「ガザシーの復帰」
カンソウは鈍色卿を引きずり出したいと思っていた。フレデリックは思った以上に成長を遂げていたが、カーラもまた立ちはだかる者として、フレデリックに遅れは取らない。甲冑を脱ぎ、鎧下着姿になりながら地道に腕立て伏せをし、カンソウはある確信を掴んでいた。午後はフレデリックとカーラ、あるいはウォーも強いだろう。この両者が打ち合えば引き分けとなり、チャンプである鈍色卿を衆目に露にさせるのは難しいだろう。
つまりは午前の部で誰かが勝ち上がって行くしかない。鈍色卿に挑む機会は自分にだって訪れるということだ。
カンソウは張り切っていた。今度こそ、勝つ。
2
だが、ゲイルが頑として動かなかった。
「師匠が出たんだから、今度は俺の番だよ」
順当で行けばそうなる。弟子の言葉はもっともであった。カンソウはゲイルなら同じく鈍色卿を打倒してくれるだろうとは思った。だが、自分自身が目標を見失いそうに思い、不安に感じた。しかし、それをあろうことか、弟子の前で吐露するわけにもいかなかった。町でのルドルフはやりたい放題であった。人的被害は衛兵が食い止めているが、各飲食店が多大な痛手を被っていた。ルドルフは徒党を組み、飲み食いし、貴族の従者であることと、自分がチャンプであること、鈍色卿と言う相棒がいることを笠にしていた。
カンソウが鈍色卿を倒したいと思うのは、この小悪党ルドルフが、大悪党へとなり始め、落ちぶれた闘技戦士らを集めて、ルドルフ党を拡大し町中の治安を落とそうとしているのを防ぎたいためだった。
コロッセオは闘技戦士にとって崇高なものだ。それを汚されたくなかった。
カンソウは呻いていた。そして息を吐いた。
自分よりも弟子の方が強く、可能性だって幾らでもある。
「良いだろう、明日はお前が行け」
「任せときな」
ゲイルは満足げにそう言い、胸を叩いた。
3
コロッセオの控室に案内された。ジェーンは相変わらず綺麗だった。そこでカンソウは自分がすっかりジェーンからの手紙を読み忘れていたことに気付いた。カンソウは恋文を渡した。ジェーンからの手紙はその可否であろう。とても大切な手紙だというのに、これというのも、鈍色卿とルドルフのせいだ! と、内心、罪を擦り付けたかったが、そんな情けないことはしない。如何にして戦うか、あるいはフレデリックに誘発され夢中になって身体を鍛えていた自分が悪い。
カンソウはわざとジェーンに背を向けた。幸い、ジェーンはゲイルと話していた。
「ジェーンさん、知ってる?」
「いいえ、知らないわ。だって何のことについてか言ってくれなきゃ答えようがないじゃない」
ジェーンは軽く笑いながら言った。
「そうだね。実はガザシーさんが、今日から試合に出るんだよ」
弟子の言葉にカンソウは声に出さず驚いていた。ガザシーは運悪く一か月と見込まれていた骨の完治が遅れていた。ゲイルが言うには、無理をしたらしい。
カンソウは思う。ヒルダばかりに戦わせて、無口な彼女はセコンドに入っても檄も何も飛ばせなかった。だからこそ、治りかけの腕に慌てて無理をさせてしまったのだろう。カンソウはガザシーの気持ちが痛いほどわかった。一番怖いのが衰えだ。ガザシーもモーニングスターを扱うほどの筋力がどのぐらい保たれているか不安であったのであろう。
扉が叩かれ、ジェーンの同僚が顔を出した。
「次、出番よ」
「おう! 行くぜ、師匠」
「ああ」
そして決まり悪くカンソウはジェーンを振り返ったが、彼女は明るい笑顔のままだった。
「二人とも頑張ってね」
カンソウは安堵し、暗い回廊へと出た。
そうして試合会場へと足を踏み入れると、カンソウとゲイルの名を呼ぶ声が上がった。
「俺達も有名人になれたのかな?」
「油断するなよ。敗退が続けば観衆の心は離れて行くものだ」
「分かった」
四つの影が中央付近で待っていた。
主審に副審に、ヒルダにガザシーであった。ゲイルが言った通り、ガザシーは傷が癒え、やる気らしい。鎖に先に鉄球の付いたモーニングスターを持っていた。
「それじゃ、ガザシーさん、無理しないでね」
ヒルダがセコンドのようでガザシーから離れて行く。
「ゲイル、良いか……」
と言って、カンソウは情けは捨てろとは続けられなかった。ゲイルの良いところは非情になれないところであるし、なってほしくなかった。
「いや、ナイスファイトを期待してるぞ」
弟子の右肩を叩き、カンソウも離れる。
「良い試合になれば良いですね」
ヒルダが話しかけて来た。
「そうだな」
ゲイルとガザシーは位置に着いた。
主審が中央で宣言する。
「第二試合、ガザシー対、挑戦者、ゲイル、始め!」
鉄球の振り回す音が空気を振動させていた。
これが本物のモーニングスターという武器だ。鉄球は鎧兜を拉げさせ、締まった鎖は骨をも割る。
カンソウの見守る前で、ゲイルが飛び出して行った。




