番外編・日
スーツに着替える。ネクタイを締めるのは就活や学会で慣れた。
扉に手をかけ、ふと後ろを振り返る。四年間見てきた、過ごしてきた、俺の部屋。
サークルや部活に入らず、バイトをしまくるわけでもなく、この部屋でただひたすらにダラダラと過ごしてきた。色んな人が気兼ねなく……つーか遠慮も容赦もなく突撃してきて毎日騒がしかった。
大学生活の大半を過ごした我が家。ここで過ごすのも残り僅かなんだな。そう思うと少し感慨深くなる。
「うし、行くか」
今日は卒業式。大学を卒業することになる。いやー、ありきたりだけどあっという間だったなぁ。
……来年から社会人かー。……人生における夏休みと呼ばれる大学生活が終わるのかー。えっ、嫌なんだけど!? 果てしなく嫌なんだけど!?
卒論発表を終えて、その前には毎日ひたすら実験の日々。貧乏な故にネカフェで宿泊してばかりだった就活、配属された研究室はブラック。
思い返せば次々と浮かんでいく記憶。何より、一番に思い浮かぶのは、
「あ、光一君こっちっす!」
「うご!?」
声が聞こえたと同時に背中を押された。振り向けば、黒髪をなびかせた袴姿の女の子。
「えへっ、だーれだ?」
「いやゲーム性ゼロか。姿を見られたくせにだーれだは無理があるだろ」
「はいタイムアップ~、光一君の負けっす」
「時間切れってんな無茶苦茶な……」
「正解は……えへへ、光一君の彼女の乙葉ちゃんでしたっ」
手が離されて視界が良好になった俺の前に回り込んできたのは、五月女。俺の、彼女だ。
「おう」
「うっす。……は、恥ずかしい」
「自分からやっておいて!?」
照れを含んだ桜色の頬は今にも香り立ちそうな女性らしさを引き立たせる。五月女は顔を覆って、うぅ、と鳴く。
「変な奴」
「光一君に言われたくないっす! いつも部屋でグータラしてばかりのくせに」
「いつもお前が来るからだろ。それにこの一年は研究で家にいる時間はほとんどなかった」
「それでも愛しい彼女の為に時間を作ってくれた光一君なのでしたっ」
「お、おう。そうだけどさ」
「うっす! ……は、恥ずかしい」
「これ二回目!」
「そ、そんなことより自分を見て何か感想ないんすか!」
五月女はその場でクルリと回る。髪を翻し、両手をパタパタと広げて、桜色の頬を緩ませて大きな瞳は上目遣い。あざとーい仕草だ。そんなんで俺が喜ぶと思ったか喜ぶわ。喜ぶんかい俺っ。
「は、早く言ってっ」
「分かったって。……すげー似合っているよ。マジ最高だわワンチャンある」
「ほ、本当?」
「嘘言わないって。めちゃくちゃ、可愛いよ」
「えへへぇ」
緩んだ笑みがさらにとろける。なんだこいつ可愛すぎだろ。亜麻色の髪は黒に変わり、あの頃と比べて少し切った髪も似合っていて、
「ホント、自慢の彼女だなぁ」
「っ、こ、光一君」
「え、今の声に出てた?」
「あうぅ……褒めすぎっす! そんなに言わないで!」
「言えと言ったり言うなと言ったり意味不明だな!?」
そして俺も何を言っているんだ。言えと言ったり言うなと言ったり? なんだこれ読みにくい。まあいいや。
さて、そろそろ行かなくちゃ。俺は五月女に手を差し出す。
「行こうぜ」
「うんっ」
手を繋ぎ、二人並んで歩く。大学を卒業しても、俺と五月女は一緒だ。見た目が変化しても、住む場所が変わっても、俺らは褪せず変わらず今までと同じようにのんびり過ごしていくのだろう。
「これからもよろしくな、五月女」
「名前で呼んでほしいっす」
「……たまに呼んでるからいいじゃん」
「今呼んでほしいの」
「ったく……あー、乙葉」
「うん。えへへへへへぇ」
「緩みすぎ! だからそれ逆に言いにくいだろ」
俺と乙葉は歩く。これからも、ずっと、一緒に。