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転校先は子午線だった  作者: kaithi
6/13

人面そう(吉之助)

 次の日は昨日から台風がくると天気予報で言っていたが、進路は変わらず、警報が出て学校は休みになった。放課後みんなで残って勉強をする予定だったが、外は豪雨でとても集まれたものではなかった。

 仕方がないので俺達は自宅で模擬問題を解くことにした。


 翌日の昼休み、永良を除いた一年たちと話をすると、他の三人とも昨日のうちに模擬問題を解いていた。睦月は家が近いからと嵐の中、久の家まで歩いて行って、問題を解いたらしい。

 久喜家は庭をハーフコートにしていて、ネットも張ってある、バスケをするのに充実した環境だったそうだ。豪雨のせいでバスケはできなかったそうだが、吉之助も天気がいい日に行ってみたいと思った。

久の母は息子と勉強してくれる友人ができたことに、涙を浮かべんばかりに喜び、

「台風で買い物に行かれへんからあんまええもん出されへんけど、よかったらこれ食べてぇ」

と言って、カステラを出してくれたそうだ。

「久の本棚がさぁ、ほとんどバスケ関係ので埋まってて、集中するのに苦労したよ」

「ありそうやな」

 頭の中も家もバスケ一色なら、むしろ本棚がまんがで埋まっているほうがおかしい。スラムダンクぐらいは並んでいるかもしれないが。

「でも息抜きに、一試合分だけNBAのビデオ見せてもらったよ。すっごい良かった!」

「マジかよ?! 久、俺らにも貸してくれ」

「———」

 久はしばらく考えると、「見に来るなら」と答えた。貸出するのは嫌らしい。心の狭い奴だ。


 皆で答案用紙を出し合うと、一番心配していた久はおおむね40点を越えていたが、自分で一番労力少なく作った数学は32点だった。正答を見ているはずなのになぜだ?

「32点てギリギリやんか。久、もう一回問題集やり直した方がええんちゃうか?」

「俺もそう言ったんだけど、こいつ嫌そうな顔してさあ。まあ、無理やりやらせたけど」

 睦月の言葉に、久は珍しく不服そうな顔を浮かべた。それでもちゃんと勉強させたのだから、睦月はえらい。

睦月は数学が一番よく、90点だった。公式を覚えればいいだけだから簡単だと言うが、その公式に当てはめるのが難しいと思うのだが。

 俺たち兄弟は全教科60点前後だったが、二人とも満足していた。

 総合で見ると、一番成績がよかったのは睦月で、満と俺たちはだいたい平均点。英語以外やばいのが久だった。

「土日も一緒に勉強する?」

「したほうがええと思う。特に久な…」

 睦月と満が相談する。

「俺らは間違ったとこ問題集でやるぐらいやからええわ」

 夢前家は睦月たちの家からは遠いので、勉強会への参加は断った。

「うちは家片付いてへんから無理やで」

母と二人暮らしの満も場所の提供は断る。

「うちもまだ全然片付いてないからムリだなぁ」

 満だけでなく、越してきたばかりの睦月の家も、まだ人を呼ぶには無理な状態らしい。母親の趣味の観葉植物の配置は決まったけれど、まだ段ボールだらけだそうだ。

「うちでもええけど」

 そう言ったのは期待外の久だった。勉強会に参加する気のなかった俺達も食いついた。

「ほんまか?! 行きたい!」

 結局、久の家でやることを知った永良までもが好奇心に負け、一年全員で勉強会をすることになった。


土曜日は快晴で、俺たちは自転車で行くことにした。家が学校から一番遠いのは楠本部長たちだったが、次に遠いのが俺達だ。家はJRの北、山のふもとにある。

どうせなので昨日の台風が田んぼの稲を倒していないか見に行ってみた。

丁度朝の読書の星の王子さまで、きつねのところをやっていたから気になったのだ。田園地帯は学校よりも東側にあるので少し遠回りになるが、自転車ならば問題ない。昨日の雨はもう乾いていた。

少し東に走ってから踏切を越え、田園地帯に入る。光を浴びて稲はきれいに輝いていた。

一面黄金色だ。朝日に映えて目に眩しいほどだった。

そこに見知った人間を見つけた。自転車を停める。

「神崎先輩、何しとるんですか?」

「あれ? 意外なところで会うやん。どっかに行くん?」

 神崎先輩スケッチブック片手に武蔵先輩と歩いていた。俺が質問に答える。

「久の家に。勉強しにですけど」

「へぇ、奇々怪々やな。またむっつんが舵取りしたん?」

「どっちかっつぅと成り行きです」

「先輩は何しとるんですか?」

 弟の質問に神崎先輩は稲穂に目を向けた。

「この景色を描きにきてん。僕星の王子さま好きやから」

「俺らもですよ。ちょうど今、きつねのくだりなんです」

「そうなんや。

『ああ! きっと俺、泣いちゃうよ』。

夢前たちにはまだ泣いちゃう相手はいないかな」

 星の王子さまの一文を引用した神崎先輩が、笑ってそう言った。

神崎先輩は武蔵先輩に目をやったが、武蔵先輩は稲穂をじっと眺めていて何も答えなかった。神崎先輩は苦笑を浮かべると、俺達に顔を向けた。腕を大きく広げる。

「綺麗やんな。まさに金色こんじきの野で。らん、らんらららんらんらん、ってね」

 神崎先輩はナウシカの有名な歌を口ずさんだが、俺達は朝の清涼な日差しを浴びて輝く稲穂に見惚れ、心からはいと答えた。

 朝のさわやかな風が、黄金の原を波立たせ、俺は目を細めた。

 神崎はポケットから財布を出すと、セロハンに包まれた五円玉を取り出した。それは誰の手にも触れられていないのではないかと思うほどに綺麗な5円玉で、稲穂と同じ輝きを放っていた。

「同じ色やろ。稲穂がデザインされるのもわかるよな」

「いつも持っとるんですか?」

「そう。ご縁がありますようにってな」

「お金にですか?」

「ははははは。まあ、ないよりあった方がええんかな?」

 神崎先輩は微妙な言い回しをした。

「先輩って、携帯のストラップも金色とちゃいましたっけ?」

 弟が質問する。それは俺も知っていた。長方形の金色の地に、白いヒモで巻いたヘビが表現されたものだった覚えがある。

「そうやで。大神神社のお守りやねん。武蔵はシルバーの持っとるで」

「おおみわじんじゃ?」

「奈良にある古社やで。ご神体が山で、登れるねん。すごいやんな」

 なにがすごいのか俺達にはわからず、また首を傾げた。するとまた神崎先輩が説明してくれた。

「神域って普通立ち入り禁止やん。だから誰でも登れるってすごいねんで。夢前たちも機会があったら登ってみるとええで。お金かかるけど」

「へぇ、そうなんや。先輩も登ったんですか?」

「僕は登ってへん。体に悪いから」

「そんなに高い山なんすか?」

「登るのに一時間はかかるなぁ」

「きつっ」

神崎先輩は体が悪い。どこがどう悪いのかまでは聞いたことはなかったが、体育には参加している。聞いた話だと、激しい運動はだめだが、軽い運動なら体にいいから、一人で体操やらウォーキングをしているそうだ。毎朝ラジオ体操もしていると胸を張って言っていた。

「じゃあ俺達そろそろ行きます」

 思わぬところで時間を取ってしまった。待ち合わせ時間はもうすぐだ。

「じゃあなぁ。健闘を祈っとるわ」

 明朗快活な先輩は、手を振って俺達を送り出してくれた。


久の家はすぐに分かった。大きな道沿いで、バスケのハーフコートがあることを睦月から聞いて知っていたので、一目でわかった。

その環境のおかげで、皆で息抜きに練習しながら勉強ができた。

久の部屋はほぼ予想通りで、俺たちが来るから片付けたのか元からなのか、ベッドと机と本棚ぐらいしかなく、ドアにはマイケルジョーダンのポスターが貼ってあった。思った通りだ。こいつがいつも履いているバッシュは必ずジョーダンモデルだから、ポスターを張るならそうだろうと思った。

前に睦月から聞いていたとおり、本棚にもバスケ関係の本やDVDしか置かれていない。勉強机にもテクニック本が侵略しているが、勉強に関するものは英検の本や英和辞典ぐらいしか見当たらない。他は全部引き出しの中か、学校なのだろうか。

勉強を始め、解いた模擬問題を見ながら間違った問題をチェックしていると、隣にいた永良に模擬問題のことを指摘された。

「その問題、誰が作ってん?」

「これは久やけど」

 数学の問題用紙だった。

「名前が武蔵やんけっ」

 模擬問題に名前は関係なかったので、久はコピーのままにしていたのだ。点数も消されていない。プライバシーへの配慮の全くない模擬問題である。

「お前、ほんまに興味ないことはすぐ忘れるなぁ。神崎先輩が、武蔵先輩のお兄さんのをコピーしてくれるって言っとったやろ。先生が同じやろうから参考になるやろうって」

 俺はあきれ果てて言った。

「俺にもくれ」

 永良は突然真剣な顔を浮かべた。俺が睦月に目を向けると、カバンを見ていた。一応人数分コピーしてもらっていたらしいので、カバンの中に最後の一部が入っているのだろう。困った顔で永良を見る。

「一応、あるけど…。前に模擬問題いるかって聞いた時、いらないっていってたじゃんか」

 真面目な睦月は、模擬問題のコピーのことを永良に話していたようだ。

「武蔵先輩のお兄さんのなら別や」

 永良と武蔵先輩の関係と、今の永良の必死さを考えると、渡すのを躊躇ってしまうのだろう、睦月は黙り込んだ。

「渡すことないって。いらんっていうっとたんやろ?」

「お前はそんなんなくっても成績ええやろ」

 俺たちも言う。

「お前らはみんなもらっとるのに、俺だけないのは不公平やろ。それに、俺の分もあるんちゃうんか?」

 永良に追及され、睦月はトートバックの中に仕舞っていた、最後の模擬問題ワンセットを取り出した。

「これだけど…」

「サンキュー!」

 永良は嬉し気に模擬問題を受け取った。しかし、問題をみて途端にがっかりした顔になる。

「お兄さんの回答は書いてへんねんな…」

「書いとったら模擬問題ちゃうやろ! ただのコピーやんけ」

 永良はまるでそっちのほうがよかったという顔で模擬問題を見ている。睦月と満が担当した分には目も向けていない。睦月がため息をつくのが遠くからでも聞こえた。

 そこに、ノックがされて久の母が入って来た。

「お疲れさま。おやつ持ってきたで」

 1.5Lのペットボトルのジュースと大袋入りのおやつを出してくれる。

「うちの子の勉強に付き合ってくれてありがとうな。この子本当にバスケバカで、勉強するよう言うても全然言うこと聞かへんのよ」

「わかります」

 全員が肯定した。久の母はその様子に笑うと、お菓子とペットボトルを置いて出て行った。

 しばし休憩タイムとなる。

「武蔵先輩って、実は女やって噂あるやんな」

やっと勉強から解放されてほのぼのしているところに、おやつを食べながら永良がそんなことを言いだした。

確かに武蔵先輩は小柄で140㎝ちょいぐらいしかない。なぜバスケ部に入ったか謎だったが、神崎先輩が阿弥陀くじで決めたと聞いて納得したものだ。

「ああ、あるなぁ。そんな噂」

「ちっ!」

 お菓子の袋ごみを几帳面にたたみながらの満の相槌を、俺は大きな舌打ちで打ち消した。

「アホかお前は! まだそんなふざけたことゆっとんかっ」

 きつく言い放つ。

「でも水恐怖症やとかで、プールにも湯舟にも入らんらしいし、トイレかっていつも個室やねんで。おかしいやろ」

「え? 調べたの?」

 睦月が困惑顔を浮かべる。永良は自慢げに力強く頷いた。睦月が驚愕する。

「ス、ストーカーだ!」

「やから、そうゆうとるっ」

 前に永良が武蔵先輩のストーカーだと言った時はいまいちピンと来ていなかった睦月にも、ようやく永良の変態さが伝わったようだ。

 しかし、実際のところ武蔵先輩はいつも体操服やユニフォームの下に、土木作業員が着ているような長袖の速乾インナーを着ていて、部活中も素肌をみせることはなかった。インナーの効果で汗も蒸発するのか、裸になって着替えている姿も見たことはない。

「そんなことあるわけないやろ」

 俺の再三の言葉にも永良は屈しない。

「色々あるやろ、憧れの人が男子校やったり、演劇続けるのに親と勝負しとったり」

「いや、うち普通の公立校やし、あの人演劇なんかしてへんやろ。なんの漫画の設定やねん。

いつまでも気持ち悪ぃことゆっとるんちゃうわ!」

 食い下がる永良に、俺は否定の言葉だけでは足りず、立ち上がってお菓子が入っていた籠を投げつけた。

 永良は腕でガードしたが、カゴに入っていた、食べ終わった小袋がバラバラと散らばった。

 拳を固めて言う。

「あの人が女…? ありえん! あの人が女やったら、俺は…俺は、一生結婚なんかせえへん!」

「吉…」

 叫ぶ俺を、祥之助がなだめた。

「何か、あったの?」

「ちょっとな…」

 睦月の質問に、満も祥之助も目をそらした。


おやつの後に気晴らしにと、庭で3on3のバスケをした。その時、睦月が真剣にやりすぎて転倒してしまった。右ひざに擦り傷ができる。

「大丈夫か?」

「平気平気。ちょっと擦りむいただけだから」

 心配してきいたが、実際ちょっと血が出ているだけのようだった。睦月は外の水道で傷口を洗いに行った。

 睦月を除いて久や満たちと練習を再開しようとすると、そこに永良がいないこと気づいた。

 嫌な予感がして水道のほうを見ると、睦月の横に永良がいて、睦月は透明の容器に入った傷薬らしきものを、怪我をした膝に塗っているところだった。

 急いで二人の元へ向かう。

「睦月、もしかして永良の傷薬塗ったんか?!」

 俺はケガよりも、永良が手にしている容器に目が釘付けになった。恐怖に満ちた俺の顔に、睦月は訳がわからないという表情で答える。

「そうだけど…?」

「永良、その薬、例のやつちゃうんか?」

「そうやけど」

 詰問に答えながら、永良は素知らぬ顔で傷薬をポケットにしまった。

「大変や! また被害者が出たかもしれへんぞっ」

 俺は慌てて久と1on1をしていた弟たちの方に走って行った。俺の話を聞いて、久と満たちも睦月の元に向かう。

「ほんまに永良の傷薬塗ったん?!」

 満が深刻な声で聞く。睦月は変わらぬ困惑顔で答えた。

「…うん」

「早ぉ洗い流せ!」

「え?」

「そうやな。まずは洗い流さんとっ」

 祥之助の言葉に、我に返ったように満が強引に睦月の右ひざを水道水で洗い流した。むしろ傷が悪化するぐらいの勢いでタオルで擦る。

「何? 何か不味い薬だったの?」

「——あれは、人面そうを作る薬なんや」

 俺の深刻な言葉に、弟や満どころか久まで頷いた。永良だけが平然としている。

「どういうこと? 人面そうって何?」

「前に部長がケガした時に同じ薬をひじに塗ったんやけど、その次の日にひじに顔が浮かびあがったんや!」

 何をいっているんだろう?と言った顔で、睦月は意味がわからずぽかんと説明した俺を見返した。

「睦月、これ作り話ちゃうからな。俺携帯に写真残しとるし。あとで見せたるわ」

 真剣な顔で睦月に言う。

「とりあえず誰に連絡する? 武蔵先輩は絶対やけど、部長にも連絡した方がええよな」

「俺、武蔵先輩に連絡すんの嫌やなぁ」

「じゃあ俺がする」

 俺達兄弟が悩んでいるところに、今まで黙っていた永良が手を挙げた。その態度に俺は切れた。

「お前っ、わざとやろ! 絶対にわざとやろう!」

 永良の襟元を締め上げる。当事者の睦月は事態がつかめず、ただ修羅場を眺めていた。

 縁側に座っていた睦月の横に久が行く。

「大丈夫。部長もちゃんと治ったから」

 久のその言葉が、睦月の危機感を一気に上げたようだった。たちまち睦月の顔色が失われた。

「久! 顔ってどんなの? すぐに消えるの?」

 久は憐みの顔を浮かべて、顔を横に振った。

 絶望的な顔をする仲間を不憫に思っていた満が、鶴の一声をあげた。

「武蔵先輩の自宅に電話しよう! 今の時間ならきっと神崎先輩もおるやろうし。もしかしたら部長もおるかもしれへん」

「そうやな! そうしよう」

 俺達も迎合する。それを受けて永良が嬉し気に言った。

「じゃあ俺が電話するわ」

「お前は一生黙っとけ!」

 永良の言葉に、被害者と久以外の俺達3人が怒鳴った。

 電話は結局、睦月自身がすることになった。事態の全容を知っているのは睦月だし、被害者なのも睦月だからだ。最初の説明だけ、満がすることになった。

 皆で久の部屋へ戻ると、俺は携帯を取り出し、しばらく操作した後、画面を睦月に見せた。

肌色に横線が3本に小さな穴が2つ浮き出ている写真が映されている。並んだ二本の線は笑った目に、穴は鼻の穴に、一本の線はにやりと笑った口に見えた。完全に顔である。

 睦月は本気でぎゃー!と叫んだ。俺達兄弟もさもありなんと頷く。

 満は自分の携帯を使って武蔵家へ連絡をしていた。

「すみません、白畑です。実はまた永良の傷薬の被害者が出てもうたんです。睦月なんですけど。——場所は右ひざです。一応洗い流しました。はい、わかりました」

 満が携帯をスピーカーにして睦月に渡した。

「もしもし…」

『もしもーし、大丈夫?』

 睦月が恐る恐る話しかけた携帯の先から聞こえてきたのは、軽快な神崎先輩の声だった。

「え? あれ? 神崎先輩ですか?」

『そうやで。部長のがよかった? 部長もおるで』

「いえ、武蔵先輩かと思って」

『武蔵は今忙しいから、僕が代わりに出てん。永良の傷薬の副作用のことなら、同じぐらい詳しいし、異体同心やから問題ないで』

「そうなんですか?」

『あ、でもせっかくの奇想天外な話やから部長呼んだるわ。同じ被害者やしなー』

「えっ、ちょっとそれは!」

 楠本部長から写真の傷のことを聞くのは忍びないようで、神崎先輩の気軽い言葉に睦月は慌てている。俺がたぶん冗談だろうと思っていたところに、神崎先輩の案の定な言葉が続いた。

『なんてな。冗談やって。本人驚天動地やろうしな。ははははは』

 神崎先輩は楽し気に笑った。相変わらず性格悪いなぁと、横で聞いていた俺達は思った。しかし間違いなく頼りにはなるのだ。神崎先輩が続けて言う。

『とりあえず、薬は洗い流したみたいやし、別の市販の傷薬塗って様子見ぃ。一応明日、武蔵に解毒用のブレンドティ作って持って行ってもらうようにするから』

「解毒用のって…そんなのあるんですか?」

 本格的に毒物がらみな話になって来たからか、睦月は引いている。

『ドクダミメインのただの健康茶やで。健康補助食品みたいなもんやな。

人面そうの傷薬って、永良の家に昔からあるレシピで作られたオリジナルなやつやねん。ブレンドティも永良の家の本のレシピを元に作ってるから、まあ、飲まないよりは効果あるかもなぁって気休め程度の話。

 まだ何も起ってないんやから、あんま失望落胆せんようにな。部長の時も1週間以内に消えて後遺症も何もなかったから。

 あと、永良からのものは、塗り薬だけじゃなく飲み物も食べ物も一切口にせんようにな。死ぬよりひどい目ぇに合うかもしれへんで? 盲亀浮木で済んだらええけど、今までの経験からして期待できへんからな』

「——わかりました…」

 神崎先輩はすらすら話を進め、対策をたてて最後には怪談のような忠告もしてくれた。

 睦月は通話が切れた携帯を、力なく満に渡した。

「ありがとう…」

「あんま気にせんほうがええで。神崎先輩もそう言うとったし」

「ええなぁ。武蔵先輩のブレンドティ…」

 羨ましがったのは当然永良だ。本気で黙っていて欲しい。

「でもほんま、永良からは食べ物も飲み物ももらったらあかんで。前科あるしな」

 と、追い打ちをかけるように恐ろしい言葉が弟から出た。

「前科?!」

「こいつ、部活のお茶に『本音しか言えなくなる薬』ってのを入れたんや」

「うそ…だよね?」

 それこそ冗談だと思いたかったが、睦月以外の全員が遠い目をした。

「あれで、何人辞めたっけ?」

「山下は確実やな。直接先輩に死ねとか殺すとかゆうとったからなぁ」

「沼島先輩も、公開処刑やったしな…」

「好きな子に、がちでフラれとったもんな。皆の前で」

「赤井部長なんか、『お前たちは俺の言うことだけ聞いとけばええんや!』って、こっちが引くセリフ吐いとった割に、平気な顔しとったよな。あの人のメンタルはわからんわ」

「嫌な思い出しかないな」

 俺達兄弟と満が、忘れたくても忘れられない思い出を語る中、久と永良は黙っていた。久は無口なので被害がなかったのかもしれないが、永良は…。

「どうしてそういうことする訳? ちょっとは人の迷惑考えろよ!」

「無駄や無駄。こいつに反省の文字はないからな」

 初めて被害者になった睦月が叫んだが、俺は冷淡な評価を返した。

「こいつ、武蔵先輩が女かどうかと、好きなタイプが知りたくてその薬入れたっていうんやで?」

「直接聞けばいいじゃん!」

「直接聞いたけど信じられへんかったんやって。答えは一緒やったらしいけどな」

 俺は冷たい目を永良に向ける。永良は視線を外した。

「答えって、なんだったの?」

「性別は男で、好みは神崎先輩」

「まんまじゃん!」

「神崎先輩がええんなら、俺でもよくないか?!」

 永良が意味不明なことを主張してきた。

「いや、意味わかんないから!」

 睦月が叫ぶ。一年が皆なるべく永良と関わらないようにしている理由が、睦月にも分かっただろう。そして、一年のお茶の当番表に永良の名前がないことを聞かれた時、「あいつは危険だから」と言った意味も分かったに違いない。できれば一生知りたくなかっただろうが。


 翌日の日曜日の朝、睦月からラインがあり、なんの変哲もない普通の膝の写真と共に、「なんともなかったよ」とのコメントがあった。

俺達兄弟は顔を見合わせて安堵の息をつき、おめでとうのスタンプを送った。

今日も天気がよいので、久の家に勉強にしに行くから一緒にどうかと誘われたが、自宅が遠い俺達は、模擬問題も十分合格範囲だったので、必要ないと断った。

すっかり油断してゲームをしていると、またすぐ睦月からラインがあり、「武蔵先輩が散歩がてらに解毒用のお茶を持って来てくれた!」「めっちゃいい人だった( ;∀;)」と送られてきた。

そう、武蔵先輩は厳しいが、基本とても公正無私なよい人なのである。

それは俺もよくわかっているのだが、過去のエピソードのせいで一歩引いてしまうのだ。それももとはと言えば自分が悪いのだが。

そこに永良のアホがくだらないことを抜かすので、俺は武蔵先輩との距離を縮められずにいた。

武蔵先輩も神崎先輩や阿恵先輩のように明るくくだけた性格でもないので、多少距離があろうとも全く問題ないのだが。それでも、自分より先に睦月の方が仲良くなりそうな感じがしたのには、置いて行かれたような気持ちがした。


 10月18日は中間テスト一日目で、英語、社会、数学だった。

 テスト後の午後も自宅で勉強した。睦月は満と久の家で勉強し、たまにバスケの練習もしたらしい。

その時、通りかった同年齢ぐらいの少年が「へたくそだなぁ」とケンカを吹っかけて来て、睦月たちと勝負することなったそうだが、睦月や満はともかく、久までもが負けたそうだ。

その話になったときの久が珍しく不服そうにしているのが印象的だったが、同じく負けた睦月は、「すごく上手だったんだよ!」と少年のほうを賞賛していた。

素直に人を褒められるのは、この新人の美点だなと、素直に思えた。


10月19日は、中間テスト二日目。国語、理科だった。

 テストが終わったので、午後は体育館で部活だった。

「みんなテストはちゃんと出来たか? いつもゆうとるけど、赤点のやつは試合には出さへんからな」

 楠本部長がテスト前に言ったセリフを、もう一度言う。テストは終わっているので、結果を考えるともう手遅れなセリフではあるが。

 部長はテストの注意を重ねて言った後、今度は睦月を呼んだ。

「永良の傷薬塗ったらしいな。見せてくれるか?」

 神崎先輩か武蔵先輩から話が伝わっているようだ。思い出したくない記憶だろうにちゃんと確認するところが楠本部長らしい。睦月が右ひざを見せるが、もう傷跡もうっすらとしかわからないぐらいまで治っていた。

「なーんや。ただのかすり傷やんけ。つまんねぇの」

「平気そうやなぁ」

 楠本部長の隣にいた芽室先輩と神崎先輩が口々言う。芽室先輩は何を期待していたのだろうか。

この人は幼馴染の楠本部長に人面そうが浮かんだときも、喜々として愛称までつけていたぐらいだ。人が悩んでいることをなんだと思っているのか。

 しかし、やたら胆力はあるのだ。その力を少しでもいいから他人の心を慮ることに使ってくれればいいのに、と思っているのは俺だけではないだろう。

 幼馴染と相反して心配りに長けた楠本部長は、胸をなでおろし、睦月に重ねて忠告した。

「これからは永良のもんには絶対に手ぇつけるなよ。ええな」

「はい」

睦月も深刻な顔で頷く。

 今度は一年担当の副部長の阿恵先輩が久にテストの出来を問うた。

「久、大丈夫やった?」

「——」

 反応のない久に、阿恵先輩が俺達他の一年に目を向けるが、皆目をそらした。

 久はテストのことには答えなかったが、久しぶりに本格的にバスケができるからか、とても張り切っていた。それは勿論俺たちも同じで、何の気がねもなくできるバスケは最高だった。

 定期考査なんてなければいいのに。


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