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「私を避けていたのは君の方だろう?」

「いつですか? 私が?」

「……」


 クローディアはますます訳が分からない。クローディアを避けていたのは、アーロンの方ではないか。きっと間抜けな顔をしていたのだろう。そんな様子のクローディアを見てアーロンは苛立たしげに声を荒げた。


「夜会の日だ。私から視線を慌てて外す様子を見て、またかと思ったんだ。皆、私に対してよくそうしていた。そうして、気味悪がって私から離れて行く。あなたもそうなのだと……いや、私は何を言っているのか」

「視線を外す?」


 しまった、というようにアーロンは片手で口元を押さえた。そうして、身体を翻そうと片足が一歩下がる。クローディアは瞬時に腕を取った。逃がさない。だって、この場を逃したら駄目だと思ったからだ。きっと、次に顔を合わせたら、アーロンは能面のような顔をして、この話もなかったことにしてしまうだろう。


 しかし、その瞬間、クローディアは固まってしまった。あろうことか。クローディアが取ったその腕をアーロンは勢い良く振り払ったのだ。


 信じられない思いでクローディアは言葉が出ない。ただ、目の前のアーロンを見つめるだけだ。するとアーロンは視線を左右にさまよわせた。


「以前から言おうと思っていたのだが、私は不意に触れられるのが好きではない」

「なっ……!」


 クローディアは口をぱくぱくとさせる。半年間一緒に暮らしてきてそんなことは初めて聞いた。


「でっ、では! これまで我慢なさっていたということですか?」


 アーロンは腕を組み、瞳を閉じると長い息を吐いた。まるでため息のように。


「そんな顔をされると思ったから言いたくなかったんだ。まるで私が悪者のようではないか」

「……どんな顔ですか?」

「そんな顔だよ。ほら、泣かないで。私はあなたを悲しませたいわけではない」


 アーロンはクローディアの前に真っ白なハンカチを差し出した。クローディアはおずおずと手を出すが躊躇してしまう。先ほど腕を振り払われたばかりだ。しかし、クローディアが躊躇しているのを分かっている様子なのに、アーロンはハンカチを引っ込めようとしない。仕方がないので、アーロンに触れないように親指と人差し指で摘むようにハンカチだけを抜き取った。止めていた息をふーっと吐き出す。それを濡れた頬に当てると、アーロンのコロンの香りがした。


「決してあなたを疎ましく思っているわけではない。……むしろ、私のような偏屈な者のところへよく来てくれたと思っている」


 偏屈、という自覚はあるらしい。


「これは私の問題なんだ。あなたには何も問題はない。だから普段は自分が気をつければいいこと。気持ちの準備ができてからならば大丈夫なのだが。……ただ、あなたはときおり予想ができない動きをするから困っていたんだ」

「予想ができない動き?」

「ああ。不意に女性に腕を引っ張られるなんて私にはなかったことだ。エスコートをするのならともかく」


 この前のサイラスを招いた夜のことを言っているのだとクローディアは思った。瞳の色を確認しようとアーロンを部屋の中へ引っ張っていったのだ。クローディアは知らずに夢中でしたことだったが、アーロンにとってそんなに嫌なことだとは知らなかった。


「アーロンさまは、私が触れるたびに嫌な気持ちになっていらしたの? でしたら、早く言ってくださればよかったのに……」

「そうではない! 嫌などではない! ……ただ、あなたに申し訳ないと思うだけだ」


 絞り出すようなざらついた声のアーロン。


「どういう意味で、おっしゃっていらっしゃるのか分からないわ」


 クローディアが首をかしげると、アーロンは自嘲したように微笑んだ。なぜかアーロンの方が傷ついているみたいだ。クローディアは開きかけた口を閉じる。もっと追求したいのに、アーロンのそんな表情を見たらそれ以上聞いてはいけないような気がしたからだ。


「私がこんな風だから、あなたに愛想を尽かされたと思ったんだ。だから避けられていると思っていた」

「私は避けてなどいませんわ。むしろアーロンさまに避けられていると思っていました」


(あら、こんな顔の旦那さまは初めて見たわ)


 アーロンは目を見開いて心底驚いたという表情でクローディアを見ていた。仏頂面よりよほどかわいいではないか。


「私が? ああ、駄目だ」


 そう言うと首を強く振って頭をかいた。


「また、私の悪い癖が出たようだ。サイラスにも注意されていたというのに」

「サイラスさまは何ておっしゃっていらしたのですか?」

「人に対して悪く考えがちだと。私は昔から人から好かれる方ではないのでね……まあ、当然といえばそうなのだが」

「あ!」


 以前にサイラスが話していたことをクローディアは思い出した。たしか。アーロンが子供のころに周りから気味悪がられていて、嫌がらせを受けていたと言っていた。そう言えばクローディアも夜会の日にアーロンの視線を避けたのだ。大人だから、些細なことなどアーロンは気にしないと勝手に決めて忘れていた。それが、周りが離れていったことを思い出させてしまったとしたら、と申し訳ない気持ちになる。


「すみません。そんなつもりではなかったのですが……」


 理由はと言われると、特にない。見つめていたアーロンが急にこちらを見たから、驚いて視線を外しただけだ。盗み見がばれたかのようで。


 それを聞いたアーロンは、声を上げて笑い出した。


「ははっ、なんてことだ」


 普段見ることのないアーロンの様子にクローディアはおろおろとしてしまう。


「情けない話だな」

「そんなことありません! 辛かったことはたとえ子供のころのことだと言えども、忘れられるものではありませんわ」

「いや、私は何をしているんだろう。あなたまで泣かせて……」


(ああっ! また暗くなってしまうわ)

 クローディアは慌てて声を出す。


「あのあのっ、他にはありませんか? 触れられること以外に嫌なことは。私気をつけますので、教えて下さい」

「……クローディア、あなたっていう人は」

「旦那さまもそんな顔をされるのですね」

「そんな顔?」

「くすくす。そんな情けない顔です。さっきからいろんな表情を見せてくれるので、私驚いています。ふふっ、今更そんなしかめ面を作っても無駄ですよ」


 アンジェリーナが足元へやってくる。それをクローディアはそっと抱き上げた。


「まさか、そんな風に言ってくれるとは思わなかった。てっきり呆れられるかと思っていた」

「そんな、呆れるなんて。誰だって嫌なことや苦手なことがありますわ。ただ、早く言ってくださればよかったのに……とは思いますが」

「すまない」


 アーロンが辛そうに眉間に皺を寄せた。そんな辛そうな顔を見たらそれ以上何も言えなくなってしまった。


「もういいです。そんな顔なさらないで。ほら、この子大きくなったでしょう」


 話を変えるために腕の中のアンジェリーナを見せる。日に日に大きくなっているアンジェリーナ。するとアーロンが手を伸ばしてその小さな黒い頭に触れた。アンジェリーナは気持ちよさそうに瞳を閉じる。


「そういえば。あの時何をおっしゃろうとしましたの? ほら、アンジェリーナを初めて見た時です」


 初めてアンジェリーナを見たときにアーロンは何か言いかけていたが、何でもないと会話を切り上げたのだ。しかし、アーロンは口元を覆って横を向いてしまう。ほんのり耳元が赤くなっているようだ。


「勘弁してくれないか」

「あら、それくらいいいじゃないですか」


 クローディアは頬を膨らませて、口を尖らせた。そんなクローディアを見て仕方がないというように肩を落とした。


「いや、アンジェリーナという名前を聞いて……」


 小さな天使という意味だ。かわいいこの黒猫にぴったりだとクローディアは思っている。


「ただ、あなたの方がよほど似合っていると思っただけだ」


 それだけ言うと、アーロンは振り返りもせずに出て行ってしまった。残されたクローディアはかーっと頬が熱くなり、両手で押さえた。


「私に? アンジェリーナという名前が?」

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