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「では、戻りましょうか」
サイラスに優しく微笑みかけられる。案じてくれる優しさに触れて、クローディアは元気が込み上げてくるような温かい気持ちになった。我ながら現金だと思う。
ーーそうだわ。自分で悪い方へ考えるのは良くないこと。
シンシアを心配するのは思慕からではないかもしれないのではないか。レイラと婚約破棄をしたときにはそういう気持ちがあったかもしれない。でもだからと言って、いまもそうだとは限らない。むしろ気持ちの整理がついたからクローディアとの結婚を決めたのではないか。婚約破棄については知りたい気持ちがむくむくと湧いてくるが、どう考えてもクローディアにとって楽しい話であるわけがない。
ならば、聞かないでおく方が得策な気がした。
シャンデリアの輝くホールへ戻ってくると、自然にアーロンの姿を目が探していた。一際背の高い彼は、まだブライアント談笑している。すっと通った鼻筋が綺麗な横顔。するとその顔がクローディアの方へ向けられる。アーロンの青い瞳と目が合った。なぜ。離れているというのに、じっと見つめていたせいだろうか。しかし、驚いたクローディアはその視線を避けるように外してしまう。まるで無視をするように。
(ど、どうしよう! つい私ったら……)
まるでアーロンと視線が合ったことを嫌がって視線をわざと外したようではないか。自分のしでかした失態にきゅうっと喉が締め付けられるようだ。どうしようと後悔が襲いもう一度アーロンを見るが、もうその青い瞳はこちらを向いてはいなかった。
「マクシミリアン伯爵夫人!」
気安く呼びかけられ振り返ると、噂の的のメイスン公爵夫人だった。先ほど見かけた顔とは打って変わって明るく朗らかだ。こんな風に親しげにされたことがなかったので、クローディアは若干引いてしまう。
「あら、サイラス殿もごきげんよう」
「いい夜ですね。メイスン公爵夫人」
メイスン公爵夫人は、クローディアとサイラスをまじまじと見つめる。
「変わった組み合わせね。ああ、そういえば。マクシミリアン伯爵とはご友人だったわね」
「ええ、いまその友人に愛妻殿をお返しするところだったのですよ」
「あなたもそろそろ観念したらいかが? あのマクシミリアン伯爵でさえ落ち着かれたのですから。お父上のバートン伯爵も気を揉んでおられるのではなくて? 私でよければ、いくらでもお世話させて頂くわよ」
あの、という言葉にクローディアの肩はぴくりと反応する。どういう意味だろうか。
「はは。それは光栄です。可愛らしい女性ばかりで……ですが、なかなか公爵夫人のような素敵な方には出会えませんね」
「まあ、それはありがとう。でも、あなたが身を固められたら女性たちの悲鳴が聞こえてきそうね」
にこやかな公爵夫人だが、いつも連れている取り巻きが一緒ではなかった。
(もしかして……)
ちらりとクレイ公爵夫人の方へ視線をやると、人だかりの中に見た顔がちらほらとある。メイスン公爵夫人のお茶会に出席していたご婦人たちだ。あちらへご機嫌伺いというところだろうか。
「マクシミリアン伯爵夫人もお礼のお手紙をありがとう。またお茶会にいらしてくださいね」
失敗したと思っていたが、また呼んでくるというのでクローディアは驚いた。てっきり公爵夫人のごきげんを損ねてしまったと思っていたのに。ほうっと安心してため息が漏れた。よかっと。公爵夫人に睨まれたら社交界では大変なことになるのだ。その公爵夫人はふっくらとした笑みを浮かべて、そっと耳へ口元を寄せた。
「迷路へは入られなかったとか。レイラ嬢があなたともっとじっくりとお話したいと申してましたよ。また近々いらしてくださいね」
驚いてクローディアは公爵夫人を凝視するが、涼しげに「では」とサイラスに挨拶をして去ってしまう。
(レイラさまが……)
儚げな美しい姿が脳裏によぎる。昔のアーロンのことを聞かない方がいいと決めたばかりなのに、クローディアは心が揺れていた。
「あなたがメイスン公爵夫人と仲良くなさっているのは意外ですね」
「そうですか? 以前にお茶会に呼んでいただきましたの。そこで失敗してしまったのですが、また呼んでいただけるようでホッとしましたわ」
「それは公爵夫人も必死なのでしょう。ほら、いまは分があまりよくないですからね」
サイラスは視線でクレイ公爵夫妻を指す。周りにはたくさんの人。娘の懐妊というのはそれほど影響を及ぼすのかとクローディアは息をのんだ。これで王子の誕生となればクレイ家の天下というのも頷けるというものだ。
サイラスは「その失敗も聞いてみたいものですけどね」と面白がっているがクローディアは聞こえていないふりをしておく。
「さあ、アーロンのところへ戻りましょう」
「……ええ」
気まずい思いで躊躇するが、サイラスに促されて戻ることになってしまう。もしかしたら。遠かったのでアーロンと視線が合ったというのが気のせいかもしれないしと思う。それにもしそうだったとしても大人のアーロンがそんな些細なことを気にしてはいないだろう。
「クローディア、僕のところへ来るって言って一体どこへ行っていたんだい?」
どうせ迷ったんだろう。ドジだなぁ、というのを言外に含ませながらブライアンが馬鹿にしたように笑う。まったく。のんきで羨ましいものだとクローディアは兄を眺めた。
「ちょっと迷っただけですわ」
クローディアの答えに大げさに肩を竦め両手を広げて見せるブライアン。揶揄う態度が憎たらしい。
「こんなドジな妹で恥ずかしいよ」
「お兄さまだって似たようなものでしょう。大体この前だってーー!」
いつもの調子でやりかえそうとして、はっとする。人前で兄弟喧嘩をしようとするなんて。なんて、はしたない。母のお小言が聞こえてきそうだ。現に隣のサイラスは横を向いているが絶対に笑っている。隠そうとしているようだが肩が震えているのが見て取れるのだ。それもこれもブライアンが揶揄うせい。
「まったくアーロン殿には申し訳ないです。こんな妹ですが愛想をつかさないでやってくださいね」
冗談ぽく言うブライアン。クローディアはおずおずとアーロンを仰ぎ見る。しかし、視線は合わなかった。
「いや。こちらの方がですよ」
どういう意味? とアーロンを見るがブライアンの方を向いたままで、クローディアへ視線を向けることはなかった。
メイスン公爵に声をかけられて自然とブライアンやサイラスと別れたが、それでもアーロンと視線が合うことはなかった。もやもやとした気持ちで夜を過ごしてようやく気づく。
(もしかして、私避けられてるの?)