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「サラディン」

 カンソウは筋力の衰えも気にしていたが、更に危惧しているのは体力の衰えであった。朝は一番鶏よりも早くに起床し、まだ寝静まっている宿場町を駆け回る。そうして無論、開催していないコロッセオの前で、最近は竜の像に拝礼することにしていた。

 だが、今日は一人、先客が居た。

 茶色の外套の下には軽い胴鎧が身に着けられている。サラディンは静かに腰を落とし、竜の像の前でしもべのように片膝をついてべリエル王国の古代の言葉だろうか、祈りを捧げていた。

 やけに熱心なのでカンソウは今日はサラディンに譲ろうとした。だが、先に相手が立ち上がり、こちらを振り返った。日に焼けた肌、蓄えられた口髭と顎髭、目は冷静さの中に微笑みを称えていた。

「カンソウ殿か」

「早いな、サラディン殿」

「私はこの町に来てまだ短いからな。大きな顔をする余計な暴漢どもが邪魔にならぬこの静寂の満ちた時に、町を歩いて把握に努めている」

 そこまでいうとサラディンはフッと笑って、振り返って像を見詰めていた。

「やけに熱心に祈っていたでは無いか」

 カンソウが問うと、サラディンは振り返らずに頷いた。

「あの日、本当は私は死んだのだ」

「あの日……戦争の」

「ああ」

 サラディンは肯定し、先を続けた。

「カンソウ殿、死後の最初に訪れる場所を知っているか?」

「知らぬが、見たのか?」

 サラディンは頷いた。

「川原だ。大小の小石のある、せせらぎの前に我々は立っていた。川原の反対側には何があったと思う?」

 カンソウは思案した。

「桃源郷か?」

「いや、尋ね方が悪かった。人だよ。亡くなった祖父母に父母、あとはずっと以前に亡くなった友もいた」

 カンソウは、思わず、それは本当の話か? と、口にしたくなったが黙った。

「たくさんの死んだ人達が浅い流れの向こうに立っているのだ。我々、新しく死んだ者達を出迎えるために……。だが、こちら側の誰かが、いざ川原を渡ろうとすると、優しくも厳かな声が轟いたのだ。流れの向こうに行ってはいけないと」

「もしや、賢き白き竜が」

「その通りだ。次に気付いた我々は戦場で目覚めた。白き光りが次々に死んだ仲間や馬達に宿り、皆が息を吹き返した」

「そうであったか。ならば、熱心に祈るのも分かる気がする」

「ああ」

 サラディンは満足げに頷いた。

「私は竜に恩返しがしたくて、この国を訪れた。ドラグナージーク殿に止められて、シンヴレス皇子の相棒として出て欲しいと言われたのも数日前のことだ」

「何だって、ドラグナージークも何と無責任な」

 さすがにカンソウも呆れた。だが、サラディンの腕前を思い出す。鎧を着た大人を片腕で造作もなく引き寄せた。ドラグナージークの目に適うものがあったというのか。さもなければ、こんな人事、一国の皇子殿下を余所から来てまだ日の浅い者に任せられるか。

 サラディンは笑いながら頷いていた。

「そうだな、確かに無責任だ。だが、その責務を私は果たそうと思っている。コロッセオ、実に面白い場所では無いか。先日戦った不運な青年も悪くは無かった。だが、私は午前クラスで満足するような剣は持ち合わせていない。皇子殿下も腕は良い、力もある。カンソウ殿、お主は午後に出ているのか?」

「ああ、いかにも。弟子の足を引っ張ってはいるがな」

「弟子が居るのか。それは会うのが楽しみだ。戦場と竜の奇跡を見た者同士、仲良くやろう」

 サラディンが手を出す。カンソウは応じ、好意的に互いに握手を終えると、サラディンは背を向けた。

「次はお主が祈ると良い。竜の神は偉大なお方だ。また会おう」

 サラディンは去って行った。

 本当は死んでいた。その事実にカンソウは驚いていた。サラディンは恩返しのためにここへ来たと言っていた。剣と盾、鎧を纏うという行為は、竜への畏敬と同じである。あなた方竜を我々人間が守護するという意味だ。カンソウもまた同じ格好をしている。竜の奇跡を見た者として、犠牲になったあらゆる生命を助けた恩を自分も感じなければならないのかもしれない。最近は竜の奇跡のことなど語る者などいなくなった。あれだけの偉大な行いを見たのにも関わらず薄情な人間達だ。そして鎧兜に身を固め、剣を握るのは己の名声を高めるためという。カンソウは呆れ果て、竜の像の前に片膝を着いて人間達の薄情さを嘆くように祈りを捧げたのであった。

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