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少年を遊馬が持って返ると、嬉しそうに草詩が走り寄ってきた。
「あら可愛い。どっから攫ってきたの」
「俺を誘拐犯みたいに言うな。広場で倒れていた」
「…ふーん。この子、こっちの世界の匂いがしないね」
「分かるのか」
「ユーちゃんと同じ匂いがする」
分かるのか-そして呼び名統一しろよ。
突っ込むより早く、草詩はもう少年を抱え、何かを呟き始めた。すると少年は青白い光りに包まれながら、ゆっくりと、宙を浮いた。そして、風のようにゆっくりと地面に落ちていくと、両目を開いた。素直に感心した。
「…う、ん…」
軽く頭を振りながら、少年がこちらを見る。年の頃は常磐とそう変わらないだろうか、小柄で、中性的な顔立ちの可愛らしい少年だった。大きな目より更に大きな眼鏡をかけ直しながら、こちらを見た。
「大丈夫か」
「…は、い…え、と、ここは…」
「名前と住所言えるか」
まるで職質のようだな-遊馬が頭をかきながら少年の答えを待った。せめて記憶喪失でないことを祈るだけだった。
「まだら、です。斑。○×駅の近くに住んでいます」
「ここに来る前、何をしていたか覚えているか」
少年は少し唸った後、真面目に考えるように、少し顔をうつむかせた。年の割に落ち着いていて助かった。
「学校から…帰っていました。そしたら酷いゲリラ豪雨があって。傘も忘れて、近くに雨宿り出来るようなところもなくて、とりあえず走ってて…あれ…それから、どうなったっけ?」
本当に覚えていないようだ、困ったように顔を動かす斑を、草詩が覗き込んだ。
「少なくても死んではないようだね。ぼーっとしてるから、車に引かれたかもしれないけど」
「え、ぼ、僕死んだんですか!?」
「草詩、無意味に驚かすな…説明する」
つってもこっちも事情掴んでいるわけじゃないが-遊馬がため息一つ、斑を見た。怯える目が子犬のようだった。どうせ恐い顔してるよ、と随分久しぶりに、軽く落ち込んだ。
「なるほど…よく分かりました。全然分かってないような気もしますが」
素直だ。
説明は困難を極めた。というのも遊馬も何か確たるものを掴んでいるわけでもないし、茶化しながら説明にツッコミをいれる草詩を黙らせたところで、彼もまた、そういう意味では、この世界の何たるか、何も掴んでいないのだ。
それでも住める、それでも生きれる、それでも統べられる。それこそがこの世界そのものであり、そして、最大の疑問でもあった。解決の糸口すら、見つからないが。
斑はしばらく考え込んだ後、顔を上げた。
「あの…僕も帰れそうにないんですよね」
「だね。さっきからやってるけど、びくともしない」
「では…よければ、住み込みで働けるところを紹介していただけませんか。この世界が分かるところだったら、尚いいです」
「ここでいいじゃねぇか」
「そうだよ、ここに住みなよ」
そう言って笑う草詩は妙に不気味だったが、今は気にしてられなかった。説得中に、気を散らすのは命取りだ。斑が心配だが、それは正直建前で、同じ世界から来た者を手放すのは惜しすぎた。
「でも…ご迷惑じゃ」
「ガキはそんなこと気にするな。俺も厄介になってるんだ、お前がいてくれた方が正直助かる」
「そう…ですか…じゃあ、ご厄介になります。あの、どうでもいいことかもしれませんが…僕、18です」
「「え!?」」
「あ、やっぱり見えません?」
そう言って力なく笑った斑は、人形たちが早急に用意した部屋に、申し訳なさそうに消えていった。誰だ最近の子どもは発育いいって言ったやつ、さすがに悪かっただろうか、と頭をかきながら遊馬も寝室へ行くと、草詩が布団を占領していた。
「おい、どけよ。つうかお前、部屋に帰れ」
「…やだ」
「草詩」
「やだ」
何を拗ねているんだ-面倒臭そうに頭をかきむしり、布団を無理矢理引っ張ると、背中に思い切り草詩が突進してきた。
「いって!何だよ、お前!」
「別に」
振り返ると、睫が当たりそうだった。これだけ近くで目元を始めて見るが、これだけ近くで見ると、自分と同じくらい色んなものを見てきた何かを感じた。
「…なあお前、まさかと思うが、年、俺と同じくらい」
「………すー…」
寝てるよ。がっくり項垂れ、遊馬も目を閉じようとすると、遠慮がちなノックが聞こえてきた。斑だろうか、草詩にしがみつかれている為身動きが取れない遊馬が、はい、と大きく返事をすると、部屋がまた遠慮がちに開いた。
「夜分に申し訳ありません…っ、きゃっ!」
「お前か」
また厄介な人物に見られた-遊馬が芋虫のようにどうにか這い出る。何をどう誤解したのか(そう言えばややこしも草詩は女で通っているんだったが)、真っ赤な常磐の元に、遊馬が近づいていく。
「草詩なら寝てるぞ」
「も、申し訳ありません…あの、遊馬様。私、巫女塔に帰ろうと思います」
「出て行くのか」
「はい。いつまで経っても子は授かれませんし、塔からも祈りは捧げる事は出来ます。草詩様の為に。それに差し出がましいことかもしれませんが…私、男性は苦手で…小さい頃からずっと巫女の中で育ってきましたし、また男性の方が増えましたし」
恐い恐い、だんだん言葉が刺さってくる。草詩が取られて嫌で堪らないのだろう、涙目が刃物になって、ちくちくと胃に刺さってくるような気分だ。
「あんたには悪いが、俺は行く宛てがない。当然、あの斑もだ」
「ええ、そうでしょうね。ですから私が出ていきます。おやすみなさいませ」
それだけ言い捨てると、常磐は大股で、それこそ逃げるように廊下を進んでいき、やがて見えなくなった。もう追うべき言葉さえ見つからなかった。ベッドの草詩を覗き込み、いいのか、と聞くと、ぱっちり両目を開けた。やっぱり眠ったふりをしていやがった。
「巫女がいなくなるのは惜しいけど、帰った方がいいかもね。襲撃なんてないだろうけど、巫女塔の方がまだ確率が低い」
「まあ、お前がいいならいいが」
「…すー…」
だから寝るの早ぇよ、まだしがみついてくる草詩を抱え込むように、遊馬も両目を閉じた。