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 そそくさと二人でその場を離れると、クローディアは安心してほうっと息を吐いた。


「ごめんなさい。巻き込んでしまったようで」

「いいえ。私こそ。余計なことを言ってしまったみたいですね」


 巻き込んでしまった申し訳なさに小さくなったクローディアだが、女性は軽く笑う。


「大丈夫ですよ。公爵夫人は些細なことはすぐにお忘れになる方ですから」

「些細なこと、だといいのですが」


 クローディアはがっくりと肩を落とした。公爵夫人の機嫌を損ねてしまったら、もうお茶会には呼ばれないだろう。


「きっと今ごろはシンシアさまのご懐妊のことで頭がいっぱいになっておられますよ。もし、事実であれば公爵家の一大事ですし」

「そうですか。だといいのですが……」

「ふふ。冗談ではなく、本当に一大事なんですよ。もし、妊娠が事実で男のお子さまだったら王太子のご誕生です。その場合、シンシアさまのご生家であるクレイ家の影響力が増します。それに対してメイスン家の力は弱まっていくでしょう。二大貴族といっても水面下での勢力争いは熾烈です」

「まあ」


 若い国王と美しい王妃が並んでいる姿をクローディアは夢物語と重ねて憧れていた。クローディアに限らず国中の若い娘はそうだ。しかし、水面下ではこんな戦いが繰り広げられていたとは知らなかった。


「よくご存知ですのね」


 話しながら足を進めていたらいつの間にか、クローディアたちは菜園の区画に来ていた。話をしながらそれを横目で眺める。柘植の刈り込みで美しく地割りされてそれぞれに野菜や果樹が植えられていた。


 クローディアの言葉が可笑しかったのか、女性は声を上げて笑いだした。


「こんなこと常識ですよ。社交界のものならみんな知っています。だって、どちらに付く方が自分に得なのか、と貴族たちも窺っていますもの。そんなこともご存知ないなんて、どちらの田舎から出ていらしたのかと思ってしまいますわ」


 クローディアは恥ずかしくなり下を向いてしまう。

(そうか。常識だったのね……)


 自分は無知だったようだ。社交界に出て、結婚をして。いっぱしに世間を知ったつもりでいたのが、いまは恥ずかしくてたまらない。そんなクローディアの手に、女性の白い両手が伸ばされて、ぎゅっと握られる。驚いて女性の顔を見ると、満面の笑顔を浮かべていた。


「なんて、可愛らしい方なのかしら! ああ、ごめんなさい。気を悪くされたかしら。だって、あなたがあまりに可愛らしいことをおっしゃるので、思わず言ってしまったの。悪気はないのよ。気を悪くされたらごめんなさいね」

「い、いえ」

「マクシミリアン伯爵が大切になさっているのね。だって、人によっては出世のために奥様の立ち回りを求める方もいるというのに、伯爵はそんなことはなさらないということですものね。羨ましいわ。私だったら、どうだったかしら? まあ、過ぎたことですが」

「私が世間知らずなだけです。このことを知ったら、きっと夫は呆れてしまいますわ……」


 アーロンはなんて言うだろうか、と想像する。すると、この女性の言う通りアーロンはクローディアに上手い立ち回りなど求めていないような気がした。しかし、大切にしているというわけではなく、期待していないという理由からだろう、とクローディアは思った。それと。


「過ぎたこと、というのは?」


 菜園をまっすぐ横切ってきたクローディアたちは、クマシデの木々が茂るところまで歩いてきていた。クローディアの背よりも高いところでまっすぐ切りそろえられているそれは、おそらく夜会の日に入ってみたいと思った迷路だろう。

 女性が立ち止まり首を傾げる。


「本当に過ぎたことですのよ。ですので、お気になさらないでくださいね。あなたから哀れみの目で見られるなんて惨めすぎますもの。いまは、アーロンさまのお幸せを願っておりますわ。心から」

「あ、あの。私には何のことだかさっぱり」

(分からないのですが……)


 謎かけのような女性の言葉にもやもやとした気持ちになってくる。すると、その言葉に女性が瞳を丸くした。


「まあ、でしたら知らない方がよろしいかもしれませんわ。私はちっとも気にしていないのですが、アーロンさまは違うのかも知れませんね」

「そこまでおっしゃったのですから、教えてくださいませ」

「では、申し上げますが。このことは、アーロンさまには内緒にしてくださいね。可愛らしい方に告げ口したと知れたら、私が恨まれてしまいますもの」


 女性は唇を横に引いて微笑みの形を作る。真っ赤な唇が鮮やかでクローディアは目を惹かれた。


(聞かない方がいいわ、クローディア!)

 自分の中で警告するように感じているのに、女性に向かって肯定するように頷いた。


「元婚約者ですの。ある理由でこちらから破談にしたのですが。それを不服に思われたのでしょうね。アーロンさまにはその報復として手酷い仕打ちを受けましたわ」

「……元婚約者」


(ほらね。聞かなきゃよかった)

 頭では自嘲しながらも、心臓はどくどくと早鐘を打ち始める。目の前の儚い風貌の女性。この人とアーロンが婚約していた。その事実に動転しているのをクローディアは自分でも感じていた。そして、聞かなければよかったと思うのに、口をついたのは反対の言葉。


「それで、ある理由とは?」


(アーロンさまが報復したくなるほどだなんて、よっぽどだわ)


 女性が逡巡するように頬に手を当てたが、決心するようにため息を吐いた。


「あの方がある高貴な女性に心奪われていたからですわ。そして、その方とは決して結ばれることがない。ですから、私と結婚なさろうとしたのです。私も子供だったのですね。とてもじゃないですが、そんな結婚生活を送りたくありませんから。他の女性に熱心な夫なんて、あまりにも惨めではないですか」


 決して結ばれない思い人。そんな方がいたなんて、とクローディアは心が痛む。


「ある高貴な方とはどなたですか?」

「アーロンさまに決して確かめてはなりませんよ。過去のことですからね。いまはあなたを大切になさっているのでしょうから」


 女性の赤い唇が、王妃さま、と動く。思いもしない言葉にクローディアの頭がついていかない。そんなクローディアに女性はいたわるような笑みを浮かべる。


「シンシアさまです」


 第一王妃のシンシアさま。見るものを魅了する美しい美貌を持つ。確かにアーロンがいくら思っても、思いを遂げられることはないだろう。目の前が暗くなるのを感じて、なぜだろうとクローディアは疑問に思った。愛情よりも信頼をアーロンに感じていたはずだというのに。


「迷路、入られますか?」


 クローディアはゆるく首を横に振った。

(私ったら、知らないことばかり。それに、この方の名前も知らないのだわ)

 また世間知らずと笑われそうで躊躇ったが、知りたい気持ちの方が強くて名前を問う。黒髪に白い肌、鮮やかな赤い唇。まるで、魔女のようなんてクローディアは思った。


「私は、レイラ・ソマーズですわ」

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