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青空が広がり、心地よい風が頬を撫ぜる午後。クローディアは日よけに大きな帽子をかぶり庭を散策していた。本来ならば庭の散策は午前中の日課だが、綴っていたお礼状などの手紙がひと段落したので休憩のために出てきたのだ。
クローディアの趣味というだけでなく、散歩は婦女子の運動として国からも推奨されている。何ともおかしいようだが、一見すると運動をしていると分からないことがいいらしい。激しい運動は婦女子にはよくないとされ、しかし運動をしないと身体が脆弱になってしまうのもよくない。そういうわけで散歩がぴったり、というわけだ。
女中のニーナを連れ立って、お喋りをしながら庭の草木を眺めて季節を感じていた。
クローディアは目下この広大な庭園をどういじろうかと思案していた。結婚して半年もすると周囲も落ち着いてきて、ようやく好きなことを始めようと思えたのだった。アーロンが面白みがないと評したマクシミリアン伯爵邸の庭園だが、見渡す限り緑広がるそれはしっかりと管理されていた。芝もきちんと整えられ、樹木はすべて円錐形に刈り込まれて等間隔に植えられている。面白みがないというより、隙がないようにクローディアは感じている。まるで、アーロンという人物そのもののような。
「どんな風にお庭を変えられるのか、私たちも楽しみにしてますのよ」
「そうね、旦那さまは好きなようにしたらいいっておっしゃってくださっているから、本当にそうさせてもらおうって思ってるの」
アーロンは初めてクローディアの家を訪れたときに言っていた通りに、伯爵邸の庭をクローディアに任せてくれるつもりでいた。その場の冗談かと思ったので、そのことはクローディアにとって小さな驚きであると同時に大きな喜びでもあった。
(そう言えば、ああいうのも面白いわよね)
先日招かれたメイスン公爵家の夜会をクローディアは思い出していた。
公爵家の華やかな夜会で、何よりもクローディアの瞳を惹きつけたのが立派な庭園だった。素晴らしいと噂には聞いていたが、それに違わぬものだった。広大な敷地を幾つかの区画に分けられている庭はそれぞれに違ったテーマで造園がなされているそうだ。全体像がテラスから一望でき、招かれた客の目を楽しませてくれるようになされていたが、とても広すぎて見渡し切れるものではなかった。その中でも一際目を引いたのが、シメントリーに造形された幾何学模様の柘植の刈り込みだ。ため息が出るほど美しく、アーロンに声をかけられるまでしばし見惚れていた。そんなクローディアの様子を見ていた公爵夫人が面白がって説明をしてくれたところによると、菜園の区画や石造りの細工のなされた巨大な噴水、さらには迷路まであるという。
(迷路! なんて楽しそう!)
クローディアは心が踊るのを感じた。
「でも可愛らしい方、お気をつけて。迷路に入るときには注意が必要なのよ。迷ってしまって出られなくなってしまうことがあるんですもの」
そう言うと公爵夫人はふっくらとした人差し指を立てて、悪戯をする少女のようにお茶目に片目をつぶって見せた。遊び心がいっぱいの公爵夫人の言葉で、さらにワクワクしてきたクローディアは、ぜひ今度は昼間に招かれて心ゆくまで楽しみたいものだ、と思わずにはいられなかった。さすがは贅を凝らした公爵家の庭園である。
(さすがは第二王妃さまを輩出したお家だわ)
メイスン家は、第二王妃であるロレッタの生家だ。この国では、一夫多妻制が認められているが、愛人ではなく公式に第二夫人まで娶るのはもちろん王族くらいではあるが。有力貴族は娘を王妃にしようと躍起になる。王妃になって王子を産めば国母になれるからだ。立場は第一王妃の方が強いが、国母になればそれも逆転する。それは実家の立場も同じことだ。国母を輩出した家ともなれば、王宮内で絶大な権力を振るうことができるのだから。
しかし、 そんなことはクローディアにとっては遠い話でしかない。
(ああ、自分の庭に迷路があるなんて、毎日散歩をするたびにワクワクしちゃうわね)
「あら、まただわ」
隣で舌打ちをするかのように苦々しくニーナが口にした。その視線をクローディアが追うと屋敷の方へ向いている。ニーナは、はっと気づいたように口元を押さえた。
「すいません。私ったら考えていたことが口をついてしまったようで……。ただ、また鳥がやって来ていると思ったので、つい」
「鳥?」
「ええ、鴉です。先日皆で追い払ったのですが、また集まっているようで。もしかしたら、見つけられなかっただけで、巣が作られているのかもしれません。取り急ぎ調べます」
遠目からでは鴉か鳩か見分けがつかないが、数羽が屋敷の上階で旋回している。
「クローディアさま。そろそろお戻りになりませんか? 間も無く仕立て職人がまいりますわ」
「あら、もうそんな時間なのね」
アーロンの服を一式新調するのだ。アーロンは特にこだわりがないようで、仕立屋に以前と同じものを注文するように、とクローディアは言付かっていた。
ドレスを翻して屋敷の中へ足を向けたときに、ガサガサと草を擦るような音が聞こえた。自分たちの足音かと思ったが、木の茂みの草が動いている。
「何かおりますね。クローディアさまはちょっとお待ち下さい」
そう言うとニーナは勇敢にも茂みに近づく。
「待って。蛇かもしれないわ。誰か呼んできましょう」
心配になったクローディアが制止をしたが、ニーナは大丈夫、というように近づいていく。すると、ガサガサとまた動くような音がする。
「きゃっ!」
そんなに大きくなさそうだが、何かいるようだ。
「本当に蛇かもしれませんね。箒でも取ってまいりますので、クローディアさまは先にお部屋へお入りください」
「あなたも危険よ。誰か呼んできましょう」
「ありがとうございます。大丈夫だと思いますが、いちおう下男に声をかけてきますね」
それを聞いて安心したクローディアはニーナと別れて屋敷へ戻ることにする。しかし、しばらくして気がついた。なんと、ガサガサという音が後ろから付いてくるではないか。クローディアが足を止めるとその音も止むが、足を進めると小さな音が聞こえてくる。
(蛇? 虫? どちらでも私嫌だわ!)
どちらもクローディアが大嫌いなものだ。造園には付き物ではあるが、それとこれとは別なのだ。ついてくるような音に逃げるようにするとその音も同じ速さになっているではないか。クローディアは恐ろしくなり、はしたなくも走り出してその音から離れようとするが、それも同じように付いてくる。自分に付いてくるような気味の悪さをクローディアは感じていた。
「クローディアさま!」
自分を呼ぶ声は、箒を持って走ってきたニーナだった。その声にクローディアは安心してほっと息を吐く。
「大丈夫ですか? お任せくださいね!」
そう言うと茂みに向かって、えいっ、えいっ、とつつくように箒を動かす。すると、その茂みから音の正体が姿を現した。蛇が飛び出してきたら、と思い身構えた二人はがっくりと力が抜けた。
なんと正体は、猫だったのだ。
「なんだ」
力が抜けたホッとしたような声がクローディアから漏れた。小さな黒い子猫だ。その小さな小さな黒猫は、草などに擦れたせいか身体を葉っぱなどで汚していた。驚いたように見開かれた瞳は、箒でつつかれて本当にびっくりしていたのかもしれない。
「お前、びっくりさせないでちょうだい」
勇敢なニーナも気が抜けたように言った。