着衣麻雀の闘い
ちらちらと雪が舞う真冬の夜だった。
熱気のこもる雀荘の一室で、四人の女性がテーブルを囲んでいる。
だが、彼女たちの姿はどこか奇妙だった。
「……こんなことになるとは思わなかったよ」
眼鏡を軽く押し上げ、淡々とした口調で呟いたのは麻衣だ。
肩まで伸びた黒髪をすっきりまとめ、控えめな化粧が知的な雰囲気を醸している。
普段は会社で経理を担当しているらしく、常に落ち着いた物腰が印象的だ。
「まさか自分から提案しといて、こんな追い打ちをかけるようなルールを思いつくなんて。自分でも驚きだよ」
そう言って小さく息を吐くと、テーブルの隣に腰かけているリカがきょろきょろと周囲を見回した。
「だって、普通の脱衣麻雀はよくあるけどさ。逆をやったらどうなるのかなって思わない?」
リカは明るい茶髪を高い位置でポニーテールにまとめ、楽しげに笑う。
その声は雀荘の静寂を破るくらい元気がよく、まるで宴会のように場を盛り上げる役割を担っているようだ。
「それは確かに気になったよ。私だって最初は面白そうって思ったし」
ちょっと気怠そうにあくびをして、エリがぼそりと言葉を継いだ。
彼女はロングの栗色ヘアをさらりと垂らし、淡いピンクのニットに包まれている。
小柄な体型で、ふわふわしている雰囲気が特徴的だ。
いつもはインドアでゲームや読書が好きらしいが、今日は久々に顔を出したという。
「それにしても、ここまで着ぶくれするって、ちょっと想定外よね」
最後に口を開いたのはユイだ。
派手めのメイクと華やかな巻き髪が目を引くが、その言葉とは裏腹に、どこか余裕のなさそうな表情を浮かべている。
彼女はイベントコンパニオンの仕事をしているようで、普段から目立つ格好を好むらしい。
あまり厚着には縁がなさそうなだけに、この着衣増量システムには困惑しきりのようだった。
すでにテーブルの上には脱ぐどころか、むしろ増え続ける衣類が山積みになっている。
それもそのはず、彼女たち四人は、振り込んだ者、そしてツモ上がりを決めた者以外全員が、新たに一枚ずつ服を着込まねばならないという逆脱衣麻雀のルールで対局していたからだ。
どうしてこんなゲームをする羽目になったのか。
そもそもの発端は、リカとユイが「どうせやるなら面白い賭けがいいよね」という軽いノリで、以前から慣れ親しんでいた麻雀に新味を足すために着想したことにある。
最初は冗談混じりだったが、「もう冬で寒いし、脱ぐより着るほうがリアルにダメージ大きくない?」と妙に納得する形で実行へ至った。
麻衣は半ばあきれながらも「まあ、試しにやってみるか」という冷静なスタンスで乗り気になり、エリも流されるまま合流。
こうして前代未聞の“着衣麻雀”が幕を開けたわけだ。
対局は始まってみれば意外な盛り上がりを見せた。
ツモやロンが決まるたびに、負けた側が「ああもう!」とばかりに手近な服を一枚ずつ身にまとっていく。
どんどん身体がかさばっていくのだが、その分だけ牌を扱う動きが阻害されるので、集中力を欠いてますます振り込みやすくなるという負のスパイラルに陥るのだった。
「よし、今度は私のツモ。跳満だよ」
嬉しそうに声を上げるリカ。
彼女は麻雀歴が長く、攻めのスタイルが得意だ。
この局面でも大胆な手を作り、一気にツモ上がりしてみせた。
すると、三人とも渋々と追加の服を手に取り始める。
「私、もうコート着てるんだけど……さらに上にダウンジャケット重ねるとか、正気じゃないよ」
麻衣は文句を言いながらも、律儀にルールを守る。
それでも決して服装を乱さないあたり、彼女の生真面目さがにじみ出ていた。
「私なんかもう手袋しちゃってるから、牌をつかむのすら大変だよ。…あ、親指だけ出せるやつにすればよかった」
エリは苦笑いしながら手袋をはめた手を眺め、そっと指先をもぞもぞさせる。
完全装備に近づきつつある彼女の姿は、まるで雪山でも登るのかと錯覚するほどだ。
「さっきまで暖房ガンガンだったのに、もうこれ以上温度を上げたらこっちがのぼせちゃう。ここらで誰か一回ぐらい大きくあがって、リカに服を着せてほしいわ」
ユイは額の汗をハンカチで拭きながら、リカにじろりと視線を向けた。
今のところリカは好調で、あまり服を増やしていない。
ワンピースの上に薄手のカーディガン程度のいでたちで、まだまだ余裕の笑みを浮かべている。
「ちょっと、そんな目で見ないでよ。私だって負けたくないんだから仕方ないじゃん」
そう言いつつも、リカの頬にはうっすら赤みが差している。
室内は暖房も入り、さらにテンションも最高潮になったせいでかなり暑いのだ。
だが、勝っているうちは自分の服は増えないという、ある意味おいしい立場にあるリカは汗をかいても我慢するしかない。
そのまま次の半荘が始まり、しばらくしてから局面は大きく動き出した。
麻衣が静かに手を進めていたのだが、リーチをかけたところでユイが危険牌を切ってしまう。
するとすかさず麻衣のロンが炸裂した。
「ロン。三倍満だよ」
麻衣は小さく笑みを浮かべながら、的確に点数を申告した。
これにはさすがのリカも肩をすくめる。
「うわー、やられた」
今度はリカが負けて、上に何かを羽織らなければならなくなった。
渋々と厚手のパーカーを羽織るリカを眺めながら、ユイがほっと胸を撫で下ろす。
「よかった、これでようやく仲間が増えた」
エリもくすっと笑う。
だが、このあと恐ろしいことが起きた。
麻衣はロンを決めた直後に立直棒を回収しつつ、さらにツモ上がりまで連発してしまう。
半荘が進むほどに、負けるのはリカとユイが中心になりはじめた。
着実に服が増えていくリカは「ちょ、待ってよ! 一気にジャケット重ねるのは無理無理!」と悲鳴をあげ、ユイもまた「あーもう、ヒール脱いでスニーカーに履き替えるしかない!」とバタバタする始末。
室内はみんなが完全に着ぶくれしているせいで、空調を強くするわけにもいかず、コートや重ね着がもこもこしすぎて身動きがとりづらいという奇妙な状態になっていく。
「なんだろう…これ、体感温度おかしくなってきた」
エリは袖が何重にも重なっている腕を見下ろして、少し困惑するように首をかしげた。
一方の麻衣は汗だくになりながらも、厳かに牌を並べている。
「ここまで来たら誰が最後に倒れるかの勝負だね」
そう言い放つと、麻衣はまた一つツモを決めた。
全員があきらめ半分の溜息をつきながら、黙々と衣類を追加していく。
もはやファッションなど完全に度外視した状態で、彼女たちは冷えきった真冬の夜だというのに全身から汗を噴き出していた。
やがて夜も更けたころ、四人は息も絶え絶えになりながら対局を終えた。
結果は――麻衣の圧勝だった。
振り込まされ、あるいはツモを取られ続けたリカ、ユイ、エリは、ジャケットやマフラー、パーカー、ダウン、そして手袋と耳あてまで総動員して何重にも着ぶくれている。
まるでウインタースポーツの大会帰りのような恰好だ。
「私、もう限界……」
ユイは苦しそうにファスナーの隙間から冷たい空気を取り込もうとする。
その姿は今日一番の派手さかもしれないが、決しておしゃれとは言えない。
「もう当分、着衣麻雀はごめんだよ」
リカも脱力気味に言いながら、重苦しいパーカーのフードをがしがしと掻き回した。
エリはヘロヘロになりながら椅子に寄りかかり、「お風呂入りたい…」とかすれ声を漏らしている。
「やっぱり普通に脱ぐほうがよかったのかな?」
麻衣は静かに笑う。
それは勝者の余裕というよりも、長時間の真剣勝負を戦い抜いた者だけが得られる達成感のようでもあった。
周囲を見回すと、みんなぎこちない動きでなんとか席を立とうとしている。
「でもさ、たまにはこういうバカなこともいいよね。これも思い出ってことで」
苦笑いするリカに、ユイとエリも笑みを返した。
彼女たちは全身びしょびしょになりながら、それでもこのおかしな夜をちょっとだけ気に入ったような様子だった。
楽しいか楽しくないかと問われれば、なんとも形容しがたいけれど、少なくとも忘れられない思い出にはなるだろう。
こうして、誰もが限界寸前の状態で迎えた深夜。
果たして四人はそれぞれの荷物に収まりきらないほどの衣類とともに、ふらふらと雀荘をあとにした。
新感覚の着衣麻雀は、こうして散々な苦労とたっぷりの笑いを残し、ひとまず幕を閉じる。
大通りに出ると、雪はさらに激しく降り積もっていた。
路面は滑りやすく、夜道はうっすら白く染まっている。
それでも寒さを感じにくいほど重ね着している三人は、少しばかり快適そうに歩く。
勝利者の麻衣はいつもの薄手のコートで、逆にうずくまるように震えていた。
「ねえ、やっぱり私も少し服を借りたいんだけど?」
すっかり冷えきった表情の麻衣を見て、リカはほとんど雪だるま状態の格好をしたまま吹き出した。
「いいよ。どうせ私も暑すぎて脱ぎたいところなんだ」
三人は笑いながら、脱いだり貸したりを繰り返す。
その様子を見て、ふとエリがつぶやいた。
「また、気が向いたらやってみようか。今度はもっと軽装の季節にね」
それを聞いて、ユイがくしゃみをしながら同意する。
「そうだね。次は真夏とかにね。でも、脱ぐか着るかはほどほどにしておこう」
彼女たちは笑い合いながら、雪の降る夜道をゆっくりと進んでいった。
通り過ぎる人々は振り返りながらも、彼女たちが何をしていたのか知る由もない。
四人の奇妙な友情を深めた、長く、そして暑苦しい夜の物語が、静かに終わりを告げる。
だが、翌朝になって彼女たちは思わぬ事実を知ることになる。
雀荘の店主が防犯カメラの映像をチェックする際、あまりに奇怪な光景に興味を惹かれて、そのまま仲間内でこっそり鑑賞しようとデータをコピーしていたのだ。
どうやら誰かがSNSへアップロードしたらしく、見知らぬユーザーが書き込んだコメントには「猛暑でやればいいのに」「脱ぐより怖い」といったものが並んでいた。
一方本人たちは、異様なモコモコ姿が配信されているとも露知らず、あの夜の狂騒をただこそばゆい思い出として振り返るばかり。
やがてしばらくしてから、この雪だるま集団の動画が妙にバズり始める。
そして彼女たちのもとには、ある日突然テレビ局から「深夜バラエティ番組に出演しませんか?」という連絡が届くのだった。