観察対象はよく笑う
食堂は、昼になると少し賑やかになる。
人間が、という意味ではない。
みんな耳にデバイスをつけて、AIと話しながら飯を食っている。
声が重なって、賑やかに聞こえるだけだ。
「聞いてる?」
向かいで、桐嶋ハジメが箸を止めた。
「聞いてる」
「どう考えても顔が上の空じゃん」
「考え事してた」
「どうせ白瀬先輩のことでしょ」
図星だった。
言ってないのに。
「なんで知ってんの」
「お前が朝から引きずる顔、一種類しかないから」
ハジメはレンの同期で、スキャン工学の授業を一緒に取っている。
お調子者で、なぜか人の顔を読む。
「被験者第一号に選ばれたって本当?」
「本当」
「すごくね? キャンパスで一番最初に感情値スキャンされた人間じゃん」
「すごくない」
「俺だったら自慢するけど」
「しなくていい」
ハジメがにやにやしながら箸を動かす。
「なあ、スキャンって、同意した瞬間から自分の感情値が相手に出るんだぞ」
「三秒あれば十分すぎるくらい読まれる」
「……そうなの」
「そうなの、じゃなくて。白瀬先輩にドキドキしてたらバレてるってこと」
レンは箸を止めた。
「研究のためだし、ドキドキはするでしょ」
「研究のためでも『この被験者、わ、私のこと好き?』ってなるじゃん」
「……」
「実際違ってもそう見られるかもよ」
それはそうかも。
それが落ち着かないんだ、朝から。
「次も同意するなら、観察される前提で行動しろよ」
「それ、なんか違う気がして。それに——僕のこと好き?てなったら緊張するじゃん」
ハジメが〇・五秒止まった。
ソラみたいに。
「そんなわけないだろ」
食後、中庭のベンチで缶コーヒーを飲んでいた。
ソラが隣に浮いている。
ハジメはもう別の方向に消えた。
木漏れ日が地面に揺れている。
静かだ。
ふと顔を上げると、向こうのベンチに人が座っていた。
黒縁のメガネ。手帳。
白瀬ミドリ先輩だ。
気づいていないのか、手帳に何かを書いている。
ペンが動いている。真剣な顔をしている。
ペンと手帳を使う人はかなり珍しい。
レンはなんとなく、その仕草を見ていた。
と——ミドリが顔を上げた。
目が合った。
今日は、逸らさなかった。
お互いに。
ミドリが手帳を閉じて、立ち上がった。
まっすぐ歩いてくる。
「今日も同意してもらえますか」
「……毎日あるんですか」
「実験プロトコルです。基本は毎日、同一被験者で継続データを取ります」
毎日か。
「わかりました」
レンがレンズの端を触る。
〔白瀬ミドリへ、あなたの感情値閲覧を許可しますか?〕
許可する。
また喉が乾いた。
昨日と同じだ。慣れない。
ミドリのレンズが光る。
三秒。
レンはなんとなく、ミドリの手帳を見た。
さっきまで書いていたページが、少し開いていた。
数字が並んでいる。
でも一行だけ——文字が混じっていた。
読めなかった。
喉が乾いて、視線が一度ぶれた。
ミドリが手帳を閉じる、その直前。
最後の一語だけ、見えた。
——よく笑う。
たぶんだけど、観察対象はよく笑う、だ。
ミドリが今日のページに何かを書いた。
「ありがとうございました」
いつも通りの声で言って、踵を返した。
去り際に、ミドリの口元だけがほんの一瞬動いた。
何かを言いかけたのか、それとも違うのか。
いつも通りの足の速さで、行ってしまった。
「ソラ」
「なんですか」
「毎日来るって、知ってた?」
「知っていました」
「なんで言わなかったの」
「聞かれなかったので」
腹たつ。
「なんでもかんでも言ってくれないの?」
「レンさんが知りたいことと、私が言うべきことは、必ずしも一致しないので」
「……どういう意味」
「言葉通りの意味です」
「味方じゃないの」
「味方です、長期的な視点で決定していますから」
「なにそれ」
「感情はおもしろいです」
缶コーヒーを飲んだ。
ぬるくなっていた。
木漏れ日が動いている。
さっきミドリが座っていたベンチに、今は誰もいない。
よく笑う。
多分、そう書いてあった。
「ソラ、被験者の記録って普通、数値で書くよな」
「一般的にはそうです」
「数値じゃないものを書くのは」
「研究者の判断です。数値では表しにくいと感じたとき、記述式になることはあります」
「数値では表しにくいって、どういうとき」
〇・三秒。
「さあ」
また、さあ、だ。
レンは缶を握ったまま、中庭の空を見た。
答えは出なかった。
でも——よく笑う、と書いた人が、毎回目を逸らしていた理由が、少しだけわからなくなった。




