、そのポジションが違う人に変わっちゃえば、君の言う通りその違う人を好きになるよ。優しくても、料理が上手でもね」
「……なんか、夢のない話ですね」
「そうでもないよ。――だって、実際そのとき一緒にいてくれたのは、その存在しない誰かじゃなくて『あなた』だけなんだから」
「――っ」
胸のその中心を、的確に貫くような言葉だった。その上で、開いていた穴を埋めるみたいな、そんな言葉でもあった。
「優しくしてくれたのも、美味しい料理を出してくれたのも、誰かじゃなくて『あなた』。もし、なんて話に意味はないんだよ。――好き嫌いに関わらないね。人間の価値は可能性じゃなくて、行動の結果だけで決まるんだよ」
それはそうだと、朱鳥は本当に気付かされた気分だった。
恋にしろ、愛にしろ、友情にしろ、あるいは真逆に何かの罪だったにしろ、人は何かを為した結果でしか相手を判断できない。出来るかもしれない、出来たかもしれない、なんて言葉ほど無意味なものはないのだ。
そして、同時に納得したことがある。
朱鳥はミツキを信頼している。こうして自分の抱えている、少し恥ずかしい悩みみたいなものを話せるくらいには、心の内に入れていい存在になっている。
だが、実際には会って一週間も経っていない。それでここまでどうして信頼できるのか、自分でも疑問だったのだ。
だが、答えはミツキの言葉にあった。
朱鳥はミツキに助けられた。彼女の中で打算はあったかもしれないが、それでも確かに窮地を救われた。
きっと、それが理由だ。
助けてくれた。だから彼女は信頼できる。ただそれだけのシンプルな流れ。
裏切られる可能性だってない訳じゃない。しかし、そんな『もしも』の話には意味がない。救われたという事実がこれからへの期待へと繋がり、それが朱鳥にとっての『ミツキの価値』なのだ。その価値がある限り、朱鳥はミツキを信頼できるのだ。
「もしアスカくんがその後輩ちゃんを好きになるのなら、きっとそれだけの理由はちゃんとあるよ。誰でもいい訳じゃ絶対にない。実際に君が何をしてもらったか。これが大事なんだから」
「……なんか、いい話が聞けた気がします。さすがですね」
「うん? もしかしてわたしに惚れちゃったかな?」
「まぁ、あの口の悪い後輩よりはミツキさんみたいな人の方が好きになるかもしれませんね」
「あはは、その後輩ちゃんが聞いたら怒るよ?」
そう言って笑い合って、朱鳥は立ち上がる。
「それじゃ、いい時間ですしそろそろ――」
「ちょっと待った」
がし、と。
背を向けた朱鳥の肩をミツキが引き留める。
「いい時間も何も、まだ特訓してないよね?」
「あ、いい感じに誤魔化せた流れかなーって思ったんですけど、違うんですね……」
「ということは確信犯なんだ」
先程と変わらない笑みのように見えて、どこか恐ろしい空気を漂わせて、ミツキは朱鳥の目を見据える。
「あ、その確信犯って使い方は誤用みたいで――」
「誤魔化そうとしても無駄。せっかく明日はデートだって言うから今日は軽くしてあげようと思ったのに。そういう悪い子には、もっとキツイお灸を据えないとね」
「お、お手柔らかに……」
朱鳥の懇願も、ミツキはただ笑顔を向けるばかりで決して頷いてはくれなかった。




