「白き竜の試練」
医務室のベッドで、老医者が時間を掛けて真面目に診察したが、心臓は間違いなく動いているとのことだった。ならば、何故、目覚めないのか、医者も数日様子を見ようというだけであった。だが、このままでは食事もとれない、水も飲めない。事態はよりひっ迫しているようにカンソウは思えた。カンソウは老医者の言うことを聴かず、ゲイルを寮へと連れ帰った。
ブラックラックが背負われたゲイルを見て仰天した。
「管理人殿! ゲイルがどうかしたのか!?」
「内密に頼むブラックラック」
カンソウはそう言うと、建物へ入った。
まだ晩飯までは少し時間があった。
心臓は動いている。ならばいつまで気絶しているのだろうか。カンソウは嫌な予感がしていた。事態は思ったよりも悪く、急いだ方が良いとも思った。
だが、何をどう急げば良いのだろうか。部屋の寝台に仰向けになる弟子を見て、その時、不意に自分の腕を治してくれた医者のことを思い出した。彼の老爺は死んだが、残したものがある!
カンソウはゲイルの部屋を飛び出すと、こざっぱりした自室の机の引き出しに入れていた医術書を取り出した。分厚い医術書である。だが、ありがたいことに目次が記されていた。
腹部、心臓、腕、脚、腰、脳。カンソウはルドルフが兜を脱いだゲイルの頭を殴ったことを思い出した。
「脳だ。何てことだ。竜の神よ!」
カンソウは緊張と必死な面持ちで書を開いた。図解付きの書は細々と記されていた。
だが、脳の部分にくると、カンソウはドキリとした。「脳死」と記されていた。そこにはただの二行で、再起不能、脳を切開しても治療と復活は不可能である。と、記されていた。
「ゲイル!」
カンソウは愕然として弟子の名を呼んだ。
お前を諦めろと言うのか、心臓は動いているのだぞ!
「うがああっ!」
カンソウは医術書を床に叩きつけた、絶望の淵に沈んだ。
その時、脳裏に奇跡を起こした白き竜の姿が過った。
カンソウは部屋を飛び出した。
2
夢中で走り、着いた場所はコロッセオであった。シンヴレス皇子が設置した二頭の竜の像の前に来ると、カンソウは跪いて声を震わせた。
「神の竜よ、私の弟子が不測の事態に陥ってしまった。弟子は未来有望な少年だ。助けて下さい。どうか、お力をお貸しください」
カンソウは目を瞑り必死に祈った。
だが、結局、何も起きないような気がした。人は死ぬのだ。遅かれ早かれ、運命からは逃れられない。そういうことなのか……。
カンソウはかぶりを振った。そして竜の像に向かって再び祈りを捧げた。
「私ならどうなっても良い、しかし、弟子だけは、ゲイルだけはどうか助けてやって下さい!」
ふと、カンソウの脳裏に声が流れた。
目の前に竜が淡く光って白い巨体の上からこちらを見下ろしていた。
「カンソウ、あなたの望みを叶えましょう。ただし、生きて私の元を訪ねるのが条件です。逃げ出したり、行動が遅いようならあなたのゲイルに対する思いはさほど真剣なものでは無かったとし、ゲイルを取り戻す機会は二度と訪れないでしょう。帝国自然公園の入り口から、ゲイルを連れて我が居場所へと到達するのです。そうすれば、私はあなたを信じ、ゲイルを必ず助けて見せましょう」
柔らかい物腰で冷厳な声が響き、次に目を瞬いた瞬間、白き竜の姿は消えていた。
「帝国自然公園」
竜の像を見詰めてカンソウはそう呟くと、急いで寮へと戻った。
3
仕方が無いと言えば仕方が無い。夕食にも下りて来ないゲイルのことを不思議に思い、ジェーンが部屋を訪ねていた。
扉が開け放たれていたので、カンソウはジェーンが取り乱す前に彼女に声を掛けた。
「カンソウさん、ゲイル君が起きなくて」
既に何か悪い予感を悟ったような青ざめた顔をしていた。
カンソウは、留守をジェーンに任せるために、全てを話した。ルドルフに殴りつけられたこと、心臓は動いているが脳が機能していないこと、二度と目を覚まさないこと。ジェーンはカンソウに縋りついて泣き出した。
「だがな希望が一つだけ見つかった」
カンソウが言うとジェーンがこちらを見上げた。
「竜の神の声を聴いた。ゲイルを竜の神に診せに行く」
「カンソウさん、そんな、そんなことってあるの!?」
カンソウはジェーンの両肩を叩いた。
「ある。白き竜はまやかしながら、しっかりと約束してくれた。私は正気だよ、ジェーンさん」
「ああ、カンソウさん。どうかご無事で。ゲイル君と一緒に帰って来て。それ以上の私の望みはないわ」
ジェーンは崩れ落ちて涙を拭っていた。
「ありがとうジェーンさん。だが、あまり待ってはくれないらしい。今から出立する。保存食の用意をお願いできますか?」
ジェーンは立ち上がり、しっかりした面持ちで頷いた。そして足早に部屋の外へと飛び出して行った。
「帝国自然公園。何が待ち受けているかは分からんが」
カンソウはゲイルの顔を見た。
「必ず二人揃って帰ろうな、ゲイルよ」
カンソウはそう弟子に語り掛けると自らも準備のために部屋へと駆け出して行った。




