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邸に戻ったクローディアは仕立て職人と会っていた。アーロンからは、これと同じものを作らせるように、と見本を預かっている。素っ気ない黒いジャケットにズボン、ベストと一式。生地もデザインも全く同じでいいらしい。
子猫はニーナに預けてきた。
先ほどは箒でつつかれて驚いて警戒している様子だったが、クローディアたちを見ても逃げ出すことはなかった。薄汚れていたが小さな姿が愛らしく、クローディアが手を伸ばせば、おずおずとその手に顔を寄せてくる。そっと身体に触れれば、柔らかい毛は手触りがいい。何度か撫ぜると、その暖かい小さな身体をクローディアの手に擦り付けてきて来るではないか。
(なんて、愛らしい)
その姿に嬉しくなったクローディアが抱き上げようとしたら、慌てた様子のニーナに止められてしまう。
「そ、そんな恨めしいようなお顔をなさらないでください。蚤などがついていたら大変ですもの」
確かにそうだが、こんなにいとけない小さな子猫を置いてはおけない。じっとニーナを見ると、困ったように眉を顰められてしまう。
「もしかしたら、親猫が近くにいるのかも知れませんし……。それに、旦那さまがなんておっしゃるか」
「……そうね」
確かにアーロンはとても動物が好きそうには見えない。でも。考えると、嫌いとも聞いたことはない。うん。なんとかなりそう、とクローディアは一人頷いた。
「ねぇ、ニーナ。やっぱり連れて行きましょう。親猫がいるならそのうち出てくるでしょう。放っておいたら死んでしまうかもしれないわ。だって、こんなに小さいんですもの。旦那さまには私から話します」
クローディアはにっこり笑って暖かな小さい身体を抱き上げた。すると、ニーナが慌てて取り上げた。
「わ、わかりました。ただ、この子を先に綺麗にだけはさせてくださいませ!」
目の前の仕立て職人は机の上に広げたジャケットとベストを確認しながら、手持ちの紙に書き付けていた。見本で出した上下の一式もこの仕立屋に注文したものらしいので、採寸もいらないとアーロンは言っていた。
「全く同じでということでございますが、いかがでしょう? ベストだけでも変えられるというのは。最近では、派手なものが流行っておりますし」
ピンと背筋を伸ばした実直そうな仕立屋が笑顔を浮かべる。アーロンが持っている衣服は黒が多い。それを知っているからこその提案だろう。しかも今回注文するのは普段着だ。
ベストを派手にするのが流行っていることはクローディアも知っていた。お洒落に敏感な人なら赤や青だけではなく、ピンクやチェックなんていう方も見かけたことがある。最近では、ベストは男性が女性の様にとびきり派手に装ってもいい箇所、となっているのだ。
「着る方を選びそうですが、花柄なんていうのも流行って来てるんですよ」
「まあ、花柄!」
アーロンに似合うだろうか。花柄とはまるで女性のドレスの様だ。いつも黒ばかりで装っているアーロンが果たして着るだろうか。想像してみると案外悪くなさそうだと思ったが、クローディアは肩をすくめた。
「素敵だけど今回はやめておくわ。私が勝手にするわけにはいかないもの」
「そうですか。では、このようにさせていただきますね」
愛想よく返答した仕立屋は、見本に出していた一式を丁寧にたたむと座っていた長椅子から腰を上げた。そこで、思い出したように動きを止める。
「そういえば、奥様。黒いローブが最近流行り始めた様ですね。ちょこちょこご注文をいただくのですが、奥様もいかがですか?」
「黒いローブ?」
そんな話を聞いたこともないし、黒いローブを纏っている人を見たこともないクローディアは首を傾げた。
「ええ……最近、高貴な方々からご注文いただくのですが。てっきり私などは流行りなのかと早合点してしまいました。流行りは高貴な方々がお作りになられるので」
「そうなの。聞いたことはないけど……。もしかしたら、何か催しやお遊びをなさるのかも知れないわね」
貴族の間では珍しいことではない。変わった装いを夜会のドレスコードにしたり、または劇をお遊びで催したり。ローブを着てドレスの色当てなんていうことをしたこともあった。高貴な人たちは悪ふざけの為にも金銭を惜しまないのだ。
「もし、みんなさまが黒いローブをお召しになる様なら、その時はお願いするわね」
にっこり笑ったクローディアに、仕立屋も愛想よく請け負って部屋を後にした。すると、待っていた様に入れ替わりで子猫を抱いたニーナが入ってくる。その腕に抱かれている子猫を見て、思わずクローディアは叫んだ。
「まあ! 見違えたわね!」
先ほどまで埃っぽく薄汚れていたが、綺麗に洗われると目を見張るほどに漆黒で毛並みはつやつやと輝いている。ニーナの手から受け取りクローディアの腕に抱かれた子猫は、ゴロゴロと喉を鳴らした。なんて愛らしい、とクローディアは自然と目尻が下がっしまう。
「綺麗な猫だったんですねぇ」
「ええ、本当ね。とっても美しいわ! ありがとう、ニーナ」
「いえいえ、とんでもない。それに、大人しいものでした。蚤もいませんでしたし。皆に声をかけておいたので、親猫らしいものがいたら報告させてもらいますね」
「ありがとう」
二人で子猫に夢中になっていたら、背中から低い声がかけられた。扉が開いていたままになっていたようだ。
「賑やかだな」
姿を見せたのがアーロンでクローディアは驚いた。外出着のままなので帰宅したばかりで通りかかったのかも知れない。
「申し訳ありません。お迎えもせずに」
クローディアが慌てて言うと、軽く手を振られた。いい、ということのようだ。ちらり、とクローディアに抱かれた子猫に視線が移る。説明しようと口を開く前に、子猫が腕から流れるような動作で滑り降り、なんとアーロンの足元まで歩いて行くと行儀よくちょこんと座るではないか。そうして、じっとアーロンの長身を見上げている。
「あの、この子なんですけど、」
「ああ、ジーンから聞いた。貴方が飼いたいというのであればかまわない」
マクシミリアン家の有能な老執事は、クローディアの気持ちも含めて先回って主人に説明をしてくれたようだ。クローディアは思い通りにことが進んで手を叩いて喜んだ。
「まあ! 嬉しい! ぜひ飼いたいです」
(やっぱり、旦那さま自身が嫌いでなければ、好きにしたらいいっておっしゃると思ったのよね)
「よかったですねぇ。ふふっ、この子もちゃんとご主人さまが誰か分かっているみたいですね」
微動だにしない猫を見てニーナが言った。まるで主人の側にいる従順な下僕の様。
「本当ね。賢いわ、アンジェリーナ」
「あら、名前はアンジェリーナになさるんですか?」
クローディアは肯定の意味でにっこりと微笑んだ。仕立屋と話している間ずっと考えていたのだ。
「うふふっ、ぴったりでしょ」
アンジェリーナはじっとアーロンを見上げたままだ。漆黒の毛並みが上品で、愛らしい小さな姿にぴったりな名前だとクローディアはこっそりと自画自賛していた。
「アンジェリーナか。よほど……いや、なんでもない」
アーロンは歯切れ悪く言うと、そのまま部屋を後にした。