惚れる私
「これが、小惑星探査計画の概要だ。それで小型探査機を近くの工業大学で実験するとかなんとか聞いたぞ。あそこも航空宇宙をやってるからな。なにか、一緒にできないだろうか? おい、聞いているか?」
私は部室の黒板にチョークを走らせながら、熱のこもった口調で語っていた。図解した小惑星探査機の構造は、我ながらなかなかの出来映えだと自画自賛していた。
後ろを振り返ると、彼はいつものように机に肘をつき、気のなさそうな顔でこちらを眺めていた。
「ん? ああ、ぼちぼち聞いてるよ。小惑星って簡単に行けそうだけど、案外大変なんだね。なかなかドラマがある感じ? うまくいくのかな。」
彼はやる気はなさそうに見えて、いつも部活には来てくれる。私は、もしかして……と思ってしまう。
「お前は、いつも聞いてないふりをして、意外とちゃんと話を聞いてるな。本当は、天文に少しは興味があるんじゃないか?」
私は教壇からゆっくりと歩み寄りながら問いかけた。手にしたチョークを指先でくるくる転がし、彼の表情をうかがう。
彼は肩をすくめ、視線をこちらに戻した。
「そうかな? まあ、話の内容によっては、ちょっと面白いと思ってるよ。全部は理解できてないけど。」
私の話を聞いてくれるのは、いつも彼だけだった。それが、悲しくて――それでいて、嬉しかった。
「お前が天文部の活動に毎回参加しているのは、それが理由なのか?」
私は机の端に手をつき、覗き込むようにして聞いた。
今では、部室に来るのは私たちだけだった。改革を始めてから、先輩たちも来なくなり、同級生も次第に離れていった。私は、自分のやり方が正しかったのか、ずっと考えていた。
「ん~、まぁ暇だからね。」
彼はそう言うけれど……本当に、それだけだろうか。
「お前、いつも『暇だ』って言ってるが、それは本当なのか? 中学の頃から付き合ってる彼女がいると聞いたが。」
言った瞬間、私は後悔した。空気が一瞬で凍りついた気がした。
彼のまばたきが、ゆっくりになる。
やってしまった……。
「いや、詮索してしまった。悪かった。」
私はバツが悪くて、机から身を引いた。視線を床に落とし、声を絞るように謝る。
彼は首を横に振り、少し柔らかい声で言った。
「椿さんが謝ることないよ。」
そのまま彼は、言葉を探すようにゆっくりと語り始めた。
「そうだね。春頃は彼女とよく出かけてた。高校が違って話も新鮮だったけど、そのうち噛み合わなくなった。向こうも忙しくなったみたいだし、最近はあまり会ってない。……まあ、それで暇ってわけ。」
笑っていたけど、その目は遠くを見ていた。瞳の奥に、かすかな寂しさが見えた気がした。
その姿が、胸に突き刺さった。
私の部活への情熱が、もしかしたら彼を無理に引き止めて、傷つけていたのかもしれない。そう思うと、自分が情けなくてたまらなかった。
気づけば、私は涙ぐんでいた。顔がくしゃっとゆがむのを、どうしても止められない。
「お前はすごいな。そんな辛い思いを抱えてても、いつも冷静にしていられるなんて。わたしには到底真似できない。そんなことも知らずに、部活に付き合わせて悪かった。……天文部、嫌なら辞めてもいいんだぞ。」
声が震えた。でも、本気でそう思っていた。彼がもう我慢しなくて済むなら、それでいいと。
「別に嫌ってわけじゃないよ。彼女とも天文部の話はしてたし、椿さんの……変なキャラとか、面白くて、ネタにしてたし。」
彼は少し肩をすくめ、ふっと笑った。その笑顔が、少しだけ私の胸を軽くした。
けど。
「お前は、私をそういう風に見てたのか?」
私はむっとして、口をとがらせた。
すると彼は、いたずらっぽく笑って――
「はは。椿さん、ちょっと変わってるでしょ? 自分でもそう思ってるんじゃない? でも僕は、そういうところ好きだよ。僕は普通の人間だから、そんなふうに振る舞える強さないし。」
不意に、胸がきゅっと締めつけられた。
……変わり者の私を、好きだって。
社交辞令かもしれない。それでも、私は嬉しかった。
「そ、そんなものか? ま、まぁそうかもしれないな。」
視線を向けられるのが恥ずかしくて、私は顔をそらした。
そのあと、彼と話す時間が少しずつ増えていった。
彼の笑い声。まっすぐな目線。私を変わり者だとからかう仕草。
私は気づいていた。
この一年ずっと――私は彼に惹かれていた。
でも。
……それなのに、なんで、あんな酷いことを言ってしまったんだろう?
明日、私はどんな顔で彼に会えばいいのか、わからなかった。