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「マクシミリアン伯爵?」


 その名前が夜会で下敷きにした紳士の名前だとクローディアは初めて知った。何しろあの夜はそれどころではなかったのだ。恥ずかしさに加えて、不機嫌さを隠しもせずに怒っている紳士の顔などまともには見られなかったし、その後はなるべく思い出さないように生活していたのだから。しかし実際のところは、勝手に頭が再生をしてしまい、羞恥で叫びだしたくなるのを堪えるのが大変だったのだ。夜中に奇声が聞こえて恐ろしいと女中たちが噂をしているところによると堪えきれていなかったようだが。


 その耳を疑う話をクローディアが両親から聞いたのは、夕食後にいつものように家族揃って居間で寛いでいる時だった。母とクローディアは紅茶を父とブライアンはコニャックをそれぞれに楽しんでいた。


「お父様、今なんとおっしゃいました? 聞き間違いでなければ、その方が求婚をなさっておいでで、しかも、よ、よりによって私に?」


 驚くクローディアを見て、父親はおやおやしょうがないね、とでも言うように隣に座っている母親に肩をすくめて見せた。年頃の娘が求婚に戸惑っている、と思っているようだ。クローディアは別のことで戸惑っているのだが。まさかと、信じられない気持ちでクローディアは両親を見比べるが、にこにこと頷かれてしまうだけだった。


(人違いではないのかしら?)


 だって、あの夜のクローディアがいい印象を相手に与えたとは、どう贔屓目に見ても思えない。第一、あの紳士はかんかんにおかんむりだったではないか。


「マクシミリアン伯爵はいい方だよ。一見とっつきにくそうに見えるかもしれないが、誰にでもいい顔をしないということは、言い換えれば誠実だということだ。何よりも即位されたばかりの陛下が信頼されているというのが、いい証拠だよ」


「年齢も二十七で落ち着いていらっしゃるし、十八とはいえいつまでも子供のようなクローディアにはそれぐらいの方が安心だわ。それに家柄もご立派で、こちらからしたら願ったり叶ったりというものですね」


「よい方に見初められたものだな。さすがは自慢の娘だ」


 機嫌の良い両親には悪いが、クローディアは腑に落ちない。しかし、喜んでいる両親に何と言えばいいのか分からず口をつぐんでしまう。


「何かの間違いじゃないのかな?」


 訝しげな声の主はブライアンだ。


「間違い?」


「だって、クローディアは階段から足を滑らせて落ちてしまって、伯爵を尻に敷いたんだよ」


 ワインを呑みすぎて酔っ払ってしまったことは両親には内緒だ。ブライアンに口裏を合わせてもらって、うっかり足を滑らせたことにしている。両親からは落ち着きがない、そそっかしい粗忽者だとこっぴどく叱られてしまったが、アルコールのことがバレてしまったら家から出してもらえなくなるかもしれないのでこれでもまだましだった。


「おお、そうだ。伯爵が助けてくれなかったら大変なことになっていたかも知れないな」

「本当に。かすり傷ひとつなかったなんて、伯爵が庇ってくれたお陰だわ」


 二人でよかったと頷きあっている。なぜか両親には伯爵がクローディアを助けてくれたことになっているのだ。何なら階段から落ちたクローディアを階下にいた伯爵が颯爽と抱きとめたぐらいに。ブライアンの説明をどう解釈したら、そういうことになるのかクローディアにはさっぱりわからない。彼はただ巻き込まれた不幸な人で、それこそ怪我をしているかもしれない。しかし、両親がそう解釈するのも無理はなかった。不思議なことにあんなにあちこちぶつけたのに、クローディアの身体は痣ひとつ付いていなかったのだから。


「まあ、偶然とは言え、そうなるか」


 両親の言葉にブライアンも納得したのか独り言のように呟く。


「大方、その時にクローディアの愛らしさに気づかれたのではないかな」


 愉快そうに父親が大きな声で笑った。


(それはないわ)


 目に入れても痛くないほど娘を可愛がっている父親とは違い、クローディアは悲しいかな自覚をしていた。自分の容姿は目を背けたくなるほど醜くはなく、人を惹きつけるような美貌でもないと。年ごろの娘らしく着飾ってはいるが、いわゆる十人並みだと。男性に見向きもされないとは言わないが、とびきりの失礼を働いたのに一目惚れをされるとは思えない。


(シンシアさまくらいの美貌を持っていたらそれもあるかも知れないわね)


 シンシアさまというのはこの国の第一王妃だ。第二王妃であるロレッタさまも美しいが、シンシアは女性であるクローディアもうっとりとするほどの美貌の持ち主。若い国王と美しい王妃は、まるで物語から抜け出してきたみたいだと国中の娘たちの羨望の的でいる。遠目から拝見するだけでお話をしたことはないが、クローディアだって例に漏れずだ。


 妹に甘いブライアンも冷静な目を持っているので、首を傾げている。


「きっとそうに違いない。愛らしい娘が落ちてきて、さぞ驚かれただろう。もしかしたら天使と見間違えられたのかも知れないな」


 いよいよ酔いが回ってきたようだ。他人が聞けば吹き出してしまうだろうが、父親が本気で言っているのをクローディアも含めて家族は知っている。


「尻の重たい天使ねぇ……」

「ちょっとお兄様! 重たくなんかないわよ!」

「どうだか。お前、ちょっと体格に迫力が出てきてないか。何しろあの長身の伯爵を押しつぶしてしまうくらいだからなぁ」

「お、押しつぶしてなんかないったら! ちょっとぶつかって……とにかく、太って来てなんかいないわよ!」

「あなたたち、いい年をして兄弟喧嘩なんておやめなさい。なんて恥ずかしい」


 クローディアはまだ言い足りないが、口をつぐんだ。ため息をつく母親は呆れ顔だ。ブライアンはむきになるクローディアを揶揄して笑っている。


(くやしい! だけど、押しつぶしてしまったのは本当のことだし。もしかして……)


 クローディアは確認するようにそっと自分の腰回りに触れた。近ごろ以前にも増して食事が美味しいし、昨日は焼き菓子を母よりも二つも多く食べてしまった。


(もっとコルセットをきつく締めてもらおうかしら。あと、もう少し散歩も長めにするようにしよう。うん、念のために)


「尻に敷かれて、早速本当に尻に敷かれたくなったのかも知れん。外では肩で風を切るような勇ましい男性でも家に帰れば奥方のいいなりだという者も珍しくない。案外、伯爵もそういう人物なのかも知れんな」


 わっはっはっ、と自分の冗談が面白かった様子で父親が高笑いをした。もし、伯爵が聞いていたら目を白黒させるのではないかとクローディアは思った。


 ただ両親の様子を見て、この縁談が進んで行くということは感じていた。おそらく両親は伯爵の人となりや家柄について一通り調査をしているはずだ。自分たちのお眼鏡にかなったからクローディアに話を持ってきたのだろう。

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