「ゲイル対鈍色卿」
観客達は声を上げていた。鈍色卿を応援する声ではなく、罵倒であった。彼らにとって、チャンピオンを維持していたヴァンやウィリーは未だに根強い人気を持っていたのだろう。それを下した鈍色卿を目の敵とばかりにブーイングを送っていた。鈍色卿の隣にいるルドルフが客席へ向けて怒鳴り返している。
観客が味方の今がチャンスかもしれない。だが、ゲイルの疲労はそこそこに濃い。鈍色卿はあの甲冑姿で恐ろしく速い動作をする。ゲイルの武器である速さとどちらが優るかが勝負の鍵か。ゲイルは息を切らせて、悠然と歩んで来るチャンプを待っていた。
「カンソウ、テメェらが相手とは笑わせる。苦労してここまで上がってきたようだが、ここでおしまいだ。十連勝、お疲れさん」
ルドルフがからかうように言ったが、カンソウもゲイルも鈍色卿へ目を向けていた。
「うるさい」
誰が発したのか一瞬、分からなかった。その重き声は鈍色卿のものであった。
「鈍色卿?」
ルドルフが問うと、彼の相棒は腰の鞘からグレイトソードを引き抜いた。
「両者とも、準備は良いか?」
主審が問う。
ゲイルと鈍色卿は所定の位置へと赴く。カンソウもルドルフも移動した。
「奴の斬撃は重くて速い。動きもな。体力が厳しいだろうが、一瞬一瞬が勝負だと思え」
「分かった」
カンソウはゲイルに向かってそのように言うことしかできなかった。もっと具体的な弱点などを述べられれば良いものを、俺は存外役立たずだな。カンソウは己を責めるが、試合が開始されようとすると、鈍色卿の狙いどころを探すために目を皿のようにして凝視していた。ルドルフがカンソウとゲイルを嘲るがそんな声など聴こえていなかった。
「これより、チャンピオン戦を行う! チャンピオン、鈍色卿対、挑戦者ゲイル、始め!」
さすがのゲイルも連戦のための疲弊か、猛然と駆けはしなかった。だが、カンソウはそれで良いと思った。ここは様子を見よう。観客にも闘技戦士にも嫌われていても、鈍色卿は強敵に変わりはないからだ。
「鈍色卿、ガキの奴、へばってますぜ。一発ぶち込んで終わりにしましょうや」
ルドルフが高笑いする。
まるでルドルフの言葉が引き金になったかの如く、鈍色卿は黒マントを翻し、一気に突っ込んで来た。甲冑が揺れて擦れる音がすると思った瞬間には目の前にいた。
「あ」
鈍色卿が斬撃を放つ。気後れしたゲイルが慌てて剣で受け止め、後方へと離れた。
想像以上の速さだ。鈍色卿と以前戦ったカンソウは、あの時の鈍色卿が実は手を抜いていたことを思い知った。自分でもやり合える相手だと思っていたが、そこはチャンプになった戦士である。まるで強さが違った。
ゲイルは距離を詰められながら圧倒され、翻弄されていた。良いように流され、鉄の音が次々木霊する。
鈍色卿の鉄仮面を見て、ドラグフォージーのように行けるか、カンソウは懸けてみることにした。
「ゲイル側面だ! 側面から打て!」
ゲイルは返事をする間も惜しみ、離れた。
「怒羅アアッ!」
咆哮が響き、ゲイルが駆けた。
正面から打つと、見せかけて、左から狙う。だが、鈍色卿は当然、カンソウの助言も聴こえており、あっさりと対処してみせようとしたのだが、ゲイルがその腕を掴み引き寄せ、掌底を顔面に炸裂させた。
「う」
鈍色卿が呻く。その頃にはゲイルは背後に回り、跳躍していた。
「先生、後ろだ!」
「竜閃!」
必殺の一撃だったが、よろめきながら鈍色卿は剣を上げて砂塵と共にゲイルの剣を叩いた。
ルドルフがホッとしていた。
「良いぞ、ゲイル、よくぞ仕掛けた!」
カンソウは心から弟子の積極性を褒め称えた。
だが、ゲイルの様子がおかしい。どうやら砂塵が目に入ったらしい。鈍色卿がこれを狙ってやったとすれば、ルドルフに相応しい小賢しい悪党である。
観客席でもゲイルの様子に気付いた客らが檄を送り始めた。
残り時間、五分。早いものだ。
「いくぜ、鈍色卿!」
ゲイルが右目を閉じたまま相手に向かって跳躍した。
「真月光!」
大上段の全力の一刀両断を鈍色卿は剣で受け止め、押し返した。ゲイルがよろめいた。
そこへ鈍色卿が先ほどのお返しとばかりに、拳を放つ。ゲイルはその手を掴み、引き寄せると、足払いを仕掛けたが、鈍色卿は跳んで避け、ゲイルの手から逃れた。
「野郎!」
ゲイルが剣を掲げ、そして一気に刺突した。カンソウはその速さを目で追えなかった。しかし、鈍色卿は見えていたらしく、鉄の音が鳴り、ゲイルがよろめいた。
ふと、鈍色卿が数人になった。かと思えば、それは影であった。
「胡蝶」
恐ろしく低い声が聴こえた瞬間にはゲイルは慌てて振り返り、間一髪剣で受け止めたかと思った瞬間、恐ろしい嵐のような乱れ突きがゲイルを襲った。
何連撃かは弾き返した。だが、そこまでだった。
ゲイルは幾度も鎧を打たれ、兜が飛び、そして倒れた。
「そこまで! そこまで!」
主審が慌てて駆け寄った。
「勝者、鈍色卿!」
盛大なブーイングが飛んだ。
だが、カンソウはそんなことに耳を貸している場合では無かった。あの突きを、生地の厚いだけの布鎧だけで受けたのだぞ!
「ゲイル!」
ゲイルは気を失っていた。カンソウはゲイルを抱え上げた。
「ハハハッ、残念だったな、カンソウ!」
ルドルフが狂喜しているが、カンソウは一瞥し、鈍色卿を見ると、思わず口が動きそうになったのを堪えた。
やりすぎではないか! そう叫んでやりたかった。現に鈍色卿は乱れ突きを勝敗が決しても止めなかった。
カンソウが退場すべく歩み始めた時だった。
「再びこの地で会おう」
鈍色卿が静かな声でそう言った。
カンソウは一瞬、動きを止めたが、振り返ることなく、今は医務室へと急いだのであった。




