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アーロンがクローディアの元を訪れたのは、それから数日後だった。馬車から降りたったアーロンを見るまで本当にやって来るのだろうかと半信半疑でいたが、その姿を見ても到底信じられなかった。
まず、アーロンといったら、まるで嫌々来させられたとでもいうようでにこりともしない。これが、これから結婚しようとする女性に会いに来る顔なのだろうか。先日の非礼を詫びても、ああ、と返事を返されただけだ。これならば、道ですれ違うだけの人の方がよっぽど好意的な顔をしているのではないかとクローディアは思った。クローディアは男性に恋焦がれて通われたことなどないが、友人たちから聞く話や物語と全く違うことは分かる。
客間に通されて両親と話しているアーロンは、目の前に座ったクローディアと目を合わそうともしない。それをいいことにクローディアは、まるで観察するように仏頂面の求婚者をまじまじと心行くまで眺めた。
ぴったりと体に沿った黒いジャケットはきちんと仕立てられたことが分かるし、布地も上等だ。同色のベストは恐らく絹だろう。シャツは彼の立場を分からせるほど真っ白だし、襟はパリッと糊が効いている。
友人たちにそれとなくアーロンについて聞いてみたら思いの外、好印象だったのでクローディアは驚いた。
「マクシミリアン伯爵? お話したことないけど、素敵な方よね」
「すらりとした長身も素敵だけど、お顔も凛々しくて美形だわ。そして、何よりもあの青い瞳!」
「ねぇ、あの美しい青い瞳に甘く見つめられて、愛をささやかれてみたいわ。そうなったら、私どうしましょう」
「あら、あなたったらああいう方が好みだったの?」
「ああいう無愛想な方が、愛する方にだけ笑顔を見せるとか素敵じゃない? ああ、それが自分だと想像すると私悶えてしまうわ」
「えぇー。私はああいう気難しい方は嫌だわ。それならブライアンさまのように優しい方がいいわ」
「ブライアンさま? ちょっと頼りないところがねぇ」
「私もブライアン様なら、マクシミリアン伯爵の方がいいわ」
「それならば私も! ブライアン様はお優しいけど、もうちょっと……あら、クローディア。……いやだわ、あなたのお兄様じゃない! そんな顔しないでちょうだい、ごめんなさいね」
どうやら、兄のブライアンはあまり人気がないらしい。本人が聞いてしまったらがっくりと落ち込んでしまう姿が容易く想像できた。かしましい娘たちの噂話はとても男性たちには聞かせられたものではないのだ。
「……したらいかが? ……クローディア?」
「は、はい」
クローディアは隣に座った母の訝しげな瞳とぶつかった。どうやら話を振られたようだが、自分の考えに耽ってしまっていた。
「えーっと……」
クローディアはごまかそうとしたが、いい言葉が出てこない。
(ええと、ええと、この場面だとなんて答えたら正解かしら……)
ここで聞いていなかったと言ったら、アーロンは何て思うだろうか。ただでさえ先日の失態で、落ち着きがなくそそっかしい粗忽者という印象を持たれているはずだ。それに加えて、話も聞けないような無作法者だと思われてしまうのは避けたい。
三人の視線がクローディアに突き刺さる。とうとうクローディアが沈黙に耐えられなくなって、聞いていなかったと非礼を詫びようとしたとき、アーロンが立ち上がった。
「ぜひ、伯爵ご自慢のお庭を案内してください。クローディア嬢」
(あ、庭を案内するように言われたのね)
クローディアも慌てて立ち上がり、アーロンを中庭から外へ連れ出した。
造園家に設計をさせた正方形の庭園は、可愛らしい造りで、中央にある噴水を軸にして、美しく刈り込まれた草木で四分割されている。それぞれの区画には、色鮮やかに花々が植えられて賑やかだ。その中でもひときわ美しく咲いている薔薇を見た来客者が、まるで宝石のようだと賛美をしたことがあるほど。クローディアにとってお気に入りの場所だし、庭を散策するのは運動も兼ねた日課だ。
しかし、今日は何とも居心地が悪い。原因は、クローディアの隣を歩くアーロンのせいだ。友人相手ならいくらでも出てくる話題が、アーロン相手だとなぜか出てこない。クローディアの歩幅に合わせて、ゆったりと歩いてくれるのは気づいていたが、それについても、なんといったら良いのかわからないので口にしていない。
それに。
(もしかして助けて下さったのかしら……? そんな、まさかね)
自分の頭によぎった考えをすぐに打ち消した。たまたま運良く助け船になっただけだろう。
「美しいな」
(喋った!)
クローディアはホッとした。アーロンが口を開いたことによって、空気が和らいだような気がする。
「伯爵さまもお好きですか? 私もこの庭が大好きで毎日散策してますの。父なんてさらにです。この設計も父がしましたのよ。造園家にああでもない、こうでもないと大騒ぎでした。しかも、造園家から聞いてくる植物の話を家族相手にするんです。あまりにも頻繁なので家族もうんざりして父に見つからないようにしていたぐらいですのよ。だって捕まったら話が終わりませんもの。そのときは私にも造園の知識ができましたわ」
父親の熱心な姿を思い出して、ふふっとクローディアは微笑んだ。暑い時期だったので、いつもスマートにしている父が、麦わら帽子をかぶって、いくつもの玉のような汗をかいていた。庭園が完成したときの父親の満足そうな顔といったら。
視線を感じて顔を上げれば、アーロンが無言でクローディアを見ているのに気づいた。なにか気に触ることでも言ってしまったのだろうか。もしくは、べらべらと喋るのをはしたないと思われたのかも知れない。
ああーー父親のことを話題にしたのが失敗だったのかも。父親をこき下ろすようなこましゃくれた娘だと思われたのかも知れない。そんなつもりはないのに。ただ、普通の伯爵家の娘は他家の者に、話題にするならもっと父親を敬うような話をするだろう。クローディアの家族は父親が気安い分距離が近いのは特別だと自覚していたのに。決して父親を軽んじているわけではない。
高揚していた気持ちが萎んでいくようだ。
「私ったら、喋りすぎましたね」
「いや」
そう言うとアーロンは視線を庭へ移した。