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何で、何で―辺りを見渡すも、誰もいない。草詩も、斑も、佐倉も、御倉も、大倉も、常盤も―溌と奏はちゃんと帰ったのか―
夢?夢なもんか。11年の人生も、あの魔法世界の日常まるごと夢なもんか。顔を叩くが、周りの風景は変わらない。どうしたらいいか分からない遊馬が途方に暮れていると、ふと、小さな足音が聞こえてきた。常盤かと思ったら、そんなわけなかった。常盤よりもっと小さい、大家の孫だ。
「ばあば!」
「あらあら、走ってきてのー?危ないでちゅよー。待っててねー、ばあば、今、アイスあげまちゅからねー」
甘ったるい声のまま大家が自分の家に引っ込んでいき、孫娘が遊馬を見上げている。子供には間違いなく泣かれる顔だが、この孫娘は何度か面識がある為、いきなり泣いたりはしない。遊馬が彼女を注意深く見る。大家から無理やり見せられた彼女の入学式の写真は、とんでもなく太っていた。そして今もう既に、面影がある。
「お譲ちゃん、悪いこと言わないからあんまり食うな。ばばあみたいに太るぞ」
「ばあば、このお兄ちゃん、何か言ってる」
「不良の言うことなんて聞かなくていいよ!早く学校行きな!」
学校、聞いただけで立ちくらみそうだ。だが、行かないなら行かないで面倒だ。走りながら、遊馬は考える。恐らく、溌と奏を戻すときの魔法が、自分にも働いた、そんなところだろう。草詩はどうなったのか分からないが、向こうの世界に残ったままにしろ、こちらの世界に来たにしろ、鬱陶しいくらい自分を探しているに決まってる。とにかく、それをあてにしよう。
が。
「一週間経ったじゃねえか!」
「遊馬どうした、生理か」
何事もなく、本当に何事もなく、一週間、普通に学生として過ごしてしまった。安いアパートで寝起きし、馬鹿な友達とつるみ、コンビニでバイトし、大家がたまに鍋とか持ってきてくれる、騒がしくも若い日々。まさかこのまま28まで人生やり直して、顔も知らない父親の借金の肩代わりに海に突き落とされて、魔法世界に行って一からやり直しってか。冗談じゃない。
先日、喧嘩にまきこまれたが、自分の拳にはもう何の魔力も宿ってないようだ(それでも勝ったが)。それ以外もともと魔法も使えない、探そうにも、どこ探していいか分からない。
以前斑に元住んでいた場所の住所を聞いたような気がするが、全く思い出せない。自分の記憶力が憎い。常盤も、佐倉たちも生まれてすらいない。そうなると、もう頼りは草詩だ。以前、自分と会ったことがある可能性を言っていたが、この日常に草詩はいない。いるはずがない。いたら絶対、あんな強烈な奴、覚えてるはずだ。
「なあ、草詩って奴、知らないよな」
「そうし?聞いたことないな」
「何、友達?」
「いや」
友達っつうか、最近、ずるずる本当に夫婦―いやいや、こんな高校生に、女装した男と結婚してるなんて話出来るか。自分も今、高校生だが。
ふと、自分の隣にいた男子が、奥にいた男子を指差しげらげら笑う。
「おい、草場君の机に座るなよ、かわいそーだろー」
「いーじゃん、どうせ、来ないんだしさー」
「くさば?」
遊馬が首をかしげる。まったく聞いたことがない。
「そんな奴いたっけ」
「ああ、遊馬は知らないか。お前、二年に上がってすぐに風邪で休んでたもんなあ。何か暗い奴。一日、二日来て、すぐに来なくなっちまったよ。引きこもり的な?」
「ふーん」
「ちょっと女子に人気あったから、ざまあだよなあ。あんな狐みたいな目の男のどこがいいんだか」
ん?
「…狐みたいな目で女子に人気あったのか?」
「?うん」
「そんで名前が草場?生える草に場所か」
「そうだけど。どうした遊馬」
なになに、と友人たちがテンション高く聞いてくるが、遊馬は聞こえないほど集中しきっていた。魔法は全て願いが元だ。考えていたことにしろ、自覚してなかったことにしろ。なら、自分がここにこうして11年もさかのぼってきたことは、何かしら絶対意味がある。そして自分にそんな効力をもたらすのは、どうしたって草詩しかいないだろう。
「悪い、早退っ」
「え、あ、ああ気をつけてな!」
「おう!」
気を付けるも何も、まっすぐ家に帰らず、やったことは職員室で草場の個人情報を盗み、何事もなかったかのように学校を出たことだった。ど犯罪だ。
電車を乗り継ぎ、草場の家へと向かう。家はの場所は思ったより分かりやすく助かったが、盗んだ個人情報によると、草場の自宅の電話番号しかない。留守だった場合、連絡を取る手段がない。草場は携帯電話を持ってないのかと思ったが、自分の所有物と電話ボックスの数で思いだした。この時分、携帯電話はまだまだ普及していなかったのだ。
などと考えていると自宅に辿りついた。白を基調にした一軒屋、遊馬は謎の緊張感に包まれながらチャイムを押した。すると、はあい、と明るい返事があった後に、1人の女性が顔を出した。彼女の顔を見るなり、遊馬は強烈な頭痛に襲われた。
「ときっ」
常盤。常盤だ。どうしてお前がそんなに大きくなってここにいるんだ―
「こんにちは。詩のお友達?」
頭痛が少し緩む。そうだ、常盤がここにいるわけがない。髪が長く、吸い込まれるほど美しい女性。彼女は草詩の姉だろうか。そうなると常盤はまさか―いや、今はそんなこといくら考えても分からない。
「はい、クラスメイトの―」
しまった、用事を作ってない。あーと遊馬が呟きながらカバンをあさる。昨日出された宿題(未記入)が出てきた。これしか頼れそうにない。
「プリントを届けに」
「ありがとう…まあ、すごい汗。上がっていったら。詩もさっき起きたし」
いい御身分だなおい、遊馬はありがとうございます、と頭を下げてお邪魔することにした。テーブルが中央にある可愛らしい部屋に案内され、お茶を頂いていると、奥から髪の毛ばっさばさの少年が出てきた。
「ふわ~あ………誰?」
頭をがしがしかきながら、大欠伸しながら、腹もかきながら、くしゃくしゃの上下で、何でか片足だけ靴下履いて。
「…っ、え?」
それでも、泣いた俺を誰か殴ってほしい。誰でもいいから殴ってほしい。恥ずかしくて穴があったら入りたい、むしろ穴になりたいが、涙が止まらない。そんなに会いたかったのか、若いから涙腺が緩んでいるのか分からない。
「…どう、したの?どこか、痛いの?」
「ああ、痛い。死にそうだ」
「ああそう…ごめん、誰だっけ」
「同じクラスの遊馬だ」
そして将来のお前の旦那だよ。ざまあみろ。
いきなり泣き出したほぼ初対面のクラスメイトを、すぐに追い返さないでいてくれて助かった。常盤似の女性が、ゆっくりしていってね、と案内された部屋は草詩の部屋。覚悟をしていたが思い切り汚い。まあ人のこと言えないし、男子高校生の1人部屋なんてこんなもんだろう。
適当に座って、と、草詩が足で床に散乱する雑誌をかきわけながら部屋の奥に進んでいくので、遊馬も真似て続いた。姉ちゃん美人だな、と言うと、まあね、と草詩が笑った。
「くさば うた?」
「そうだよ」
それで草詩か、安直にも程があるな。お茶を飲みながら、きょろきょろと部屋を見回す。なんというか、おもちゃ箱をひっくり返したような部屋だ。勉強道具と、とても高校生が遊ぶと思えない湯具が散乱してある。エロ本が置いてあったかと思えば、絵本もある。夏服も冬服もめちゃくちゃだ。草詩の部屋は佐倉たちが片付けてくれていて良かった、などと、思う。姉は片付けないんだろうか。というかそもそも両親は―。
どこまで。どこまで詮索していいか検討もつかない。全て知りたい、そこから魔法の世界に戻るきっかけを見つけたい。いや、そもそも、草場詩を、草詩に戻していいものか―
などと遊馬が考えていると、ふと、草詩がずっと見つめいていることに気付いた。なんだ、と声をかけると草詩が妖艶に笑う。こういう笑みは自分がよく知っている草詩と何ら変わらない。
「ねえ、俺たちどこかで会った?」
「いや、だから同じクラスだろ」
「自慢じゃないけど、俺、入学してすぐ引きこもりになったんだよね。クラスの奴とろくろく会話してない。目も見てないんじゃないかな。けど、何か、何ていうかさ君は…少なくても、俺のことをよく知ってる顔をしてる」
ぞ、としたものが背中を走ったが、遊馬がすぐに笑った。この男とのこういう駆け引きは、慣れたものだ。
「すげえこと言っていいか」
「うん、何?」
「俺、お前のこと、好きなんだわ」
さあ、これでどう出てくれる魔法さん。にやにや笑いながら遊馬がそう告げると、若い草詩が、正に鳩が豆鉄砲食らったような顔をして、茶碗からお茶をどぼどぼ零していた。




