「魔獣」
雨風も止み、樹海の木々の僅かな隙間から日が射しているのが分かった。出発の時だ。
「どうする?」
皆が腰を上げると、デ・フォレストが洞窟の奥を顎で指した。デルピュネーだ。カンソウはゲイルのことで挨拶に赴こうと決めた。しかし、それを制する声が上がった。
「代表で俺が行って来る。良いか、来るんじゃねぇぞ」
セーデルクはそう言うと、奥の暗闇へと歩んで行った。
「あいつ、ちょっと変じゃないか?」
デ・フォレストがフォーブスを見る。相棒のフォーブスは重々しく口を開いた。
「セーデルクはデルピュネーに心を奪われたのだろう」
「何だって?」
声を上げたのはデ・フォレストだったが、カンソウも思わずフォーブスを振り返った。
「やはり魔性の」
カンソウがそこまで言いかけるとフォーブスはかぶりを振った。
「言い方が悪かった。片思いしているのだろう」
「あの蛇女にか? ったく、セーデルクとあろうものが食われちまうだけだぜ……」
デ・フォレストが呆れた様な憤慨したような顔と声で言う。それを見てカンソウは正直なところを述べて聞かせた。
「デルピュネー殿はそんなことはしないと思う。ゲイルに力を分け与えてくれた。セーデルクが誠実に接したおかげだ。だが、セーデルクが恋をしても実りはしないだろう」
異なる種族であり、デルピュネーは洞窟の主のいない財宝を守るため永遠にそこから動かない。セーデルクがこの森と狭い行動範囲でやがては飽きが来るだろう。ゲントと組んで落ち着きはしたが、セーデルクは気高き暴漢と呼ばれる暴れん坊だ。ここでの生活が性に合わないとカンソウは思っていた。最悪子供を作れはしたが、ここに置き去りにして自分だけ人里へ戻って来るのかもしれない。
「待たせたな」
靴音が聴こえ、セーデルクが歩んで来た。
「良いのか?」
カンソウが念のために問うと、セーデルクは軽い調子で応じた。
「何がだ?」
「なら、良いんだ。みんな、ゲイルのためにもうひと踏ん張りよろしく頼む」
「うむ」
フォーブスが頷いた。
例によって森は静かであった。音と言えばカンソウらが立てる、藪を払う音と、枝を踏む音だけであった。地面が湿っていて枯れ木も水に濡れている。それでも火を起こさねば夜は危ない。一同は枯れ枝を拾いながらここへ来た時と同じ隊列で進んだ。
2
腹具合によれば正午頃だ。明らかに地を踏み締める音と、素早い影が隣を過ぎ去って行った。
一同は足を止めた。
「今の見たか?」
声を潜めてデ・フォレストが尋ねて来た。
「狼じゃねぇか?」
セーデルクの答えにカンソウはかぶりを振った。もっと力強い足音だった。
「虎では?」
「私もそう思う」
フォーブスが同意した。
「少しマズいな」
デ・フォレストが言った時だった。
大きく枝をしならせ、こちらへ飛び出す影があった。
「獅子……」
セーデルクが驚いたように声を発した。そしてさすがは午後の戦士である、すぐに剣を抜き放った。
「無駄な殺生は禁じられてるが、そうも言ってられねぇ相手だぜ」
不意にヤギの鳴き声が聴こえた。
「キマイラだ!」
フォーブスが声を上げる。
「キマイラ?」
カンソウは問い返すが、フォーブスの声に緊張が含まれているのを悟った。余程、不味い相手なのだろう。
「良いか、こいつはいくら走っても撒くことはできない。覚悟を決めろ。背中のヤギの声は聴くな、身体が動かなくなるぞ」
ここへ来て初めて一同は真剣を抜いた。
キマイラは一つ凶悪な咆哮を上げるとこちらへ突っ込んで来た。
「野郎!」
セーデルクが剣を振るうがキマイラは知性が高いのか、右足の爪で剣を叩きつけ、セーデルクは勢いのあまりに、つんのめって倒れた。
ヤギの声が聴こえる。いかん、耳を貸しては。
カンソウは声を張り上げ、太い前足で押さえつけられたセーデルクを助けるべく駆けた。
不意に相手の股下から何か鞭のようなものが飛んできた。カンソウはそれを斬り付けた。だが、鞭はグルリとカンソウの大剣の刃を身で巻き、それが毒々しい色の蛇だと気付いた時には、カンソウは慌てて剣を振り払って脱出した。
「フォーブス、尾は毒蛇か?」
振り返った先で、デ・フォレストとフォーブスが倒れていた。口から泡を吹き失神している。
カンソウも一瞬意識を失いかけた。ヤギの声だ。ヤギの鳴き声が身体の自由を奪おうとしているのだ。
いかん。俺の背にはゲイルが居るのだ。倒れるわけには。
「カンソウ、しっかりしろ!」
セーデルクが声を上げる。そこへキマイラ顔負けの重々しい足を音を響かせ、トマホークを担いだ鎧戦士が現れた。
「ゲント!」
セーデルクが再び声を上げる。
カンソウはヤギの声に頭の中が満たされてくるのを感じていた。
「ゲント! 頼む!」
カンソウが朦朧としながら言うと、ゲントは歩み出し、斧を薙ぎ払った。
厚い刃はキマイラの顔をこれでもかというほど殴打した。
キマイラが悲鳴を上げてその場から後ずさる。解放されたセーデルクが躍り掛かった。
「悪いが、死んでもらうぜ!」
セーデルクはキマイラの横に回り込み、鞭のようにしなって襲って来る毒蛇の尾を切り落とした。
毒蛇の尾はその場でのたうち回っていた。
セーデルクが背後を取り、前方をゲントが真剣の方のトマホークに持ち替えていた。
ゲントが踏み出す、魔獣が襲い掛かる。そこへセーデルクが横合いから剣を振り下ろした。
全力の声と共に胴を一刀両断された魔獣は湯気を上げる臓物と自らの濃い真っ赤な血の中でしばらく動いていたが、それも動かなくなった。
カンソウはようやく自由が利くようになり、背後の二人を起こしに行った。
「クソが」
「抜かったな」
デ・フォレストとフォーブスは幸い異状なく立ち上がり、口の周りの泡を甲で拭った。
「お前ら、ゲントに礼を言えよ。こいつが居なきゃ、仲良く胃袋の中だった」
セーデルクが歩んで来てゲントの肩を叩いた。今では懐かしい金属同士がぶつかる音がした。
そうだ、ゲイルをもう一度コロッセオに立たせるためにも急がねばならない。鎧と籠手のぶつかる鉄の音色に励まされ、カンソウはゲントに礼を述べて、恐ろしい魔獣の死体を眺めてから再び歩み始めた。




