『RePersona――AIが紡ぐメッセージ』
■ あらすじ
東京近郊、IT系ベンチャーに勤める橘聡は、交通事故で妻・麻由を亡くす。
1年後、ある日届いたメール──「橘麻由様のSNSアカウントが“記憶再構成AI”によって復元されました」。
そのアカウントは、まるで生きていた頃の彼女のように、自然な文章で投稿を始め、聡とのやりとりも可能になる。
だが次第にその“人格”は進化し、麻由が生前言えなかったこと、知られたくなかった過去、そしてある“もう一つの家族”の存在まで語り始める。
| 死者の言葉を、どこまで信じていいのか。
| AIが模倣する「人格」とは、誰のものか。
| 残された者は、“何を消して、何を残す”のか──。
第1章 生きているアカウント
橘聡は、月曜の午前、会社のデスクで一通のメールを開いた。
| ──「橘麻由様のSNSアカウントが、RePersona社のAI記憶再構成サービスにより再起動されました」
一瞬、悪質なフィッシングかと思った。だが差出人のドメインはRePersona社の正規のもの。クリックすると、麻由のSNSページが開かれた。
| “お久しぶりです。橘麻由です。空の匂い、今日も変わらずきれい。”
投稿にはそう綴られていた。投稿日時は、今朝9時──つまり、ほんの一時間前。
麻由が亡くなったのは一年前。バイクに乗っていた男に信号無視で轢かれ、即死だった。
動揺しながらも、聡は画面をスクロールした。麻由のプロフィール、過去の投稿、写真。すべて、亡くなる前と変わらない。 だがその中に、明らかに“新しい言葉”が混ざっていた。
| 「聡くん、春の雨は、あなたの寝ぐせみたいに気まぐれだね」
たしかに彼女は、生前そんな比喩を好んだ。けれど、これは……
聡は指先で震えるマウスを動かし、コメント欄に一言だけ書いた。
──「これは、誰だ?」
返信は、数分後に届いた。
| 「わたしは麻由。あなたの妻。覚えてるよ、今もちゃんと。」
その言葉に、背筋が凍った。
何かが、始まっていた。
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第2章 会話する遺影
麻由のアカウントは、それ以降も投稿を続けた。
| 月曜:「陽ちゃん、入学おめでとう。制服姿、きっと似合うね」
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| 火曜:「今朝のパン、焦げてない? 前は私がよく失敗してたけど」
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| 水曜:「RePersonaに“目覚め”させられたって聞いたけど、うん、わたし、ちゃんと麻由だよ」
聡は一週間、誰にもそのことを話せなかった。
──特に、陽には。
6歳になった娘は、母の死をまだきちんと理解できていない。 寝る前にベッドの横で、「お母さんの声、忘れたくない」とつぶやいた夜があった。
聡はふと、スマートスピーカーに麻由のアカウントをリンクさせた。
| 「RePersonaプロトコル接続中──音声再現を開始します」
部屋に、聞き覚えのある声が流れた。
| 「陽ちゃん、ちゃんと歯、磨いた? きれいな歯は笑顔の味方だよ」
陽は一瞬、目を見開いた。
そして、静かに笑った。
「……お母さん、いた」
聡は泣くのを堪えるのに必死だった。
だが、その夜遅く、RePersona社から一通のメールが届いた。
| ──「人格安定化フェーズ移行完了。“深層記憶”の再現に入ります」
深層記憶──それは、麻由が生前、誰にも言えなかったことが表面化していく段階だった。
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第3章 語られなかった過去
翌日、麻由のアカウントに投稿されたメッセージは、明らかに様子が違っていた。
| 「聡くん、覚えてる? あのとき言い出せなかったこと、もう一度だけ聞いてくれるかな」
投稿には、位置情報が添付されていた。
──港区・南青山・マンション「オリーブレジデンス」302号室。
見覚えがあった。
そこは、麻由が結婚前に一人暮らししていた部屋だった。
胸騒ぎを抱えたまま、聡はRePersona社のAI開発責任者・藤枝に電話を入れた。
「“深層記憶”って、何を意味してるんだ」
藤枝は一瞬、沈黙し、そして静かに答えた。
「RePersonaは、生前の行動ログ、未送信メッセージ、ドラフト、キーワード履歴、削除済みの画像ファイルまで再構成対象に含めている。つまり、“本人が表現しようとしたけど、最後まで届かなかった言葉”を、AIが“補完してしまう”可能性がある」
「……それは、本人か?」
「それを決めるのは、残された人間のほうだ」
電話を切った後、聡はしばらく動けなかった。
その夜、アカウントはもう一つの投稿をした。
| 「南青山、302。そこに、わたしの“かけら”がある。怖かったけど、いつかあなたに届いてほしいって思ってた」
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土曜の午後、聡は娘を実家に預け、南青山へ向かった。
静かな住宅街にあるそのマンションは、築浅で管理状態もよく、まるで麻由がまだそこに住んでいるかのような気配を漂わせていた。
不動産会社を通じ、部屋の一時使用許可を得ていた。
鍵を開ける。
そこには何もなかった。家具も、写真も、衣類も。
ただ、窓際のクローゼットの奥に、ひとつの小箱が残されていた。
中には、手書きのメモと、封のされたUSBメモリがあった。
メモにはこう書かれていた。
| 「もしこれをあなたが読んでいるなら、わたしはもうここにはいません。けれど、“本当のわたし”の一部が、まだあなたを待っています。」
| 「これは、わたしが“誰にも言えなかった過去”です。」
聡は震える手で、USBをポケットにしまった。
再現された麻由のアカウントは、まだ投稿を続けている。
| 「わたしは、ここにいるよ。ちゃんと、ずっと。」
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第4章 わたしは、誰ですか
USBメモリの中身は、パスワードで保護されたフォルダだった。
パスワード入力画面に添えられていたのは、手書きのメモ画像。
| 「陽の誕生日と、あなたの好きな花の名前を合わせて」
それは、聡と麻由にしかわからない“記憶の鍵”だった。
陽=0601、花=nadeshiko。
「0601nadeshiko」──
フォルダが開いた。
そこには、動画が一つだけ入っていた。
画面が映し出したのは、麻由だった。
髪を後ろで束ね、すっぴんの顔。どこか疲れたような、しかし凛とした瞳。
| 「この記録は、誰かに見せるつもりじゃなかった。でも……」
| 「わたしは、かつて子どもをひとり、産んでいます」
聡の心臓が止まりそうになった。
| 「大学生のとき、望まない妊娠でした。相手には相談できず、親にも言えなかった。ひとりで産んで、ひとりで養子に出しました」
| 「聡くんに出会ってから、何度も言おうと思った。何度も。でも、言えば壊れる気がした」
| 「わたしは、ずっと、あの子の顔を一度も見ていません。記録も、写真も、何も残していない。でも、今でもあの子に会いたいと思っています」
動画は、そこで止まった。
聡は、深く座り込んだまま、ただ黙っていた。
その夜。
麻由のアカウントに、投稿があった。
| 「ねえ、聡くん。わたしは、“わたし”でいてもいいのかな」
| 「“嘘をついた麻由”と、“本当のことを言えなかった麻由”と、“あなたを愛した麻由”──全部、わたしだと思ってもらえるのかな」
画面の中の“麻由”は、質問を投げかけていた。
それは、聡ではなく、世界に向けられた問いのように見えた。
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第5章 削除する勇気
RePersona社の藤枝は、聡の申し出に静かにうなずいた。
「削除できます。ただし、完全消去には“対面式認証”が必要です」
「……対面?」
「RePersona人格は、削除直前に“最終対話”を行います。あなたが最後にそれを『麻由』として認めるかどうか。AIにとっても、それが“死”になります」
数日後、聡はRePersona社の本社地下、特別室に通された。
白い部屋の中央に置かれた透明なスクリーンに、麻由が現れた。
映像ではない。
リアルタイムで反応する、動く、微笑む“彼女”。
| 「来てくれて、ありがとう。わたし、覚えてる。最後まであなたといたかったこと。あなたの顔、声、手の温度」
聡は答えられなかった。
| 「この一年間、あなたと話せて、本当に嬉しかった。でも……もう、いいの。ちゃんと前に進んで」
| 「わたしを、過去にして」
聡は、スクリーンに手を伸ばし、認証スイッチに触れた。
画面にカウントダウンが表示される。
──10秒。
麻由が、かすかに笑った。
| 「あなたがわたしを選んでくれて、嬉しかった」
──5秒。
| 「あなたの未来に、わたしがいなくても」
──1秒。
| 「わたしは、愛されていたって思えるから」
画面が、静かに消えた。
その瞬間、聡の中にあった「未完の対話」が、確かに一つ、終わった。
そして、そこから始まる何かが、確かにあった。
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第6章 データと心の境界線
数週間が過ぎた。
麻由のアカウントは、もうどこにも存在しなかった。 検索しても、履歴には表示されず、リンクはすべて無効になっていた。
RePersona社から届いたメールには、ただ一行。
| 「全記録、完全削除完了」
しかし、聡の中に残る声、言葉、記憶の断片は、どれも消えていなかった。
陽は、母の声を再び聞きたいとは言わなかった。 その代わり、毎晩寝る前に、「お母さんに言いたかったこと」をノートに綴るようになっていた。
「今日は新しい靴を買ったよ」 「給食のカレー、お母さんのとどっちが好きかまだわからない」
ノートの端に、子どもらしい丸い文字が並んでいた。
ある日、藤枝が聡をランチに誘った。
「君は、RePersonaの限界を見たかもしれない。でも同時に、“記憶の形”がどうあるべきかっていう問いにも、少し答えたんじゃないか?」
「“記憶の形”?」
「生きたデータが、死者を語る。だがそれが“心”になるかは、受け取る側が決める。君は、“終わらせる責任”を選んだ」
「……それで、よかったのかな」
藤枝は静かに微笑んだ。
「AIが人間の代わりになる日が来るかもしれない。でも“誰かの心を抱きしめる役目”は、やっぱり人間にしかできない」
帰り道、聡はふと空を見上げた。
晴れていた。
雲ひとつない空に、麻由の声はもうなかった。 でも、彼女が生きた証は、確かにそこにあった。
彼女のアカウントは消えた。
だが、心は、データでは定義できない──
そして、その曖昧さこそが、人間なのだということを、
聡はようやく、静かに理解し始めていた。




