ざまぁ、王太子殿下。婚約破棄の代償は重くていらっしゃるわよ?
「ミリアンナ=ロスティリア嬢。婚約は、今この場をもって破棄させてもらう」
それは、王都の大広間、百人以上の貴族が見守る中での出来事だった。
私は、ロスティリア侯爵家の令嬢、ミリアンナ。王太子レオンハルト殿下とは、十年近く前から婚約していた。家柄も、礼儀も、知性も、誰にも負けないよう育てられたし、実際、努力もした。王太子妃としてふさわしいよう、礼儀作法、魔法、歴史、舞踏――すべてを学び、積み重ねてきた。
それなのに。
レオンハルト殿下は、私の目の前で、新興貴族の娘――アリシア=ノーベル嬢の手を取って微笑んでいる。
「僕はアリシアと真実の愛を見つけた。君のような冷たい女より、彼女のように純粋な心の持ち主と一緒になりたい」
ざわめく会場。貴族たちの目が一斉に私に注がれる。誰もが、私が取り乱すのを期待している。泣き叫ぶのか。膝を折って縋るのか。みじめな姿を見たいのだ。
――ふふ。お望み通りにはいきませんわ。
私は、そっと笑みを浮かべて、まっすぐにレオンハルト殿下を見つめた。
「殿下。あまりにご無礼ではなくて? これが、公の場での言葉とは……呆れて物も言えませんわ」
「何……っ?」
「けれども、ありがたく受け取らせていただきます。婚約破棄――ご希望通りに」
場が一瞬、静まり返る。ざわめきが止んだのだ。殿下も、その隣にいるアリシアも、面食らったような顔をしている。
「……君は、悔しくないのか?」
「ええ、まったく」
私は、懐から一枚の文書を取り出した。それは、王家とロスティリア侯爵家の間で交わされた正式な婚約契約書。魔術印も押されている正真正銘の証拠だ。
「この書面によれば、婚約破棄には正当な理由と、慰謝の義務が発生するとございます。殿下からの一方的な破棄は、王家の信用を損ね、重大な契約違反にあたりますわ」
「……ふざけるな、王家に逆らう気か!」
声を荒げた殿下に、私は静かに首を振る。
「逆らう? とんでもない。これは、ただの『契約違反』です。殿下が愛だの純粋だのと言って不義をなさった。私は、契約通り、代償をいただくだけのこと」
私は広間の奥へ視線を送った。そこに、ローブをまとった男が立っていた。私の後見人、そして現在この国の法務を掌握している法の大臣――アーベル様だ。
彼が、静かに頷く。
「すでに準備は整っています。王家に提出された正式な告発状も受理されました」
会場がざわつく。殿下の顔が蒼白になる。アリシア嬢は、何が起きているのか理解できていないようで、ぽかんと口を開けていた。
私はさらに追い討ちをかけるように言葉を紡ぐ。
「ちなみにアリシア嬢。貴女には、王太子妃の地位は重すぎますわ。書類偽造、成績の不正改竄、さらには――婚約者がいる身での王太子との密通。いずれも、証拠を押さえてあります。貴女の家が処分されるのは、時間の問題でしょうね」
「そ、そんな……! 違う、私、ただ……」
彼女の弁解など誰も聞いていない。貴族たちの視線が冷たくなる。さっきまで嘲笑気味に私を見ていた者たちが、一斉に顔色を変えるのがわかる。
ああ、気持ちがいい。
私は、深く一礼して言った。
「それでは、改めて。婚約破棄、確かに承りました。これにより、私は王太子妃候補の立場を失いますが――代わりに、自由と、正当な賠償と、そして未来を得ることができます」
殿下が何か叫んでいたが、私はもう聞いていなかった。
◆ ◆ ◆
その後、ロスティリア家は王家との契約違反を理由に正式な賠償金を受け取り、私個人にも莫大な謝礼金が支払われた。アリシア嬢の家は爵位を剥奪され、彼女は国外追放。王太子は、責任を問われて王位継承権を剥奪された。
皮肉なことに――代わりに次の王太子に推挙されたのは、法の大臣であるアーベル様の一人息子。そしてその彼が、ある日こう言ったのだ。
「貴女のような才知ある女性にこそ、王妃の座がふさわしい」
私は微笑んだ。
「では、その時は……以前と同じようなことが起きたら、契約通り“ざまぁ”と言わせていただきますわよ」