婚約破棄されて泥まみれで泣いていたら、国一のスパダリ皇子に拾われました〜元婚約者が「取り消してくれ」と泣きついてきましたが、もう遅いので国外追放(物理)します〜
「マーガレット、お前との婚約を破棄する! 正直、お前のような地味で面白みのない女には飽き飽きしていたんだ!」
婚約者である伯爵令息レオンから、あまりにも一方的で理不尽な言葉を突きつけられ、私は夜の王都へと飛び出した。
冷たい雨が、容赦なく私のドレスを濡らす。
レオンの隣には、すでに別の華やかな令嬢が寄り添っていた。私のこれまでの献身は、彼を支え続けた日々は、一体何だったのだろう。
視界が涙で歪み、前がよく見えない。ただ、この場から遠くへ逃げ出したかった。
「うっ……ひぐっ……、どうして……!」
俯き、泣きじゃくりながら夜道を走っていた、その時だった。
ドンッ!!!
「きゃあ!?」
曲がり角で、信じられないほど硬い「何か」に激突した。
凄まじい衝撃と共に私の身体は宙を舞い、そのまま勢いよく、道路にできた大きな水たまりへと突っ込んだ。
バシャァァァン! と盛大な音が響く。
お気に入りの淡いピンクのドレスは一瞬で茶色い泥まみれになり、髪からは泥水が滴り落ちる。
「痛い……、冷たい……っ。う、うわあああああん!」
あまりの理不尽の連続に、私はついに子供のように大声を上げて泣き叫んだ。婚約破棄された上に、見知らぬ男にぶっ飛ばされて泥まみれ。私の人生、最悪すぎる!
「……おい、大丈夫か? すまない、急いでいたものでな」
頭上から、鼓膜を心地よく震わせる、低く恐ろしく甘い声が降ってきた。
涙を拭って見上げると、そこには夜の闇に輝くような白銀の髪と、神秘的な紫の瞳を持つ、気絶するほど美しい青年が立っていた。仕立ての良い漆黒の外套を纏った彼は、まるで物語から抜け出してきた騎士か、あるいは王族のようだった。
「ひぐっ、大丈夫なわけ……な、ないですぅ……!」
泥だらけの顔で睨みつける私を見て、青年は一瞬目を丸くしたが、すぐにふっと優しく微笑んだ。
「そうだな。悪かった。……お手を、と言うべきだが、これでは歩けないだろう」
「えっ、ちょっ!?」
青年はためらうことなく泥まみれの地面に膝をつき、私をひょいと軽々と抱き上げた。完璧なお姫様抱っこだ。彼の高級そうな上着に私の泥がベッタリとつくが、彼は全く気にする様子もなく、そのまま自分のものらしき豪華な馬車へと私を運び込んだ。
連れて行かれたのは、王都の一等地にある、貴族の邸宅というよりはもはや城のようなお屋敷だった。
「さあ、まずは温まりなさい。これを君に」
青年の指示で、メイドたちにあっという間に身体を洗われ、着替えさせられた。鏡を見て驚いた。用意されていたのは、最高級のシルクで作られた、私の瞳の色にぴったりの美しいエメラルドグリーンのドレスだった。仕立て屋を丸ごと買い占めたのではないかというレベルの逸品だ。
普通なら、ここで身分の高そうな青年に極上の笑みを浮かべられれば、どんな令嬢も恋に落ちるのだろう。
だが、今の私は怒りと悲しみでアドレナリンが爆発していた。ドレスをくれたくらいで、私の傷ついた心が癒えると思うなよ!?
「……これ、食べてもいいんですか!?」
目の前の長いテーブルに並べられた、山盛りの最高級ローストビーフや色鮮やかなスイーツを指差す。
「ああ、君の好きなだけ食べるといい」
青年が苦笑混じりに頷いた瞬間、私はフォークを掴んだ。
「いただきまーーーす!!」
パク、モグモグ、ゴクン!
「レオンのバカァァァ! 私の青春を返せぇぇぇ!」
上品なマナーなどクローゼットの奥に投げ捨て、私は凄まじい勢いで料理をやけ食いし始めた。口いっぱいに肉を詰め込みながら、ワイン(のような高級ぶどうジュース)をあおり、青年へ向けてレオンの愚痴をぶちまける。
「聞いてくださいよ! あいつ、私が風邪引いた時だって『お見舞いに行ったら移るだろ』とか言って遊びに行って、そのくせ自分が鼻水出した時は『看病しろ』って夜中に呼び出したんですよ!? 最低じゃないですか!?」
「……なるほど。それは万死に値するな」
「そうでしょう!? しかも今日なんて『地味で面白みがない』って! 誰のせいでドレス代節約してあいつの領地経営の赤字補填してたと思ってるんですかー!」
青年は嫌な顔一つせず、むしろ面白そうに顎を支えながら、私の愚痴を「ふむ」「それで?」と優しく聞いてくれた。
やがてお腹がいっぱいになり、泣き疲れた私は、少し冷静になって冷や汗をかいた。……私、初対面の超絶美形貴族の前で、なんてみっともない真似を。
「……あの、お見苦しいところを。お洋服も、お食事もありがとうございました。私、もう帰ります」
「送らせよう。君の名前は?」
「マーガレット・エバンスです。失礼します!」
私は恥ずかしさのあまり、青年の名前を聞くのも忘れて、用意された馬車に飛び乗って逃げるように実家へと帰ったのだった。
数日後。
実家の応接室で、私は信じられない光景を見ていた。
「マーガレット! 頼む、私の婚約破棄を取り消してくれ! 私が悪かった! お前が必要なんだ!」
そこには、数日前の傲慢な態度はどこへやら、なりふり構わず床に膝をつき、私の靴にすがりつかんばかりに慌てふためくレオンの姿があった。
顔は真っ青で、ガタガタと震えている。
「は……? 取り消すって、あなたあんなに派手に私を振ったじゃない」
困惑する私に、レオンは涙目で叫んだ。
「あれは冗談だ! 浮気相手の女とはもう縁を切った! だからお願いだ、マーガレットから**『ギルバート公爵閣下』**に執なしてくれ! このままだと、我が伯爵家は取り潰し、私は国外追放になってしまう!」
「……ぎるばーと、こうしゃく……?」
聞き覚えのない名前に首を傾げた、その時。
応接室の扉が、音もなく静かに開いた。
「私の名を呼んだか? レオン・ベネット伯爵令息」
「ひっ……!?」
レオンが短い悲鳴を上げて床に平伏する。
そこに立っていたのは、あの雨の夜、私をぶっ飛ばして泥まみれにし、最高級のドレスとローストビーフをくれた、あの白銀の髪のスパダリ青年だった。
「あ、あなたは……!」
「また会えたね、マーガレット。名乗り遅れてすまない。私はギルバート・フォン・アスラン。この国の第一王子であり、公爵位を持つ者だ」
第一王子。
レオンの伯爵家など、指先一つでひねり潰せる、この国の最高権力者。
ギルバート様は冷徹な、凍りつくような視線でレオンを見下ろした。
「我が国のために、人知れず領地経営の才を発揮し、健気に貢献していたマーガレット嬢を、お前のような無能が愚弄するなど万死に値する。……いや、それ以上に」
ギルバート様は一歩踏み出し、レオンの耳元で、しかし私にも聞こえる冷たい声で囁いた。
「私がようやく見つけた、愛しい人の心を傷つけた罪は重い。予定通り、全財産没収の上、国外追放だ。二度とこの国の地を踏むな」
「そんな……っ、あ、あああ!」
レオンは警備兵に引きずられ、文字通り這うようにして連れ去られていった。
その後、国外追放となったレオンの末路は悲惨なものだった。
甘やかされて育った元貴族の彼に、異国でのサバイバル能力などあるはずもない。国境を越えてすぐの荒野で、運悪く凶悪な野盗の群れに遭遇したレオンは、命乞いをする間もなく襲われ、人知れず惨めな最善を遂げたという。自業自得、因果応報であった。
一方、静まり返った応接室。
「……あの、ギルバート様。どうして私なんかのために、そこまで?」
おずおずと尋ねる私に、ギルバート様は先ほどの冷徹さが嘘のような、とろけるほど甘い微笑みを向けた。彼は私の前に跪き、私の手を取ってその甲に優しくキスをした。
「あの夜、泥まみれになりながらも、信じられないほどの熱量で私に本音をぶつけてくれた君に、私は一瞬で心を奪われてしまったんだ。私の前で、あんなに美味そうに飯を食い、あんなに激しく怒る女性は初めてだった」
「うぐっ……(恥ずかしい)」
「マーガレット。これからは君のその溢れる才能も、豊かな感情も、すべて私の隣で発揮してほしい。もう二度と、君を泥まみれになんてさせない。私の生涯をかけて、君を世界一幸せな王妃にすると誓おう」
「ギルバート様……」
最初は最悪の婚約破棄から始まったけれど。
今、私の手を包み込む彼の温度は、何よりも温かい。
「はい……! 私でよければ、お供させてください!」
こうして、泥まみれの令嬢は、国中から羨まれる最高のスパダリ皇子の腕に抱かれ、誰よりも輝く幸福な未来へと歩み始めたのだった。




