泣く私
月曜日の夕方。
冬の風が頬を刺すように冷たかった。
私は、土日ずっと引きこもってできなかった「クリスマスプレゼント探し」をようやく始めようと、港のショッピングモールに足を運んだ。
──勉強熱心な晴人のことだ。今ごろ補講を受けているだろう。
お店を一通り回って、モールの端にあるウッドデッキに出たとき、思った。
……うん、やっぱり、何を買えばいいか分かんなくね?
潮風が吹き抜ける。海の向こうには、冬の黄昏が広がっていた。
私はそのまま肩を落として、帰ることにした。
足取りは重く、石畳が敷かれたレトロ通りをゆっくり歩いていく。
ふと、遠くの海で汽笛の音が鳴った。低く、切ない音だった。
──そのとき。
「椿さん。」
背後から聞こえたのは、聞き覚えのある声だった。
「前に言ったよね。僕が情熱を持っていることが分かったら、教えるって。」
……時が止まった。
足が固まり、呼吸も止まる。
ゆっくりと振り返ると、そこには制服のまま立つ彼の姿があった。
目の奥に、静かな決意が宿っていた。
わたしの頭の中のコンピューターはフル回転。
なんで彼がここにいるの? 補講は!? あぁ、それよりも、どう反応すればいいの?
「そ、そう…だったな。お前は約束を守る側の人間だったようだ。」
出てきたのは、いつもの偉そうな言葉だった。
……なにやってるの、私……。
私のコンピューターは完全に壊れていた。
「ははは、厳しいね。もちろん守りますよ。守れる約束ならね。」
その一言で、私は一年前の記憶に引き戻された。
あのクリスマスイブ。彼は、叶わぬ”約束”を、バカみたいに、待ち続けていた。
──また、待たせてはいけない。
「そうか……そうだな。あの時のお前は、必死に約束を守ろうとしていた。
……わかった。それで、お前の“情熱”はなんなんだ?」
彼は一歩、私の方へ近づいてきた。その眼差しはまっすぐで、揺るぎなかった。
「……あの日、『情熱がない』って言われてから、考えたんだ。なんでそんなこと言ったんだろうって。」
その声は静かで落ち着いていて、でも確かに熱を帯びていた。
「君はいつも偉そうなことを言うけど、実は誰にでも優しいってことを、僕は知ってる。」
ゆっくりと言葉を選ぶように、彼は続けた。
「去年のクリスマスイブ、僕は叶わぬ約束を守って公園でひとり待ってた。……そんな僕を、君が迎えに来てくれた。星を見に来た、なんて下手な言い訳をして。」
口元には微かな笑み。でも、その瞳は真剣だった。
「それ以来、君と話すのが楽しみになった。君をからかいながら話すのが、楽しくて仕方なかった。」
そう──あの夜、彼はずっと泣いていた。
私はそっと寄り添い、「星が綺麗だね」と、ぎこちなく言った。
あの夜の記憶を、今年こそ上書きしたかった。それが、私の観望会の本当の理由だった。
「それで、何が言いたいんだ?」
問いかける私の声が、かすかに震えた。
「君は、きっと僕の気持ちに気づいていたんだと思う。だから、あの日、君が僕に『情熱がない』って言ったのは──」
「僕が君に対して持っている情熱に、気づいて欲しい。もっと、目を向けて欲しいって……そういう意味だったんだろう?」
レトロ通りに、ぽつりとガス燈が灯り始めた。
古びた装飾枠のランプが、石畳を柔らかく照らし、黄昏の空気に温かな光を溶かしていく。
「そ、そうだ。お前の表情から、お前の好意には気がついてた。」
そう……彼は、最初から私の方を見ていた。
「……椿さんのことだから、もっと確信があるのかと思ってたよ。」
いや、そもそもだ。こんな偉そうな女と一緒にいて、くだらない話にも付き合うなんて、好意があるに決まってる。
過ごしてきた日々が、フラッシュバックする。彼の言葉。しぐさ。表情。からかうような口調。
「わたしも……お前と話すと、いつも胸が熱くなる。偉そうに振る舞ってる私の話を、ちゃんと聞いてくれるのは……お前だけだ。」
……けれど、感情が高ぶるほど、私の中の劣等感が、心を引き裂いていく。
「それなのに、お前に『情熱がない』なんて……なんて酷い言葉を……。
わたしは……私は人の感情も理解できない、本当に最低な女なんだ! お前に好かれる価値なんて、ない。」
──怖かった。本当のわたしを知られて、嫌われるのが。本当のわたしは、劣等感の塊なのに。
そんな私を、彼はすぐさま否定する。
「そんなことないよ。そのおかげで、僕は自分の気持ちに気づけたんだ。」
「違う! 私は勝手に、お前が私に好意があるって思い込んで、プレッシャーをかけた。お前はそれに負けて、あんなこと言っただけだ。気づいたとか、そんなの嘘だ。確信なんてなかったんだ。私はバカだ……いつもそうだ……素直になればよかったのに、自分を守るために偉そうにして……」
声が震える。視界が滲む。
……わたしはずっと暗闇の中にいた。ガス燈の微かな光だけが頼りだった。
嫌われるくらいなら、いっそ嫌いにさせればいい──今までだって、そうやってきたんだ。
「椿さん、僕は君のこと――」
「だ、だめだ。最後は私が言う。素直になれない私なんて、もう要らない!」
涙がこぼれそうになるのを堪えて、私は彼を見据える。
「私は、知ってる……私は、その辺の男には惹かれないんだ。お前には……私が本気で惚れるくらいの価値がある。でもな! 私には、お前と付き合うだけの価値も資格もない。素直になれないせいで、お前まで傷つけて……。結局、私は可愛げなんてひとつもない。ただ偉そうなだけの女なんだ! お前だって、こんな面倒くさいバカな女と付き合いたいなんて、思わないだろ!?」
叫ぶように吐き出したあと、空気がすっと静まり返った。
ガス燈の光が、雪のように私たちを包む。
その沈黙の中で、彼が一言つぶやいた。
「……ん?」
戸惑ったように眉を上げた彼は、ほんの少し笑って、ぽつりと続けた。
「つまり、それって……一緒にいたいってこと?」
「ち、違う……!」
「でも、そんな言い方されたら、『そんなことないよ』って返すしかないよ。情熱については言わされたかもしれないけど、一緒にいて楽しいっていう僕の気持ちは本物だよ? そう、言ったでしょ?」
その言葉が、心に染み込んでいく。
ガス燈が連なるように灯り始め、通りの景色がゆっくりと色づいていく。
「椿さん、こんな時、普通なら素直に『付き合って欲しい』とか、『他に好きになってくれる人がいるかもしれない』とか、そんなこと言うんだよ。」
「そ、そんなこと。」
図星だった。全部、見透かされてる。
嫌われたくない。振られたくもない。誰にも渡したくない。……悔しい。
「あぁ、もう! わかったよ。気持ちはよくわかった。付き合いますよ、椿さん!」
彼は頭をかきながら、ちょっとだけ照れくさそうに、でもしっかりと宣言した。
「なっ!? わたしは真剣に悩んだんだぞ。こんなんだから『情熱がない』とか言われるんだ。バカ。」
……な、なんてテキトーな告白なの! めっちゃムカつくんですけど。
「ごめんごめん。椿さんのそんな素直じゃないところが、本当に可愛いんだ。」
遠くで、街の時計塔が鐘を鳴らしはじめた。
その音に呼応するように、レトロ通りのイルミネーションが一斉に輝きを放つ。
私は、目を見開いて、息を呑んだ。
──こんな、偉そうな性格の私を、「可愛い」って言ってくれる人がいるんだ。
「僕も知ってる。プライドがバカ高いところとか、そのくせ優しくて純粋なところとか。ずっと見てきたんだから。」
彼の目が少し潤んで見えた。そして、ほんの一瞬、何かを思い出したような表情を見せたあと、大きく息を吸い込み──
「だから僕は、全部……全部受け入れますよ。そんな君のことが、好きでたまらないんだから。」
街路樹の枝先に飾られたイルミネーションが、彼の輪郭を照らす。
その姿はまるで、乙女ゲームの告白シーンみたいで──
私は顔を伏せて、心の中でつぶやいた。
……ず、ずるい。
そんなこと言われたら、わたし、どうしたらいいの?
通りを静けさが包み込む。
風がやさしく吹いて、スカートの裾を揺らした。
気づけば、私は彼に近寄っていた。
「椿さ…」
彼が何かを言おうとした、その瞬間──
私は彼の言葉を遮るように手を伸ばし、悔しながらにキスをした。
桟橋から駅へと続くイルミネーションが、静かに瞬きながら、私たち二人を祝福しているようだった。
わたしは、不意に自分の頬をつたう涙に気づいた。
それは、一年間待ち続けたわたしの、情熱だった。
【関連作品のご案内】
本作は別視点作品『頬色の情熱と青』とリンクしています。
『偉そうな私~』は【彼女視点】から描く、テンポの良いラブコメディ(ライトノベル調)です。
『頬色の情熱と青』は【彼視点】から描く、静かで内省的な青春小説(文芸風)です。
ぜひ2作あわせてお楽しみください。
頬色の情熱と青
https://ncode.syosetu.com/n6399kl/
※このあとに、あとがきがありますので、相互作品を先に読まれることをおすすめします。
【あとがき】
最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
2作を通してこの物語の“全体像”に触れていただけたなら幸いです。
そして、すべてを読み終えたあとで、もしよければこの問いについて思いを巡らせてみてください。
──椿が迎えに来た“あの日”の少し前。
晴人は、どんな気持ちで、どんな言葉を彼女にかけたのでしょうか?
誰の記憶にも残らない一言が、
誰かの一年を、静かに変えることがあります。
それは、きっとあなたのすぐそばでも──。