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腹の音と供に目を覚ますと、そこは絵本の中に出てくる王のベッドのようなところで寝ていた。起き上がり、窓から外を見る。どこまでも広がる自然、巨大な泉が森を囲むようだ。家はぽつぽつと建っているが、コンビニも、道路も、車も、もちろん吉牛もない。移動手段といえば、馬車が通ったような気がするくらいだ。
なるほど、異世界異世界。
食いっぱぐれそうな極貧地帯や、今にも殺されそうな戦争地帯に叩き出されなかっただけでもまだマシだったと思おう、遊馬は立ち上がると、きらびやかで目が痛い部屋を後にした。
赤いカーペットが敷かれた廊下を歩いていくと、やがてひときわ大きい扉の前にたどり着いた。中からは人の気配がする。躊躇もせず重い扉を開け放つと、空間のように広がる部屋が見えた。
白い球体のような部屋の床はガラス張りで、下には美しい水が流れている。その水が吸い寄せられるように集まる先に、金色の王座があり、そこに人影があった。色鮮やかな布の切れ端を繋ぎ合わせたようなドレスを着た細身の体が、ゆっくりと口を開く。
「近くに」
それほど大きくはないが、圧されるような声に導かれ、遊馬が王座に近づいていく。年のころは二十前後だろうか、細目で品のある顔立ちに、座っているから定かではないが長身よりだろう。黒く長い髪が地面を這うようで、少し不気味だった。
雰囲気的に跪いた方が良さそうだが、遊馬に彼女を敬う理由はなかった。
というかそもそもー
「おい」
女性ですら、なかった。
「ここはどこだ。早く元いた場所に帰せ、女装野郎」
一瞬の沈黙の後、にっと笑った男が思い切り足元のボタンを踏み押すと、いきなり床が割れるように開いた。
「どあ!?」
水と一緒に流れ込んだ先は、穴ぐらの中だった。でこぼこの地面に投げ出されたと思った瞬間、男が遊馬の腹に降りてきた。痛いというより重い。
何をする、文句を言うより早く、男が遊馬に顔を近づけてきた。妙な話だが、男だと分かった瞬間、その異常なまでの美しさが不気味でたまらなくなった。男なのに、女だと思い込ませるような美しさだ。
「これは女これはいい女とびきり国一番のいい女、惚れろ忘れろ考えるな」
「おい、妙な言葉を並べるな!気色悪ぃ!」
「あれれ?効かないなぁ」
彼は何がそんなに嬉しいのかニヤニヤ笑いながら、顔をこちらへ近づけてきた。こちらを注意深く見ると、胸倉を乱暴に掴み、視線を合わせた。170半ばで、布から覗く腕が、木の棒かと思うほど細い。それでこの力だ、一層不気味だ。
「君、何?魔法も効かないし、僕を知らないってことは、この国の人間じゃないよね」
「知るか!気がついたら、ここにいたんだ!俺はここの人間じゃない!帰せ、今すぐに!」
上手く。
上手く理由は言えないが、とにかく妙に焦っていた。一秒でも早く帰りたかった。先ほどの少女の安否、そしてこの男の実態が、どうにかなってしまいそうなほどに気になって、暴れだしてしまいそうなくらいで。この世界への興味が止まらないことに、ただ焦っていた。
「この世界の人間じゃないの?」
「違う!」
「…っ、はは…はははははは!そりゃいい!!」
男はひとしきり涙が出るほど笑い終わった後、ようやく胸元から手を離した。手を叩き、踊るように地面を歩きながら、笑う彼は、酷く幼く見えた。
「お兄さん、名前は」
「遊馬」
「どういう字を書くの」
男が手のひらを差し出してきた為、そこに指で、遊ぶという字と馬という字を書いてやった。そういえば漢字が通じるのかどうか分からなかったが、彼はいぶかしげに目を潜め、そしてこちらへ顔を上げた。
「これ、ユーマじゃないの?」
「人を未確認生物みたいに言うな」
というか、今、正に目の前にいるんだがな。未確認生物。
聞き違いでなければ魔法とか言っていたし、女装もしている。
けどまあ。
話せるし、手に触れたところで何もなかったと分かると、正体不明の恐怖はどこかへ消え去った。単純なものだ。