「森での一夜」
土の大地に足を踏み入れる前から、その声は聴こえていた。
絵本のトロルを思い出させる、詰まったような少し間抜けな鳴き声。
「これは?」
デ・フォレストが尋ねた。
「ベヒモスさ。殆どは平原エリアで生活している」
全員が外に出ると、デッカードは格子状の扉を閉めた。
「戻ったらこの鈴を鳴らしてくれ」
そう言って扉の取っ手に結わえてある金色の鈴を指した。
「分かった」
カンソウは返事をすると少しだけ未知の世界に動揺している仲間達を見て言った。
「行こう」
そうして平原エリアを歩んだ。丈の短い草があちこちに生えている。森の姿がおぼろげながら見えていたが、まだまだ先であった。
「ありゃ何だ?」
セーデルクが指さす西側に小山のような影が幾つかあり、動いていた。
「先ほど聴いたベヒモスだろうな。ベヒモスは古来、城攻めにも使われていたと言われる生き物だ」
フォーブスが言う。一同はまるで吸い寄せられたかのようにベヒモス達の影を眺めていた。
「カンソウ!」
セーデルクの声が皆を気付かせた。
「こんなところで突っ立ってる場合じゃねぇだろうが。観光はまた今度だ」
「ああ、悪い。ひとまず森へ行こう」
一同は進み始めた。
頭上を大きな影が通り過ぎたり、違った生き物の鳴き声が聴こえたが、カンソウは前進する。
大地が揺らいだ気がしたが、いちいち気にしてはいられない。
「危ない!」
突然フォーブスが声を上げた。
ベヒモスが一頭、こちらへ突っ込んできているのが見えた。
全員が散り散りになって避けると、紫色を基調とした爬虫類の皮膚を持つ小山が向こうへ走り抜けて行った。
「動物の考えてることはさっぱりだ」
デ・フォレストが一つ息を吐いて行った。
そうして日が傾き始めた頃、平原エリアを一同は抜けることができた。
つまりは森の入り口に着いたのだ。ここから方位磁針を頼りに北西へ進んで行く。道なき道であり、未知の世界でもあった。このままこの森の入り口で夜を明かそうと提案する者は誰もいなかった。
ただフォーブスが言った。
「森を進みながら薪になりそうな物を拾って行こう」
自力で栄養の摂れないゲイルの身体を思い、一同は急ぐことを決意していたのであった。
2
視界を遮る枝葉を払いながら進んで行く。正直難儀していた。森は暗く、コンパスの位置が見えなくなってきていた。薪はどうにか集められたが、今、どれぐらいの時間なのかがはっきりしない。そう、視界が思ったよりも暗いのだ。
「おい、カンソウ、ガキには悪いが今日はこの辺りで休もうぜ」
セーデルクが言い、カンソウも仕方なしとしたが、火が起こせるような場所では無かった。木々が密集しているのだ。焚火から燃え広がって森林火災となれば、ただでは済まされない。
誰ともなくフォーブスが点呼した。
「ゲント? ゲントはいないのか?」
フォーブスが少し慌てたように言う。
「ゲントなら俺の後ろだ。ったく、点呼の時ぐらい声を出せよな」
そんなゲントだが、大いに活躍できる場面が来た。
トマホークを振るい、自慢の膂力で周囲の木々を切り倒して、平地へとしたのだ。
これならば、火を起こせる。
薪を置き、火打石でフォーブスが火を起こした。
「やれやれ」
デ・フォレストがそう言い、座る。初日だというのに、火で照らされた男達の顔は疲労に満ちていた。
フクロウの声が静寂の森に心地よく響き、緊張を和らげてくれている。
無言で粗食を済ませ、カンソウと、デ・フォレストが最初に寝ることになった。とは言っても初めての、しかも危険な生物がいるという森である。睡眠は短めに、三交代で行われることとなった。
カンソウは傍らのゲイルを見て、もう少しの辛抱だと彼に心で語りかけた。今頃、ゲイルの魂はあの小川の前で退屈しているだろう。
デ・フォレストが寝息を立てた。
カンソウも眠るつもりだった。
その時、葉を鳴らし、枝を踏み締める音が少し遠い位置から聴こえ、身を起こした。
「足音が近くなったら起こしてやるよ」
セーデルクが言った。
「すまんな」
カンソウがもう一度横たわろうとしたときだった。
耳をつんざく様な、高い鳴き声が木霊した。デ・フォレストも目覚め、刃引きしたファルシオンを抜いている。
しばらく身構えていたが、森は再び静けさを取り戻し、安心させるようにフクロウが鳴き始めた。
「やれやれ。今度こそ、寝させてくれよな」
デ・フォレストが横たわり、カンソウもフォーブスに頷かれ、横たわった。土と草の上で寝るのは傭兵時代以来久しぶりだ。そういえば昔、自分が意地悪をして空き地暮らしのフレデリックを追い出したことがあったな。と、カンソウはふと思い出した。
あの時の自分は本当に嫌な奴だった。
カンソウは目を閉じ、フクロウの鳴き声を子守歌に眠りに落ちたのであった。




