「ガザシーの大激励」
骨は折れていなかった。しかしゲイルの打撲の数は凄まじいほどで、起きてるだけでも悲鳴こそ上げないが呻く。そんな満身創痍の弟子をセコンドに仕立て、自分の試合に付き合わせるなどカンソウにはできなかった。そしてもう一つ、ゲイルは体力面での自信を失っていた。今回戦った苦い相手のボルトのような連中がうようよ居る。これが午前と午後の差なのだ。
「俺はこれ以上頑張っても報われそうにないな」
宿の裏手でカンソウの素振りを眺めながらゲイルがぼやいた。
「動いていないからそう思うだけだ。今は養生しろ。余計なことは考えるな。時間ならまだまだたくさんある」
「サンダーボルトや鈍色卿が引退してからチャンプになっても嬉しくないや」
「それは……そうだな。だが、今は休め」
「本当にそれで良いのかな」
ゲイルがそうぼやいた時だった。
いつの間にか、彼の後ろに黒装束が立っていた。ゲイルは気付かない。カンソウも声を上げそうだったが、ガザシーがかぶりを振り、黙る様に促した。
「俺、闘技戦士としてやっていけるのかな」
ゲイルが引き続き、そう口にした瞬間、ガザシーが彼の首元に短剣を突き付けた。
「ガザシーさん?」
「どうした、ゲイル、私程度の気配にも気付けなかったか? 腑抜けた男は嫌いだ」
短剣が外され、ゲイルは最愛の人を振り返った。
「ガザシーさんも、午後に来れば分かるよ」
その瞬間、鋭い音が鳴った。
ゲイルがよろめいた。そして驚いたようにガザシーを見ていた。
ガザシーが平手打ちをしたのだ。
「私は腑抜けた男は嫌いだ」
「だって、ボルト一人に全力で挑んで、あれは負けた様なものだ! 午後はね、午前とは違うんだ!」
再び短い音がし、ゲイルは二度目の平手打ちをされた。
「午前の私にはお前に何も言う資格が無いとそう言いたいのか?」
「そんなことは無いよ」
「すっかり腑抜けになったようだな。まるで、いつものお前の気迫が無い」
「だって……」
ゲイルは悔し気に身を振ると、俯いた。
「私を愛してくれているのか?」
その問いにゲイルは顔を上げた。
「勿論だよ!」
ゲイルの必死な答えに、ガザシーは一つ深く溜息を吐いた。
「師でもお前に火を点けてやることができない様だな」
ガザシーがカンソウを見た。
「ゲイルにはまだまだチャンスがある。今日ぐらい養生させても良いと思ったが、それが間違いだと言うのか?」
「動けない者は死ぬ。甘ったれた者は見捨てられる。それが私の里の常だ。私はゲイル、お前にそうなって欲しくない。お前は甘ちゃんだが、甘ったれでは無かった。あれだけ愛を叫ばれて、私が何も思わないと思っていたか?」
「ガザシーさん?」
ガザシーはゲイルを正面から抱き締めていた。
「良いにおい……」
ゲイルが言った。その時、ガザシーが自分の胸にゲイルの顔を埋めた。
「ゲイル、私の胸の鼓動が聴こえるか?」
「う、うん」
戸惑い気味にゲイルが答えた。
「とても速い」
「そうだ。お前がしつこく私を誘惑するからこちらも本気になってしまったのだ。今、私はとても緊張している」
そしてガザシーはゲイルを胸から離すと、黒い覆面を取って、ゲイルに顔を迫らせ、口づけした。
カンソウは無言で驚いていた。
とても長い口づけが終わり、まどろんだ様子のゲイルの肩をバシッと叩き、ガザシーは言った。
「これが愛に誘惑された女の、愛する者への心の火の点け方だ」
「ガザシーさん!」
ゲイルが抱き着こうとしたが、ガザシーは右腕を伸ばして頭を押えた。
「調子に乗るな。良いか、必ず私達も追いついてみせる。その間に精々名を売って置け。お前が有名になれば私も嬉しいからな」
「うん、分かった!」
ゲイルは威勢よく頷いた。
「ではな」
ガザシーが去って行くと、その背を見送っていたゲイルがこちらを振り返った。
「師匠、やっぱり休んでなんかいられない。師匠の試合のセコンドをするよ」
「それは嬉しいが……」
本当に大丈夫なのか? などと、水を注すようなことは言えなかった。せっかくガザシーが入れてくれた火だ、燃えているうちに燃やして置こう。そして更に燃え上がらせるのだ。
「分かった、任せるぞ」
「おう!」
ゲイルはすっかり元気と意気を取り戻し返事をしたのであった。




