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 クローディアは華やかで楽しいことが大好きなどこにでもいる、伯爵家の娘らしい娘だった。


 着飾ることも、愛らしい菓子を愛でることも、友人たちと何時間もおしゃべりに興じることも、優雅なステップを踏むダンスも大好きだ。根気のいる細かい図案の刺繍は少し苦手だったが、母親とおしゃべりをしながらだと、なんとか完成させることもできた。二人で刺繍をしながらいろんな話をしたものだ。大抵はクローディアのおしゃべりを母親は笑って聞いてくれていたのだが。しかし、時折あまりに進まないので、優しく嗜められることもあった。


「手元よりも口の方がよく動いていますよ。ほら、同じころに始めたのに、母の方がずいぶん進んでいるでしょう」

「ちゃんと手だって動かしてますわ。私よりも手早いのは、お母様がお上手だからよ。ああ、もう少し簡単な図案にすればよかったわ」

「ほら、また手が止まってますよ」

「でも、奥様。お嬢様のおしゃべりは私たちも楽しゅうございますよ。お静かになられてしまったら寂しく感じてしまいます」

「まあ。ですって。よかったわね、クローディア」


 母の注意も古参の女中が笑って庇ってくれる。何もかもがこんな風だった。実家の伯爵家では母だけではなく、父も兄もクローディアには甘かった。だから周りからは大事にされて、悪く言えば甘やかされて育ってきたのだ。


 クローディアは裕福な家の娘らしい我儘なところもあったが、それはわきまえたものだった。新しいドレスや宝石を強請りはしても、自分の結婚については両親に委ねて口を出すようなことはしなかった。子供の結婚については親が決めるのが世の中の常識で、伯爵家の娘は恋愛結婚をするなんてとんでもない非常識なことだったからだ。


 アーロンとの結婚も両親が決めたことだ。


 ただ、アーロンと初めて会った時のことを思い返すと、クローディアはあまりの恥ずかしさにベッドに潜り込んでのたうちまわりたくなってしまうのだが。


 出会いは公爵家の夜会。

 その日、クローディアは新調したばかりのドレスを身に纏い、兄ブライアンにエスコートされて出席した。細やかな刺繍が施された薄桃のドレスはたっぷりとレースが使われていて、クローディアが歩を進めるたびにふわふわと美しい動きを見せてくれる。


「おや、クローディア嬢。今宵も愛らしいね」

「ごきげんよう。おい、ブライアン。後でエスコートの役目を代わってくれよ」

「クローディア嬢。一曲踊っていただけますか?」


 軽口で声をかけてくるのはブライアンの友人たちだ。クローディアには隠しているようだが、ブライアンも含めて彼らは女性の扱いに長けた遊び人だ。そんな噂を聞いているし、彼らの一挙手一投足を若い女性たちが注目していた。もちろん、そんな彼らが本気でクローディアに言い寄っているわけではない。クローディアに声をかけると隣のブライアンが心配して睨み付ける様子を面白がってのことだ。大切な友人の妹に粉をかけることなどするわけがない彼らは最も安全であるとも言えるので、クローディアは安心して楽しい会話やダンスに興じることができる。


 そんな楽しい夜だったせいか、知らぬ間にワインの杯が進んでしまっていた。足元がふわふわと覚束ない。いつもならアルコールに強くないことは自覚しているので、そんな失態は犯さないのだが。クローディアのそんな様子にいち早く気づいたブライアンによって、主催者である公爵夫妻にいとまを告げることになった。


 周りには酔ったそぶりなど見せないようにしながら、会場を後にする。慎重に足を出して、まっすぐ歩くには努力が必要だった。後は階段を降りれば玄関ホールへ出られるというところで、失敗してしまった。もう帰れるということで気が抜けてしまったのだろう。あろうことか、クローディアは階段を踏み外して勢いよく転がり落ちてしまったのだ。いろいろなところを強かに打ちつけて、一番下まで真っ逆さまだ。


「いった〜い」


 腰はズキズキと痛むし、腕はひりひりする。


 だが、痛みよりもこんな失態を犯すなんて、恥ずかしすぎて顔を上げることができない。はしたない娘だとすぐに噂になってしまうだろう。アルコールを呑みすぎて階段から転げ落ちるなんて。クローディアだけではなく、両親もいい笑いものになってしまう。一瞬のうちにそんなことが頭の中を駆け巡っていた。


「……それは、こっちの台詞だ」


 怒ったような低い男性の声が下から聞こえてくる。


「まあ! や、や、や、やだ!」


 クローディアは自分が男性を下敷きにしていることに気づくと、痛みも忘れて飛び退いた。どうやら前で階段を降りていた男性を巻き込んでしまったようだ。おまけにその男性をクッション代わりにしたらしい。


 埃を払うようにジャケットを軽く叩きながら立ち上がった男性にクローディアは恐る恐る声をかける。


「……あの、ご、ごめんなさい。大丈夫ですか?」


 つり上がった男の青い瞳に凝視されたクローディアは、恐ろしさに涙が溢れそうになった。


(こ、怖い。でも、怒って当然よね)


「まさか空から人が降ってくるとは」


 紳士が独り言のように呟いた。当然、上から人が降ってくるとはこの紳士も思わないだろう。しかも酔っ払いの娘なんて。


「クローディア! 大丈夫か」


 慌てた様子のブライアンが階段を駆け下りてくる。


「マクシミリアン伯爵も大丈夫ですか? 妹が申し訳ない」

「……妹。そうか、君の妹か」

「ええ。本当に申し訳ありません。伯爵、お怪我はありませんか?」

「私は大丈夫だ。そちらこそ?」

「はい」


 クローディアは消え入るような声で返事をした。あなたがクッションになってくれたお陰で、と心の中で付け加えながら。


「いろいろ打ちつけて痛いだろうが、顔は何ともないようでよかった。ただ、酒は控えたほうがいい」


 酒?

 クローディアは両手で口元を覆った。近寄って分かるほどお酒の匂いをさせているなんて、と恥ずかしさに消え入りたくなる。よかった、と言うが目の前の紳士はちっともそんな顔をしていない。ひどい災難にあったというような不機嫌な顔。


 紳士と別れるころには周囲もちょっとした騒ぎになりかけていたので、早々に退散した。


 恥ずかしさや申し訳なさに思い出したくない夜。もう二度と会うことのないと思っていたその紳士から結婚の話が舞い込んだのはそれから数日後のこと。


 それがアーロンとの初めての出会いだった。

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