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 都合よく現れたレイラを訝しく思ったが、その言葉に甘えることにした。子供が心配だったからだ。レイラに付いていくと、すぐ近くの集合住宅の扉を開けた。てっきり貴族の屋敷へ案内されるものと思い込んでいたので、少なからず驚いた。まだ、夕方だというのに室内は薄暗い。壁には薄汚れた染みが所々に斑点を作っていたし、床は歩くたびにキシキシと音が鳴る。ニーナや御者は脚を踏み入れるのでさえ戸惑っていた。クローディアを入れていいのかと迷ったからかもしれない。


 レイラはそんなクローディアたちの戸惑いなど意に介さない様子で手際よく動いた。子供は清潔なベッドに横たわらせ、下男に命じて保護者を探させた。間もなく医者がやって来て診察をする。とりあえず命に別状はないとの診断にクローディアはホッとした。


「親も見つかったと連絡がありましたよ。近くのパン屋の坊やだったみたい。急にいなくなったと母親も父親も半狂乱になって探し回っていたとのことですわ」


 医者の往診が終わり、別室へクローディアたちを通したレイラが言った。


「まあ! よかった!」


 クローディアは明るい声を上げる。ニーナは嬉しそうに手を叩いた。本当にレイラの行動の素早さに感心してしまう。


 居間だろう薄暗い部屋には、小さな木のテーブルが置いてあるだけだが、そこには年配の女性が座っていた。クローディアたちを見ることもなく、一点を見つめたままブツブツと呟いている。口元は歯がないようで、何と言っているのかはっきりとしない。ローブをかぶり、節だった両手を組んでいる姿はまるで祈りを捧げているようだ。


「お母さま! 起きてきてしまったのね。さ、こちらへ」


 レイラは女性を椅子から立ち上がらせ別室へ促して連れて行った。母親だろうか?


「ご病気ですかね?」


 ニーナがこっそりと囁く。女性がずっと呪文のように呟いている様子は異様に映った。しかし、クローディアが何かを言う立場ではないだろう。立てた人差し指を口元に持ってきてニーナに見せると、ニーナはばつの悪そうな顔をした。


「すみません。ああ、どうぞ、おかけになって」


 慌てて戻ってきたレイラに勧められて、クローディアは木の椅子に腰掛けた。


「驚かれたでしょう?」


 住まいのことだろうか、それとも子供のことだろうか。どう言えばいいのか迷ったが、どちらも返答は同じなので正直に頷いた。


「……ええ」

「私もですわ。騒いでいる声がしたと思ったら、クローディアさまがいらしたのですもの。揉めている様子だったので、人を呼びに行ったほうがいいと思ったら、あなたを探している様子の御者たちを見つけたの。それで、居場所を伝えたというわけ。お一人で立ち向かうなんて勇敢ですのね」


 コツコツコツ。


「そんなことありませんわ。ただ、夢中だったので。それで、あの坊やをさらおうとした男はどうなりましたか?」


 レイラは眉を下げて首を横に振った。やはり逃げられてしまったようだ。

 ただ、いま考えれば背筋がゾッとする。よくクローディア一人で男を相手に立ち向かったものだ。もしかしたら、今ごろ自分だって無傷でいられなかったかもしれない。レイラが機転よく動いてくれたので助かったのだ。


「本当にありがとうございました。レイラさまがいて下さらなかったら今ごろどうなっていたことか」

「めっそうもございません」


 にこにことレイラが満面の笑みを作る。コツコツコツ。先ほどから鳴っている音。なんだろう、と音が出ている先を探そうと注意して視線を動かす。すると、テーブルに乗せられたレイラの握られた拳。その拳が小刻みにテーブルを叩いていた。まるでいらいらしているという様子で。


「で、では、そろそろ私は失礼いたします」


 クローディアは背筋が冷んやりとするのを感じて慌てて立ち上がる。レイラの腕が素早く伸びてクローディアの手首を掴んだ。


 クローディアは「ひっ」と漏れそうになる悲鳴を飲み込む。真っ白で折れそうなほど細い腕。なのに力強い。見上げられる形で目が合った黒い瞳は怒りを現しているように感じた。


「あなたは何も聞かないのね」

「何もとは?」

「この家のこともさっきの母のこともよ」


 たしかに気にならないと言えば嘘にはなる。しかし、クローディアは一刻も早く帰りたくなっていた。この場にいるのが恐ろしいような気持ちだ。


「私には聞く権利はございませんし、聞く気もありません。あの、離してください」

「その原因がアーロンさまだと言ったとしても?」

「え?」

「私たちアーロンさまのせいでこのような暮らしをしておりますのよ」


 クローディアが驚いてレイラを見ると、満足そうに微笑んでゆっくりと手を離す。うっすらと手首に彼女の手の跡が付いていた。


「婚約破棄をされてから母はおかしくなってしまいましたの。無理もありませんわね。あんなことがあったのですもの」


 ごくり、とクローディアは唾を飲み込む。実は以前からずっと婚約破棄のことは気になっていたというのが本音だ。

 だめだと分かっているが知りたいという誘惑には逆らえない。


「なにが、あったのですか?」


 レイラは手で椅子を勧めるように指し示した。クローディアは迷ったが、おずおずと腰掛けた。


「いまはこんなところに住んでおりますが、我が家も元々は爵位のある家柄でした。アーロンさまとの婚約は父親同士が決めたものです。私は世の習いとしてそのことに不満はありませんでした。しかし、アーロンさまは違ったのです。シンシアさまに思いを寄せていたからですわ。それを知った私は結婚が嫌だと父に伝えました。若かったのですね。娘に甘い父親は破棄してくれることになりました」


 以前にレイラが話していたことなので、クローディアは頷いた。でも、とレイラは続ける。


「でも、アーロンさまは不満だったのでしょうね。そのはらいせにあろうことか、シンシアさまが流産されたのを我が家の責任にしたのです。私の母は占いを得意としておりました。それで呪詛をもちいて流産させたと。そんな突拍子もないことを陛下は信じられて、我が家はお取り潰しとなりましたの」


「そんな……」


「陛下はご寵妃のご不幸に我を忘れておいでだったのかもしれませんね。もしくは、子供のころから信頼されているアーロンさまの言葉だったから信用したのかもしれません。陛下がまさか、あんな紙きれの証拠を信じられるなんて……アーロンさまはご丁寧にも呪詛の証拠品まで捏造なさいましたのよ。父は亡くなり、母はあまりの悲しみに、あれからあの通りになってしまいましたわ」


 にわかには信じられない冗談のような話だ。ニーナも複雑な表情を浮かべている。クスッとレイラが笑った。


「信じられないって顔をされてるわね」

「それは。いえ、あまりにも驚いたので……」


 そのとき、玄関口で騒ぐような声が聞こえた。子供の親がやって来たのだろうか。いや違う。応対している下男ともう一人聞きなれた声。思わず扉を開くと、飛び込んできたのは黒猫のアンジェリーナだった。そして、アーロンの姿。


「アーロンさま」

 

 どうして、ここに? という言葉が続かなかった。シルクハットに黒い衣服を身につけたアーロンの頼もしい姿を見てクローディアは安堵して抱きつきたくなったからだ。しかし、アーロンの青い瞳はクローディアを冷たく見下ろしていた。


「帰るぞ」


 そう言うとクローディアの腕を乱暴に掴んだ。そのまま足早に立ち去ろうとしたが、扉口にレイラが立ちふさがった。アーロンはいまいましげに舌打ちをする。


「お久しぶりです、アーロンさま」


 イライラしたようなアーロンの様子など気にしない素振りでにこやかに話すレイラ。アーロンは眦をきつく釣り上げた。


「クローディアに近づかないでもらおうか」

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