「二度目のチャンプ戦」
ゲイルの咄嗟の機転をカンソウは褒めた。良い時は良い。悪い時は悪い。見逃さずに努めてそう言うと、ゲイルは照れ臭そうに微笑んだ。スパークによって受けた傷だらけの顔が歪む。あと、二回戦勝ち進めば、チャンプ戦だ。
しかし午後も半ばだというのに二人は今、怪訝そうに入場口を見ていた。
第九回戦の相手が現れなかった。
係員が走って来て述べた。
「今日はこれ以上、挑戦者は現れない様です」
「何!?」
主審とカンソウの声が被った。
朗報では無いか。相手が現れるまでゲイルを休ませておくことができる。
「みんな、俺に配慮してくれたのかな? 鈍色卿を倒して欲しいって」
カンソウは弟子の言葉も一理あるような気もした。
主審が副審と係員に言った。
「ならばチャンピオン戦を行う」
カンソウとゲイルは顔を見合わせた。一つの異常事態についてそういう対応の仕方で進めるように決まっているのだろう。ゲイルにとって幸運なのは、九回戦と十回戦で体力を消耗せずに済んだことだ。
「ゲイル」
「ああ、気合入れてくよ」
「頼んだぞ」
程なくして、会場が賑わった。黄金色の甲冑に身を包んだルドルフと、その後ろを鈍色卿が歩んで来たのだ。彼らに向けられたのは町の平和を乱していることに対する非難の声であった。
「うるせぇ! 俺がチャンプなのには変わりねぇんだぞ!」
ルドルフが四方八方の観客に向かって喚き返した。そしてカンソウを見ると、意地悪く微笑んだ。
「よぉ、またお前らか。出てるのは小僧の方か。ま、どっちにせよ、鈍色卿の前じゃ、赤子も同然よ」
「分かったから、引っ込めよ。あんたはお呼びじゃない。俺が用があるのは鈍色のアンタの方だ」
ゲイルがうんざりした態度で応じると、鈍色卿が無言で位置に向かった。
「じゃあ、師匠」
「ああ、戦いだ」
ゲイルに促されるようにカンソウも位置に着いた。
「場所はそこで良いのかね?」
主審が観客へ怒鳴り返しているルドルフを見て言った。彼はど真ん中に居た。相棒との二メートル以上の距離は保っているためここでも問題は無いが、すぐにぶつかり合いになるだろう。自分がそこにいては鈍色卿が戦えない。さすがのルドルフでも分かったらしく、相棒の後方へ回る。
「頼みましたぜ、鈍色卿」
ルドルフが位置に着くと主審が出て来た。
「これより、チャンピオン戦を行う! チャンピオン鈍色卿対、挑戦者、ゲイル! 試合開始!」
踏み込みが早いのはどちらとも言えなかった。同じタイミングで両者は駆けた。そしてきっちり真ん中で剣を交えた。刃が鳴り、観客が湧き立ちゲイルを応援する。
押し返し、ゲイルは軸足を決めて右へ左へ半回転しながら剣を繰り出すが、鈍色卿は両方とも造作もなく捌いた。
「だったら、月光!」
ゲイルが積極的に攻め立てる。
「良いぞ、ゲイル!」
「鈍色卿! そんな小僧相手に勿体ぶる必要なんかないですぜ!」
カンソウとルドルフ、双方のセコンドがそれぞれの戦う相棒に声を掛けた。
「胡蝶」
鈍色卿が声を発し、ゲイル目掛けて剣を突き出した。カンソウはドキリとした。何せ、ゲイルはこの乱れ突きを喰らって敗北しているのだ。カンソウはゲイルの目の冴えと戦士の勘を願った。
圧倒的な鉄の音色が轟いた。
鈍色卿が剣を繰り出せばゲイルが同じく防御する。かと思えば、驚くことにゲイルが突き返した。
「二度も喰らうか! 乱れ朧月!」
ゲイルの高速の突きが鈍色卿を圧倒する。カンソウはゲイルの若さに感動した。こうも対応できるようになるとは! と、胸が熱くなっていた。
鉄の音色が途絶えた瞬間、鈍色卿が頭上から躍り掛かった。
ゲイルは防御せず、回り込んで、剣を繰り出す。
「裏月光!」
鈍色卿は無様に横回転し避けてゲイルを振り返った。
その振り返り方にカンソウは違和感を覚えた。まるで感心しているようだ。そう思ったのだ。酒場竜眼で莫大な金を積んだ鈍色卿を思い出す。あるいは、いやまさか、自らを倒しこのくびきを断ち切って欲しいと願っているのだろうか。
鈍色卿が両手剣を握り直し、突き出して猛進する。そのまま刃を横に払い、ゲイル目掛けて薙ぎ払った。
ゲイルはこれを受け止め、後ろに押された。間髪入れず鈍色卿が踏み込んだ時だった。ゲイルはバク転し、短剣を投擲した。しかし、カンソウもルドルフも驚いていた。投げた短剣には紐が結わえてあり、ゲイルはまるでガザシーそのもののように短剣を振り回し、鈍色卿へ右から左から攻撃を仕掛けた。
しかし、このような小細工が通用する相手では無かった。鈍色卿は剣を振り上げ、短剣を叩き落す。これが真剣ならば紐を切っていただろう。鈍色卿が斬りかかる。大きな風の唸る音が木霊した。そう、ゲイルは攻撃を避けたのだ。そしてその姿を見ていた者達は勝ちを確信していた。スライディングし、再び背後を取ったゲイルは跳躍し剣を横薙ぎに振るった。
「竜閃!」
振り返る途中の鈍色卿の兜を強かに打つ音が轟いた。
会場が静まり返り、ゲイルが着地する土を踏み締める音だけが聴こえた。
「勝者、挑戦者ゲイル! ここに新しいチャンピオンとしてゲイルが君臨するものとする!」
主審の宣言に観客達は総立ちになり拍手と歓迎の声を述べていた。
ゲイルは兜を脱ぎ、観客達に向かって一礼した。
その時だった。
「こんなこと認めねぇぞ!」
ルドルフの声がしたと思った時に、鈍い音がし、ゲイルがよろめいて倒れた。
「ゲイル!」
カンソウは弟子の名を驚いて呼ぶと、続いてルドルフを睨み付けた。
「ルドルフ、貴様っ!」
ルドルフは笑いながら、剣を抜いていた。ルドルフがゲイルの頭を剣で打ったのだ。
その時、素早く動く影があった。
鈍色卿がルドルフの頭を片手で掴み持ち上げた。
「闘技戦士を思えばこそ、貴様を利用したつもりであったが、真に彼らを救うのは金では無かった。貴様は用済みだ、ルドルフ」
「何だと、あんた、俺を裏切るのか!?」
「お前の方から裏切ったのだ。少年にした今の仕打ち、如何にしても許しがたいことである」
衛兵が三人駆けて来た。
「ルドルフ、コロッセオの規約に違反した貴様を逮捕する! 目撃者はたくさんいるぞ!」
「何だと?」
そこに鈍色卿が拳を顔面に叩き込み、ルドルフは気を失った。そしてそのまま衛兵達に引きずられていった。
カンソウは我に返り、ゲイルを振り返った。
起きるものだと思っていた。午後を制しチャンピオンになったことを互いに喜び合う頃合いかとも思っていた。しかし、ゲイルは動かない。何度も名を呼んでも身体を揺さぶっても最愛の弟子は二度と目を覚ますことは無かった。




