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数日後、クローディアはメイスン公爵邸へ招かれていた。
先日の公爵夫人からの手紙は、私的なお茶会の招待状だったのだ。もう一度庭園をじっくりと見たいとおもっていたので、飛び上がって喜んだ。その日の夜はアーロンの友人を夕食に招待しているということも忘れて。だが、冷静になるとなぜ自分か呼ばれたのか不思議になってしまう。
ほとんど面識のない大貴族だ。第一王妃を輩出しているクレイ家と並んで二大貴族と言われている。アーロンと共に夜会への招待ならともかく、夫人の私的なお茶会になんて。お茶会は親しい少数の集まりだという。そんなクローディアの疑問に、夫人はにこにこと気安く請け負ってくれる。あまりにクローディアが庭園に心奪われた様子だったので、急遽リストへ入れてくれたとのこと。クローディアはそんなにわかりやすい顔をしていたなんて、と恥ずかしくなってしまった。
庭園の一角に角テーブルと椅子が置かれ、刺繍が施された白いクロスの上にはテーブルが狭く感じるほど菓子や軽食が並べられている。クローディアが思わず感嘆の声を上げてしまうほど。新鮮な野菜が挟まれたサンドイッチや、ケーキ、スコーン、タルト、また見せるために美しくカットされた様々な果物が並べられている。銀の茶器セットには凝った細工がされていて、その光り輝く美しさと細やかさにクローディアはうっとりとため息を吐いた。
テーブルの中央には公爵夫人が座り、皆近い席に座ろうと無言で牽制し合っている中、新参者であるクローディアは一番端に座った。
「こちらで開かれた先日の夜会も素晴らしゅうございましたね」
「本当に。私も今度夜会を開きますので、後で少々ご相談したいことがありますの」
「私でよければ何でもおっしゃって。できる限りお力になりますよ」
「まあ! 公爵夫人にそう言っていただけるなんて嬉しいわ」
「本当に。心強いお言葉です」
「ところで、皆様、ご存知? ウォールバード伯爵が再婚されるそうよ」
それを聞いたご婦人たちが、一様に顔を顰める。
「嫌だわ。何度目かしらね?」
「たしか、今度で三度目よね。前の奥様と離婚されたばかりだと思ったらもう」
「こうなったら、ご結婚はあの方のご趣味だと思うわ。ところで、今度の奥様はどちらの方なの?」
「それがね、爵位もない家柄の方の様なの。しかも、伯爵よりたいそうお若いとか。ほら、最初の奥様との間にご子息がいるでしょ。だから、跡取りの心配もないし、お好きにできるそうよ」
「伯爵も伯爵だけど、お金に目が眩んだようで、女性の方も浅ましさを感じますわ」
公爵夫人とその取り巻き、と言ったところだろうか。大貴族である公爵夫人のお茶会と言っても話されている内容は、どことも変わらない様だ。次々と話題が変わるが、どれも社交界の噂話ばかり。クローディアも噂話は大好きだが、悪意の感じるゴシップは苦手だ。自分がアーロンと結婚した時にもこうやって話題にされたのだろうかと思うと恐ろしくなる。
クローディアは話題に乗り切れず、とりあえず笑顔を浮かべていると、目の前の女性と目が合った。くすっと笑われ、まるで退屈していたのを見透かされた様に感じた。
(見たことない方だわ。どちらのご婦人かしら?)
儚い雰囲気をまとわせている黒髪の美人だ。クローディアよりは少し年上だろうが、公爵夫人の取り巻きたちとはずいぶんと年齢差がある。社交界の大方のご婦人たちの顔は見知っているつもりなのに、と思い首を傾げる。美しく結い上げられた黒髪に対比するような真っ白い肌で、シンプルな青いドレスがよく似合っていた。
「そう言えば、今度王宮で夜会が開かれますわね。何でもそこで重大発表があるとか」
「重大発表?」
「噂ではシンシアさまがご懐妊なさっているかも……と」
「何ですって!」
「あ、ああ。いえ、あの、あくまでも王宮内での噂ですよ。真実は分かりませんわ」
シンシアは第一王妃だ。第二王妃を輩出しているメイスン家としては、シンシアが子供を妊娠しているというのは見過ごせないことなのだろうと、先ほどまで穏やかに笑っていたのに急に顔色の変わった公爵夫人を見て、クローディアは思った。
「そうね、まだ分からないわね。それにしてもロレッタったら。あの子は何をやっているのかしら」
イライラした様子の公爵夫人に取り巻きたちが慌ててとりなす。
「あのお美しいロレッタさまですもの。時期に子宝にも恵まれますわ」
「陛下もたいそう大切になさっていると噂で聞きましたわ」
「だと、いいのだけど。あの子は昔から……」
「まあ、それに以前のようなこともございますし、ね」
その言葉に公爵夫人のイライラが目に見えて収まった。そうして、ふっくらとした頬を持ち上げる。
「あの時は本当に驚いたわ。本当に残念なことだけど、ああなってくれてよかった、なんて言ったら不敬罪かしら?」
「そんなことございませんわ。あれは、きっとシンシアさまのお身体がお弱いことが原因ですもの。もし、お生まれになられたとしても王族として生きられたかどうか……むしろ王家的にも結果はよかったことですよ」
公爵夫人の言葉を隣のご婦人がにっこりと笑って否定した。話を掴めないクローディアを見かねるように、目の前の黒髪の女性が小声でささやいた。
「以前にシンシアさまのお子が流れたお話をされているんですよ」
女性の涼やかな声のお陰でお子が流れた、という言葉がすぐにはピンとこなかった。
(それって王妃さまが流産されたっていうこと? え、ええ?)
ようやく合点が行くと、クローディアは驚いて椅子を倒して思わず立ち上がってしまう。国民には知らされていない話だ。いや、クローディアが疎かっただけなのだろうか。初めて聞く信じられない話にクローディアの頭は混乱した。
(こ、こ、怖いっ! むしろよかったって。え、え? 流産してよかったって話してるってこと? しかも、笑いながら! 怖い、怖すぎるっ!)
はっと我に帰るとクローディアは皆の視線を集めてしまっていた。一様に驚いたような顔をしている。
(ど、どうしよう)
この場を収めようと笑顔を浮かべようとするが上手くいかない。
「え、ええと……」
いい言い訳が口に登るはずもない。あれだけ賑やかだったのに、いまは沈黙が痛い。すると、優雅に立ち上がった公爵夫人がにっこりとクローディアに微笑んだ。
「そう言えば、あなたは庭園をごらんになりたいのよね? どうぞ行ってらして。ああ、初めてだと迷ったら大変よね。どなたか、ご案内してさしあげてはいかが?」
公爵夫人の言葉はあくまでも優しく響く。しかし、凄みを感じて誰も名乗りを上げない。ここで夫人のご不興を買うような真似は誰もしたくないだろう、とクローディアは思った。
「あ、あの。私一人でも大丈夫です」
「あら、そう」
小首を傾げる夫人の顔はあくまで困ったような表情。クローディアは恐ろしさに一目散に逃げ出したくなる。そのとき。
「私ご案内します。この素晴らしい庭園を十分にご案内するには皆さまと違って力不足かもしれませんが」
目の前の女性が優しく微笑む。まさに天の助けのよう。クローディアには女神に見えたほどだ。
「あら、でも、あなたたちよくないんじゃなくて?」
「私は大丈夫です。昔のことですし。マクシミリアン伯爵夫人もそうですよね?」
また話が見えないが、クローディアはコクコクと頷いた。この場から離れられるのならなんでもいい。
(ああ、もう。私ったらばかばか!)