「誇り」
安宿の裏でゲイルが素振りをしているのを見ていると、フレデリックの言葉が思い起こされる。カンソウの気持ちが再び揺れ始めた。こんな俺と戦いたかっただと? 怒りは無い、ただ悔しさ、いや、不甲斐無さを感じるだけであった。
俺は数年、鍛練を怠り、ただただ大陸中をさ迷い歩いていただけだ。それがフレデリックはどうだ、猛者の集う午後の部を盛り上げる一人として成長を遂げているではないか。
俺の方こそ、もう一度、お前と戦いたかった。
弟子が声を上げて熱心に素振りをする様子を見ているようで見ていなかった。弟子の掛け声が、まるで聴こえていなかった。カンソウの中に一つの野望が疑念と共に芽を出していた。
こんな無様な俺でも、弱者集う午前の部なら勝ち上がれるのではないか?
腰に提げた片手剣の柄を握り締めていた。
やれるのではないか?
心臓が早鐘を打つ。もう一度コロッセオへ。俺は闘技戦士だ。腐っても闘技戦士であり続けたいのだ。
気付けば疲れ切った調子の弟子の声が耳に入り、カンソウはその隣に並んで、片手剣を抜いていた。
「師匠?」
「もうへばったか? そんなことではフレデリックは打倒できぬぞ」
カンソウは時間だけは共に過ごしてきたが慣れぬ片手剣を右手で振り上げ、力いっぱい下した。風の切れが悪い。カンソウは夢中で剣を振るった。
隣で弟子が、再び声を上げ、鍛練を開始する。
ゲイルの声とカンソウの声が異口同音に重なり合っている。まるで弟子が同情してくれたそんなような気分になった。
思えば俺は、ゲイルにばかりフレデリック打倒を頼って来た。そのための弟子ではあるが、ゲイルがフレデリックに勝って、その時の俺は本当に嬉しいのだろうか。仮に喜べたとするのなら、その時は二度と闘技戦士になろうなどと馬鹿な望みは捨てることだ。ただの耄碌した情けない一人の男でしかない。
カンソウは無心に剣を振り続けた。
そうして久しぶりに腕に疲労を感じた。
空を見上げる。月は雲に隠れ朧げな光りを辛うじて地上へ投げかけていた。
「朧月!」
カンソウはそう叫び剣を反り返るほど大上段に上げた剣を振り下ろした。
「師匠に似合う言葉だね」
ゲイルが微笑んで言った。
「師匠、明日から俺は闘技場だから先に寝るよ」
「ああ」
ゲイルが剣を鞘に収めて宿へと回って行く。
カンソウは殆ど心が決まっていた。どんなに無様でも良い、俺は闘技戦士に戻ろう。朧月を見上げて、かつてのライバル達の姿を思い浮かべた。
みんな今は遠くへ行ってしまっただろう。ならば追いつくまでだ。
剣を振りかぶる。
「朧月!」
気合の声を上げ、カンソウは夢中になって素振りをする。
もう一度、闘技戦士に戻るために。