文化祭朝(睦月)
文化祭当日。外部参加はなく、生徒だけの文化祭だったが、招待客がいるのか日曜日開催だった。
くせで早めに来た俺は、一階の昇降口近くで神崎先輩と武蔵先輩に会った。定時より大分早くに来たはずなのだが、この二人より早くに学校に来られたことがない。二人が住むマンションは確かに船上家よりも学校に近かったが、数分も変わらないはずだ。
神崎先輩が挨拶してくれる。
「おはよう。いつも早いなぁ」
「先輩たちには負けます」
「僕たちは鯉の餌やりがあるから」
「鯉の餌やり?」
コ字型の校舎には中庭があり、小さな四角い池があった。池を除いたことはなかったが、廊下の窓からそこに鯉が飼われているのを見た気がする。今も神崎先輩たちは中庭の方からやってきた。
「本当は校務員さんの仕事なんやけど、よく部屋使わせてもらうし、朝、代わりに餌やっとうねん。爬虫類に進化しそうな勢いでがっついてきて面白いねんで。むっつんも一度おいでよ」
そんな平和な話をしながら階段を上がっていると、3階の教室から言い合う声が漏れ聞こえてきた。
「だから、俺が来たときはもうなかったんやって」
不穏な言葉を、好奇心旺盛な神崎先輩が聞き逃すはずがなかった。声が聞えた2年4組のドアをためらいなく開ける。
「どないしたん? 朝からヒートアップしとるやん」
なんとなく一緒についていったが、俺には当然知るはずもない、男子生徒一名と女子生徒が2名いた。これまた当然だが2年の学年カラー赤色の上靴を履いている。
クラス展示は組ごとに材料や作成テーマが決まっていて、俺の属する1年1組は色紙で町の景色をはり紙して個人個人で作るものだった。
2年4組のテーマは海の動物のようで、布で作ったイルカやらペンギンやらが飾ってあった。班ごとに置いてあり、毛糸で作ってあるイソギンチャクだったり、布で作ったジンベエザメだったりと、色紙で風景画を描いた俺達のクラスよりも手が込んでいたし、賑やかしげだった。
「神崎! 阿恵が作った亀がなくなっとるねん」
神崎先輩と知り合いらしき男子生徒が説明する。元クラスメートか何かだろうか。
「本当?」
場所を知っているのか、神崎先輩は机を確認してそこに置いてあったカメ2匹を持ち上げた。A4サイズ程度のお昼寝枕のカメと、マウスサイズ程度のフェルトのマスコットカメだ。
その周りを確認するが、特に他にカメらしいものはない。
「確かに、クッションだけなくなっとうな」
「俺が来たときにはもうなかってん」
と、男子生徒が言う。
「あたしがカギ閉めたときにはあったで」
今度は背の高いボブカットの女子生徒の方が言った。
「美空やったっけ?」
「そう」
女子生徒に神崎先輩が聞くと、頷いた。こちらは顔見知り程度のようだ。
「なんで最後やったん?」
「あたし委員長やから」
委員長だから最後にカギを閉めたということだろう。
他のクラスの委員長などよく知っているものだ。確か神崎先輩は何の委員でもないはずだが。
「そっちは?」
神崎先輩がもう一人の小柄な女子生徒に目を向ける。こちらは流石に知らないようだ。
「4組ちゃうやんな?」
それはわかるのか。
「七組の内海。私はただ一緒に学校来ただけやで」
神崎先輩に尋ねられたもう一人の小柄な女子が答える。
「委員長がカギを閉めたときにはあって、朝に陸来た時にはなかったと」
「ああ」
神崎先輩の言葉に男子生徒が頷く。友人らしき人物は陸という名らしい。
「どっちも見間違ぉてへんのなら、犯人は委員長ってことになるんちゃうん?」
「私が犯人やっていうん?」
「その可能性が一番高いやん。犯人は犯行現場に戻るってゆうし。
陸、阿恵のクッションの中身って知っとう?」
「中身?」
神崎先輩のよくわからない質問に、陸先輩も俺も首を傾げた。
「詰め物のことや」
「綿とちゃうん?」
陸先輩は俺と同じ発想のものを口にした。他に何かあるのか?
「わかった。陸、とりあえず昨日最後に誰が鍵返しに来たか、職員室に確認しに行ってくれへん? 4組と7組の分な」
「なんで私のクラスまで。関係ないやん」
内海先輩が抗議する。
「何ゆうとん。今ここにおるんやから関係者やろ。
それから陸、校務員さんに朝カギ開けた時、阿恵のカメがあったがどうか聞いてきて。頼むわ」
「わかった」
陸は了解して教室から出て行った。
「じゃあ美空、ちょっとロッカー見せてぇよ」
左右田中は教室の後ろには個人ロッカーが設けられている。携帯や貴重品をしまうためだ。当然鍵もついていて、それはナンバーロック式になっている。
「ええけど、あんな大きいもん入らへんで?」
「わかっとるって。一応な」
犯人扱いされた美空は迷いなく自分のロッカーに向かい、ロッカーに内蔵されているキーの4桁のナンバーを合わせて、中を見せてくれた。1111だった。面倒くさがりなのだろうか。
何か細々したものが入っているが、クッションなど見あたらない。
それを確認すると、神崎先輩は振り返って俺と武蔵先輩に言った。
「ちょっと机の中身チェックしてくれる?」
俺たちは黙って頷き、見える限りの机の中身を見て回った。中には起き勉をしいているものもあったが、クッションらしきものは当然ない。大体が空だ。
「特別何も入ってません」
「こっちもだ」
神崎先輩に報告したところで、陸先輩が帰って来た。
「神崎、校務員さんに聞いたら、鍵を開けた時にはなかったそうや。今日持ってくるんかと思っとったって。
あとカギは、うちのは誰が返したか覚えてないって先生が言うとった」
その報告を聞いて美空委員長は得意げな笑顔になった。しかし続く言葉にその笑顔は固まった。
「けど7組は覚えとった。一番最後やったから。内海やて」」
内海先輩に注目が集まる。内海先輩は顔色を失い目を泳がせた。明らかに怪しい。
「待ってぇよ! カメがなくなってたって、なんでわかったんよ。こんだけクラスと展示物があるのに!」
委員長が反撃を試みてくるが、神崎先輩の方が上手だった。
「もちろん頼んどったからやで。確認してくれって」
「な、なんで…」
息を詰まらせながら美空委員長が言う。
「それを僕に聞くかなぁ」
わかって当然だと言うように、神崎先輩は4組の委員長を見つめた。
「じゃあ早いとこ七組に行こか。もう誰か来てるかもしれへんけど」
神崎先輩に促され、俺を含め全員が七組に向かった。
二年七組の展示は、段ボールで作った家具、だった。
班ごとに作っているようで、実際に使用できそうな本棚に座卓の勉強机、タンスにクローゼット、ソファにこたつが展示されていた。
それぞれ耐久度を表すためか、展示の見栄えをよくするためか、本棚には本が、机にはスタンドライトと勉強道具が置かれていた。もちろん5段のタンスも下から3段ほどが階段状に開けられ、中に衣類が仕舞われていたし、クローゼットも半分扉が開かれ、衣服がつるされていた。
こたつにもちゃんとこたつ布団が掛けられていたし、様式美なのかかごに入ったミカンまで上に置かれていた。
そしてソファだが…。誰が考えたのか、クッションを枕にして人体模型の人形が横たわっていた。ちゃんと毛布がかけられている。ユーモアを通り越して悪趣味ではなかろうか。
「す、すごい…ですね」
うまい総評が思いつかない。
「胆大小心な出来やなぁ」
神崎先輩は時々、全く聞いたことのない四字熟語を使う。そしてまた今日もそれを使って七組の展示を評した。
幸いと言っていいのか、七組にはまだ誰も来ていなかった。
「内海、とりあえずロッカー見せてぇよ。武蔵は展示のチェック頼むわ」
内海先輩は何も答えず、しかしロッカーまで行き解錠して開けた。こちらは1113。
11から始まる四桁で想像するといえば、いい国作ろう鎌倉幕府と、いいころだ保元の乱。まさか平安末期が女子の間で流行っている訳はあるまい。何かの暗号だろうか。
内海先輩のロッカーの中には本が数冊入っているだけだった。
神崎先輩がロッカーを確認している間、武蔵先輩は神崎先輩に指示されたとおり真面目な顔で展示物を見回っていた。
人目がないのを好都合と取ったのか、入り口や各展示に貼られた「手を触れないでください」という注意書きを無視し、こたつ布団をめくって中を見たり、人体模型にかけられえた毛布を持ち上げたりしている。
あくまでも展示物に衝撃がかからないよう心配りをした触り方なので、誰も注意はしなかった。
ロッカーを確認し終わった神崎先輩が親友をふり返ったが、武蔵先輩は引き続きタンスの中に仕舞われた衣類を持ち上げてみたり、クローゼットの死角を確認したりしている。
一通りの確認を終え、腕を組んで展示を眺めた武蔵先輩に神崎先輩が問う。
「どう? 武蔵」
神崎先輩に尋ねられた武蔵先輩は、改めて展示を見わたすと、
「あそこが一番あやしいな」
と言って、勉強机の引き出しを指さした。
「確かに。あそこは盲点かもね」
そう答えると、神崎先輩は二段ある引き出しの下、深い方の引き出しを開けた。すると中に白色のビニール袋が入っていた。神崎先輩が袋を取り出すと、それはちょうどA4サイズぐらいで、厚さは20㎝程度だった。ぱんぱんに膨れ上がっていて、強引に開閉口をヒモで縛り上げている。隙間から緑色の布が見えた。
「こりゃまた随分小さくしたもんやなあ。見物したかったわ」
袋を両手で挟んでぎゅうぎゅう押しながら神崎先輩が言った。
女子二人は完全に顔面蒼白になっている。
「誰に教唆扇動されたか知らんけど、返してもらうで~」
神崎先輩は気楽にそう言って、教室を出て行こうとした。それを委員長が呼び止める。
「待って! 阿恵くんには言わないで…」
その声は鼻にかかっていて、涙をこらえているようだった。
「言わへんよ。陸も言わんやろ?」
「まあ、事件が解決したんなら」
陸先輩は事態が呑み込めないのか、女子のやったことが許せないのか、不承不承の感で答えた。
4組に向かう廊下を歩いている最中、その陸先輩が訝し気に尋ねた。
「ほんまにその袋に入っとるんか?」
「入っとるで」
神崎先輩は足をとめ、袋のひもを解いた。取り出すと言うよりも袋をめくるようにして中身を出す。するとたちまち大きなカメのクッションが魔法のようにばーんと姿を現した。
「うわっ」
俺と陸先輩が驚きの声を上げた。10倍とはいい過ぎだろうが、そう思えるぐらいのサイズのカメが出てきたのだ。神崎先輩は足を進めながら丁寧に亀の形を整えていく。内海先輩はただの友達ではなく、共犯者だったらしい。
「これ、中身羽毛やねん。圧縮すればすごく小さくなるから」
「なんで持って帰らなかったんでしょう?」
盗んだのなら、わざわざあんなところ隠さずとも、持って帰ればいい。復元したカメは長さ1メートル以上はあり、とても持って帰られたものではないが、圧縮された状態ならば疑われなかっただろう。
「さぁ? 誰かに受け渡す予定やったんちゃう? わざわざ展示品の中に入れとうところを見ると、外部の誰かにかもなぁ」
神崎が推理を話す。確かにそれならばありえそうだ。
「なんで校務員さんにチェックを頼んでたんですか?」
もう一つ疑問に思っていたことを訊いてみる。
「盗まれるかもと思ぉとったからやで」
と、物騒な回答が返ってきた。思わず質問する。
「なんでですか?」
「阿恵が作ったやつやから。あいつ女子に人気あるやろ? 去年作ったキーホルダーも盗まれとったしな。今回は目立つように大きなの作ったけど、相手のが一枚上手やったな。刻苦勉励して作ったもんやし、見つかって良かったわ。
にしても文化祭が終ってから盗めば、バレへんったかもしれんのになぁ。もとのサイズが大きいし、詰め込むのが大変やから、さすがにそれは難しいかな」
神崎先輩は非難するでもなく、カメを眺めながら完全犯罪の方法を考えている。
阿恵先輩がハンサムでもてるのは知っていたが、盗難騒ぎが起こるようなもて方はしたくないものだ。しかし神崎先輩の発言から考えてみても、そう珍しいことではないのかもしれない。永良の武蔵先輩に対する行動にしても、好かれるのも考えものだと改めて感じた。
陸先輩にカメクッションを渡して、神崎先輩たちと階段へ向かう。
しかし、それにしてもなぜ、一番大きいものだけが隠されたのだろうか。
「中くらいのと小さいのは無事だったのに、不思議ですね」
「あははは。あれ、中くらいのは武蔵が、小さいのは僕が作ってん。だから盗まれへんかったんやろ」
「え? なんで二人が4組のを作ってるんですか? クラス違いますよね」
「阿恵が作り方教えてくれって武蔵に泣きついてきて、型紙小さくして見本に作ってやってん。僕は作ってみたかったから作っただけやけどな。3匹のほうが見た目もええやろ? 子亀の上に孫亀が~ってな」
そういうと、神崎先輩と武蔵先輩は階段を降りて行った。二年の教室はこの階だ。下の2階は3年生の教室になる。どこに行くのかと思わず呼び止めた。
「先輩?」
「僕らも人形確認しに行っただけやら。8組は外のプレハブやねん。また後でな」
そう言われてみれば、2年だけが新興住宅地の開発の影響で1クラス多く、他の学年は8クラスだが、2年だけは9クラスで、なぜだか8組の教室が中庭のはずれにプレハブで建っていた。
なぜ9組でなく8組がプレハブなのかは、担任をしている遠矢浜先生がじゃんけんで負けたから、という、とても本当とは思えない噂が流れていた。真実は闇の中だ。