第168話 そのうなじに口づけを
「はる――えっ?」
この腕の中に抱えている少女が何を言ったのか、私は理解が出来なくてそのまま固まっていた。
遥――それは私にとってとてつもなく重い意味を持つ名前だ。
前世において私の恋人だった女の子、そして私が殺された女の子。
その遥の名前を知っているのはこの世界で私だけのはずだ。でもシンシアはその名前を口にした。
それが意味することはすなわち――
「ウソでしょ……?」
「ホントですよ、お姉さま。遥です」
「えっ……いや、だってそんな……」
もちろんその可能性はあるとは思っていた。私が遥と無理心中させられた結果こうして転生してきたわけだから、同じ死に方をした遥がこの世界に来ていてもおかしくないとは考えていた。
実際、ヤキューとかお好み焼きとか、はてはバブみとか、どう考えても現代日本からの転生者がいるとしか思えないような痕跡も確かにあった。
でも、それが遥だと言う確証はなかったわけで、実際私もほとんど遥はこの世界にいないんじゃないかと思っていたのだ。
でも、それがまさか――
「は……遥なの?」
「はい、そう言ってるじゃないですか」
「いや、でもほら、シンシアって百合魔力感応あるじゃない? それでからかっているとか……」
百合魔力感応というのは、触れた相手の表層意識を読み取れる一種のテレパシーみたいなものだ。
ただし一方通行で、私とシンシアの場合はシンシアだけが私の考えていることを感じることができる。
それで遥の名前を読み取ってからかっている可能性はないだろうか?
「ああっ、疑ってますね? いいですよ、何でも質問してください。魔力防壁も展開してくださいね」
「う、うん、わかった……」
私は言われた通りに防壁を展開し、これによって百合魔力感応で私の考えを読み取るのは不可能になる。
「じゃあ質問行くよ?」
「どうぞ」
私の腕の中にいるシンシアは自信満々に頷いた。
「えっと……まず私と遥の出会いは?」
「簡単すぎますね。部活の体験入部でお会いしたのが初めての出会いです。ちなみに文学部で、お姉さまはその時3年生でした」
合ってる……!!
「じゃあ、私の好きなものは?」
「私が作ったケーキですね。何個もお代わりしてくれました」
合ってる……!! 遥は料理が得意で、特にお菓子作りに関しては群を抜いていたのだ。
「じゃ、じゃあ、えっと……私が遥に付き合ってくれるように告白した言葉は?」
「絶対に忘れませんよ、それ。私の宝物ですもん。『私が一生愛してあげるから、私のものになって』です」
一言一句違わない……!! 私は女の子を口説くときは必ずその子だけの告白をしているから、それは遥だけにしか言っていない言葉だ。
「じゃあ、じゃあ……!!」
「ちなみに、私が初めてお姉さまのものになった場所は放課後の部室で、お姉さまが好きなところは私のうなじです。いつも会うたびに私の髪をかき上げてキスしてくれましたよね?」
……!!!!!!
「ほ、ホントに遥なの……? ホントに?」
「だからさっきからそう言ってるじゃありませんか」
シンシアがくすくすと笑う。
「でも、メイド好きなところはそのままなんですね。よく私もメイド服を着るようお願いされましたし」
「だって好きなんだもん!」
メイドは私の魂だから!! いや、じゃなくて。
「で、でもさ? 遥ってその、ほら……ペタンコだったじゃない?」
今のシンシアとは対極的にも程がある。いやロリ気味だったところは同じだけど。
「それを言いますか……? でも私のそのツルペタが大好きだったのはどこの誰ですかねぇ?」
「私です」
私は遥のツルペタなところも大好きだったのだ。
「まぁでもいまだにツルペタもお好きみたいですけどねぇ? シスターノーラとか、小さくなったマリアンヌさんとか?」
この子ちくちくしてくるよぉ! だってしょうがないじゃない! 好きなんだもん!!
「お、おっきいのも好きだよ!?」
「でしょうね。存分に愛して頂きましたし、それはわかります」
シンシアはそう言うと、ふふんと胸を逸らした。前世の遥は小さいのがコンプレックスだったようだから、それが解消されたのがうれしくて仕方ないんだろう。
……ていうか私、既にこの子を遥だと思っているな……
「えっと……遥?」
「なんですか? お姉さま」
「……」
どうやら認めるしかないみたいだ。この子は本当に遥らしい。いまだに信じられない気持ちでいっぱいだけど。
でもまさかこうして再び会えるとは思っていなかった。
「……ごめんね?」
「いいんですよ。私も悪かったですし」
無理心中させられたからね!! ハハハ!!
「私、お姉さまを独り占めしたかったんです。でもお姉さまは既に何人も彼女がいて、それでも好きだったから彼女にして貰ったんですけど……」
「うん」
「でも、どうしても私だけ見て欲しいって気持ちがどんどん強くなっていっちゃって……」
「うん」
「それに、他の子と一緒にお相手をするのも凄く嫌だったんです。だって私だけを愛して欲しいのに、目の前で他の子も愛しているところをまざまざと見させられるんですもん」
「それは……ごめん」
ハーレムメンバー同士で仲を深めてもらうため、良かれと思ってだったんだけど確かにそういう見方もあるよね……
「だから散々ワガママも言っちゃいました。『私だけのお姉さまでいて欲しい』、『私とお嬢様の邪魔をしないで』って」
ちゃんと遥はサインを送ってくれていたのだ。それに気付いていながらも、なだめたりしてなんとか誤魔化そうとしていたのが私というわけだ。
「極めつけはお姉ちゃんと妹をハーレムに入れたことでした。他の子達ならなんとか我慢できていたのに、姉妹にお姉さまを取られたような気になっちゃって……」
そしてシンシアはぎゅっと目をつむった。
「それで、あんなことをしてしまいました……本当にごめんなさい」
「謝るのは私の方よ、遥。私こそあなたを傷つけていた。悪いのは私なのよ」
私の目から、涙が零れ落ちた。懺悔の涙だった。
「いえ、それでもあんなことをしてはいけませんでした。それでお姉さまが私のものになるなんて思ったなんて、浅はかにも程があります」
遥は私の流れる涙をそっと拭ってくれた。その手はとても暖かい。
「――それに、今ならお姉さまの気持ちもわかるんです。複数の女の子を愛するなんて私、考えてもいませんでしたけど……クラリッサお嬢様が私を変えてくれました」
「クラリッサが」
「はい、それまでお姉さまだけを愛していた私が、初めて他の女性を好きになれたんです。それで、愛はこういう形があってもいいんだって気付いたんです」
「クラリッサさまさまねぇ」
「全くです。ほんとお嬢様ってば可愛くて可愛くて……」
そう言いながら、シンシアはぽっと頬を染める。
前々から思っていたけど、どっちかというとクラリッサの方がシンシアの嫁よね。受け攻め的に。
「でも、こう言ってはアレですけど……こっちに来てよかったです。だって、愛しのお姉さまの赤ちゃんを授かることができたんですし」
シンシアはうっとりとしながら、私との子供がいるお腹をさする。
「そうよね、女の子同士で子供が出来るんだもん。その点は素晴らしい世界よね」
「まったくです。――早くこの子に会いたいです」
その言葉で、愛おしさが溢れた私はシンシアを抱きしめる。
「シンシア……」
「あっ……お姉さまっ……」
そして私は、前世でいつも遥にしていたように、シンシアの髪をかき上げてそのうなじに口づけをしたのだった――