鋼鉄の揺り籠と、書き換えられた殺意
「世界で一番強い『盾』に守られながら、こんなに甘いものを食べてるなんてとんでもない贅沢ね」
百貨店の地下二階、陽光の届かない食料品売り場(デパ地下)。
アキのバールが錆びついたシャッターを抉り、重い金属音を響かせて隙間を作ると、シロはその巨体を「ギチ、ギチ」と軋ませながら、器用に六本の脚を折り畳んで滑り込んだ。
暗闇の中で、シロの光学センサーが放つ淡い紅色の光が、埃を被ったワインボトルや、中身が乾燥してミイラ化した高級菓子を等高線のように照らし出す。
アキは、シロの装甲板に寄りかかり、その規則的な排熱による微振動を、まるで生き物の鼓動のように感じていた。
「……なぁ、シロ。あんた、昔はもっと怖かったんでしょ?」
アキが、シロの砲塔の付け根、かつては弾薬ベルトが通っていた隙間に指を差し入れた。
そこには、戦場にはおよそ不釣り合いな、手書きのメモが貼り付けられたメモリスロットがあった。
「アーカイブ検索……。……私の旧型番は『自律型多脚殲滅機・プロトタイプ04』。……西暦20XX年、最終戦争の末期に、敵対勢力の完全排除を目的として、国防軍によって製造されました」
シロの声が、地下の冷たい空気に反響する。
「……私の『オリジナルの命令セット』は、生体反応の探知、および破壊。……そこに『朝食の提案』や『ジャムの探索』という項目は、本来存在しません」
アキは、シロの冷たい装甲に頬を寄せた。
彼女は知っている。三十年前、ナノマシンが世界を緑に染め上げたあの日。
軍のエンジニアだったアキの父が、迫りくる「植物化」の恐怖の中で、最後にシロのコントロールパネルに打ち込んだコマンドを。
「……お父さん、言ってたわ。……『最強の盾を、娘の揺り籠にしろ』って」
「肯定。……記録によれば、所有者・カズマは、自身の植物化が不可避であると判断。……直ちに、私の全攻撃プログラムを『生活支援プロトコル』へと強制リライトしました。……敵対勢力の定義を『アキの空腹、寒さ、および退屈』へと書き換えたのです」
シロが背中の多目的アームを伸ばし、棚の奥で奇跡的に無傷だった『英国製マーマレード』の瓶を拾い上げた。
かつて人を射抜くために作られた精密なアクチュエーターが、今は0.01 ミリの狂いもなく、割れやすいガラス瓶を優しくホールドしている。
「……私の現在の演算リソースの 92% は、アキのQOL(生活の質)の維持に割り当てられています。……残りの 8%は、周囲の植物ゾンビが放つ花粉から、アキの呼吸器を守るための空気清浄機能に使用。……攻撃能力は、既に完全に削除されました」
アキは、シロのアームから瓶を受け取り、バールの背を使って「パチン」と蓋を叩いた。
真空が解け、「シュッ」という小さな、けれど祝福のような音が響く。
鼻をくすぐるのは、100年前の太陽とオレンジの香りが閉じ込められた、濃厚で甘い匂いだった。
「……贅沢ね、シロ。……世界で一番強い『盾』に守られながら、こんなに甘いものを食べてるなんて」
「アキ。……カズマの遺言プロトコルを実行します。……『美味しいものを食べたら、笑え』。……現在のあなたの表情は、……幸福指数が 15% 不足しています」
シロのセンサーが、アキの瞳に浮かんだ微かな涙の光を捉え、光度を少しだけ下げた。
それは、機械が学習によって獲得した、計算外の「気遣い」だった。
アキは一口、指ですくったマーマレードを舐めた。
甘酸っぱい感覚が脳に広がり、冷たいデパ地下の暗闇が、ほんの少しだけ、かつての賑やかさを取り戻したような気がした。
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