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 溺死したはずの自分はなぜこんなだだっ広い花畑にいるのだろうか。

 地面に仰向けに倒れていた少年は気怠い体をゆっくりと起こしながら考えた。


 ……まさかここは天国だ、なんて言うわけもあるまい。考えられるのは、自分が実は死んでおらず助け出されて夢を見ているか、あるいは死にかけて幻覚を見ているか。そのどちらかだろう。


「目が覚めましたか?」


 しかし夢や幻覚にしてはやけにはっきりとした女性の声が耳に触れた。振り返ってみても誰もいないのに、なぜか声だけはすぐ傍から聞こえてくる。


「……どこにいる」


 目に見えない相手にも強気でそう尋ねる少年に、鈴を転がしたような声で女性はからから笑った。壁などなくただただ花と青空が広がるばかりだというのにその声は嫌に反響している。


「ここですよ、ここ。ずっと傍にいました」


 立ち上がった少年のすぐ隣に、少年よりも幾分か背の高い、真っ白なシーツを被ったような服装の金髪の女性が現れた。顔はどこか欧米寄りだが鼻は低く、目は金色で肌は恐ろしいほどに白い。どこかアンバランスだが少年と並ぶと不思議と親子のように見えた。どこがどう似ているとは言えないが、雰囲気とでも言えば良いのだろうか。人間離れした空気を纏っているところは瓜二つと言っても過言ではない。


「お前は人間?」

「いいえ恐らく違います」


 不躾な態度の少年に女性は丁寧に答えた。


「私は自分が何者なのかは知りません。何をすれば良いのかも、どこから生まれたのかも」


 そこで少し悩むような素振りを見せて、女性は軽く右手を奮った。引きずる程に長い服が連動するように裾の方まで揺れる。丁度毛布を綺麗に広げようとしてばさばさとはためかせた時のようだと少年は思った。よく見ればそれはただの白い布ではなく、ところどころに金色の細かい刺繍がされていたが、どこかデザインは古臭く、女性の綺麗に整った顔には不釣り合いに見える。


「とりあえず、お茶でもどうですか?」


 女性が手をおろすとそこにはパラソル付のテーブルがあった。椅子は二脚。横には銀色が眩しい程に磨かれた台車もあり、その上には花柄のポットと揃いのカップが見える。白い小瓶の中身は恐らく砂糖やミルクだろう。少年は勧められるがまま椅子の一つに腰かけた。警戒しているような様子はないが、気を許しているようにも見えない。例えるならば嫌いな飼い主から餌を貰う猫……といったところか。受け入れる気持ちはあるが袖を振るつもりはないのだろう。


 女性は苦笑しつつも少年の向かいに座り、優しい手つきでカップにお茶を注いでいく。少年の目にはそれがきらきらして見えた。飴色の澄んだ色の液体。その陰になってよく見えないが、どうやら台車の上には新たにお茶菓子が現れたらしい。レースのナプキンを敷いた籠を少年は少しだけ席を立って取った。中身はステンドグラスクッキーとカヌレ。おそらくお茶会の流儀などは関係なしに女性が今食べたいものを現したのだろう。手始めにクッキーに噛みついてみるが少年の口には合わなかった。見た目は綺麗だがぱりぱりとした飴がどうにも邪魔に感じる。


「……ここはどこなの」


 こぽこぽと良い音を立てるお茶に食指を動かされ今度はカヌレに噛みついた。どうやらこれは口にあったらしい。ぺろりと一つ食べ終えた後にすぐに二つ目に手を伸ばした。

 女性はちらりと少年を見た後優雅にお茶を一口飲み、それから息を小さくついてから口を開いた。


「……わかりません」


 少し悲しげな顔をした。


「さっきからそればっかりだな」


 しかし満足のいく答えを一つももらっていない少年は一切の気遣いもなく不機嫌そうに足を組んだ。その態度に女性は少しだけ萎縮する。


「ごめんなさい、明確な答えは私も知らないのです。でもここへ来た人の大半は天国だとか死後の世界だとか泣き叫んでますね」

「ふうん」


 大方が自分の考えと同じだったと知った少年は、やはり、つまりここはそういう所なのだろうと一人頷く。どうやら三途の川はないらしいがここは間違いなく死者の行きつく最後の砦。しかし、だとすれば目の前のこの女性はなんなのだろう?

 少年の視線をどうのように受け取ったのか申し訳なさそうに女性は指を組んだ。


「申し遅れました、私はこの世界を作った者、メウリアーノと言います」


 女性の、メウリアーノの言葉に少年は組んでいた足をおろし、今度は胸の前で腕を組んだ。


「つまり、神様ってこと?」

「そうおっしゃる人もいますね。一応死者の魂の行方を見守るのが私の仕事です」


 見守るという言葉に少しだけ違和感を感じながらも一応は納得したように頷きお茶を一口。爽やかなレモンの香りがする紅茶だった。少年は少しだけ砂糖を足してティースプーンでお茶を混ぜると一気にそれを飲み干す。


「……で? 神様がたかが死者の一人に何の用なの。まさか魂全部ひっ捕まえて毎回楽しくお茶をしてるわけじゃないだろ」

「えぇ、まぁ……」


 メウリアーノはしばらくもごもごと口の中で言葉を探していたようだったが、二杯目のお茶も飲み終わりそうな様子の少年を見て、意を決したように立ち上がった。


「大変申し訳ないのですが、貴方は私の管轄の世界でもう一度生きてもらうことになりました」

「は?」

「ごめんなさい! 死ぬ予定ではなかった魂を間違って殺してしまったのです。そして急遽空の体に魂を込めなくていけなくなってしまって……」

「まて、まてって落ち着けよ。ちゃんと1から説明してくれる?」


 一度口をついて出た言葉はなかなか止まらず、十数秒間わたわたと意味の分からない言葉を紡ぎ続けるメウリアーノに少年も少しだけつられたように慌てだし、思わず立ち上がるとやっとメウリアーノは自分が何を口走っていたかを理解した。途中から少年の知らない言語で語り続けていたのだ。


 二人の間に妙な空気が流れる中、ふわりと少年の足元の辺りに蛍の光のような物が浮かび上がった。青空が広がる中に光を確認できるということは、本来は蛍のような仄かな光ではないということ。中心にもどうやら虫はいないらしい。


「あぁ、ちょっと失礼しますね」


メウリアーノはふらふらと危なげな足取りでその光に近づいて行った。確かに動きにくそうな服装ではあるが、どこか病的なものを感じる動きだった。


「……それ、何してんの」


 光に群がる虫のごとくそれに近寄り両の手で掲げるような恰好をとったメウリアーノに少年が怪訝な視線を送る。

 おそらく、話の流れやその他色々なものを加味するとあれは誰かの魂なのだろう。そして彼女はあれを今から「殺す」。


 悲しげな顔をしたメウリアーノが泣き出しそうなほどに瞳を潤ませ、そっとその光を撫でつけた。光はちかちかと消える寸前の電球のように数回瞬いた後、一際強く一度だけ光、そのまま消えた。ぽろりと大きな滴がメウリアーノの頬を伝う。


「この子は……ミーラ・マーフォーク・ユラウ。今年12歳になったばかりの女の子です」


 マーフォークという言葉に聞き覚えのある少年はほんの少しだけ首を傾げたが、メウリアーノはそれに気づくことなく言葉を零し続ける。


「彼女は寵愛者となったシルガの妹さん。本当は今年はシルガの番だったのですが……基本的に寵愛者は殺されないので、彼女はシルガと代わりに災厄を祓う為の生贄となりました……」


 それから空っぽになった手をきゅっと握ると白く長い服を引きずりながら少年の元へとやってきて、変わらず辛そうな顔で、カヌレを食べようとしていた少年の手を優しく包み込んだ。


「寵愛者とは神に愛された子供。私に愛されたが故に魂を込めてもらえなかった、可哀想で幸福な子供……」

「うん……?」

「あなたにはエルフの森の寵愛者、ロアンツ・エルフ・クランの体に入っていただきます」


 そう言うや否やどこからともなく一枚の羊皮紙を取り出して少年に手渡した。受け取ってみるとどうやらそれは契約書か何からしいが、見知らぬ言葉で書かれているそれを少年が読めるはずもない。

 ただ一番上に「佐藤瞬」と少年の名前が日本語で書かれているのは分かった。歪んだ文字……明らかに書きなれていない者が書いた字だ。


「同意するには体の一部が必要です。そこには私があなたを利用する代わりにあなたの願いを一つだけ叶えると書いてあります」

「俺には読めないからそれが本当かどうか確認する方法がないんだけど?」


 そういわれるとは予想していたのだろう。ぐっと詰まるような声を出したメウリアーノがもう一枚の紙を取り出した。


「こちらには別の世界の神の名前と私の名前、それからあなたの名前があります」


 受け取って目を通すと確かに一番上に自分の名前があった。それから一枚目の紙にあった文字と同じものが瞬の名前の後ろにある。おそらくこれがメウリアーノの名前なのだろう。そしてそのさらに後ろにあるのが別の神の名前。


「そこには「神メウリアーノが日本人佐藤瞬にどのような行いをしても神ニカが許す」とあります」

「意味は?」

「……例えば私がここであなたを甚振り殺してもニカの名の元に全てが許されるということです。本来ならば世界を創ったものが別の世界の魂に干渉するのは許されざること……」


 書類があろうとなかろうと神に対して自分はあまりにも無力だ。強制されてしまえば瞬はロアンツの体に入らざるを得なくなる。問題なのはなぜそれをわざわざ契約書まで作って同意させたがるのか、ということ。二枚目の書類はつまり一枚目の書類に同意しないと無理やり魂を押しこめるぞ、という脅しだろう。元より一枚目の書類なぞなくても執行することは簡単だろうに。


 瞬はじっくりと何度も二つの契約書を睨みつけたが答えは見当たらない。ちらりと盗み見るとメウリアーノが祈るような目でこちらを見つめ返す。それもまた、気に入らない。


「ねぇこれ、なんでわざわざ願いを一つ叶えると約束してまで同意させたがるんだ。俺に頼みたいことがただロアンツの体に入ることなら、こんなに手を回す必要もなかったよね?」

「それは……だって、いきなり連れてきて、また別の世界で生きろなんていうの、酷じゃありませんか」


 メウリアーノの言葉に瞬はけっ、とわざとらしく悪態をついてみせた。

 ……気に入らない。なんだその善人のような言い分は。


 大体、神という存在が本当にいるのならばなぜ自分はあの世界であんな目にあったのか。平等なんて言葉は幻想だと知ってはいた、もとい、悟っていたが。それにしたって両親から始まりクラスメイト、ご近所さん、その他もろもろetc……。

 瞬はもう一度、今度は思い切り舌を強く打ちメウリアーノに自分のいら立ちを伝えると、食べようと思っていたカヌレを籠ごと全部ひっくり返した。……予想通りそれは地面に着く前に光の粒となって消えた。

 やはり、偽物。丁度RPGでモンスターを倒した時のようだな、と思う。おそらくメウリアーノは魂などの実態を持たないものには強いのだろうが、それに反して実態のあるものには手を触れることも叶わないのだろう。


「ニカって誰」

「……別の世界の神です」

「俺がいたところ?」

「いいえ」


 つまり世界はいくつもあるのか。

 そしてどうやら自由に……とは言えないのかもしれないが、魂を別の世界に移すこともできるらしい。


 瞬は思いつくことがあって一つメウリアーノに提案をすることにした。


「さっき、何でもするって言ったよね」


 その言葉の意味することも知らずに、受け入れてもらえたと思ったメウリアーノは嬉しそうに頷いた。

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