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「あの日」

 今日も挑む、午後の部へ。朝靄も訪れないまだ暗い中を、カンソウは鎧下着に着替えた。

 一番鶏が鳴く頃にはまだまだ静かなコロッセオの辺りまで走っていた。足踏みし、シンヴレス皇子が最近作ったとされる、小さな竜の石像を見る。どちらも色は塗られていないがツルツルに加工されている。細部までは表現されていなかったが、かつて戦争の中に奇跡を起こした賢き竜と人間達の争いに失望と絶望を露にし、怒り狂い殺戮に逸った暴竜こと黒き竜が奉られている社である。

 カンソウは足踏みしながらあの日のことを回想していた。



 2



 イルスデン帝国の傭兵の一人としてカンソウは従軍し、べリエル王国の兵達と剣を交えた。その上空ではドラグナージークら竜乗り達もまた壮絶な打ち合いを演じていた。

 これまで何十年と小競り合い程度で済んで来た両国だが、べリエル王国がその均衡を破った。

 領土、領空を侵略され、大義名分のできたイルスデン帝国も果敢に抵抗し、押し返そうとする。

 地も空も、刃の音色が途絶えることは無かった。

 カンソウも土と返り血に塗れながら次々湧き出る敵を討った。少なくとも人殺しを何とも思わなくなったことに気付いたのはこの次の瞬間であった。

 黒き竜、暴竜が現れ、帝国王国関係なしに、巨大な腕で一薙ぎにし、地上の兵は空へ放り投げられ、落ちて死んだ。黒き竜は怒り狂っていた。まるで全てに絶望していた。カンソウは慌てて物陰に隠れ、両軍関係なく次々殺されてゆくのを見ているしかなかった。

 その内、だんだん立っている者が少なくなり、ついには自分が身を隠していた荷馬車までもが木っ端となって空でバラバラになっていた。

 カンソウは剣を構え、緊張していた。初めてだ。これは勝てないという相手を見たのは。逃げ出したいのに釘付けになる。何故なら、目を逸らした瞬間、死ぬかもしれないと思ったからだ。

 兵たちは慌てて屍の山を踏んで逃げだしていた。

 上空では数騎の竜乗り達が懸命に黒き竜と戦っていた。

 必死にこちらへ逃れて来る両軍の兵を見て、カンソウは黒き竜に居場所を悟られるのを恐れたが、足が動かない。黒き竜から目が離せなかった

 死を覚悟したのは数回ある。初陣と、幾らかの小競り合いで手柄欲しさに深入りし過ぎた時、だが、今ほど本当の死を確信したことは無かった。

 生き残った兵らに交じり、カンソウは黒き竜を見ていた。

 ふと、そこに本当に影のように大きな身体が現れた。

 それこそが賢き竜、あるいは神竜、白き竜とも呼ばれる存在だった。

 激しい怒りに思い悩み苦しんでいる黒き竜に言葉を掛け、大人しくさせる。そして今でも信じられない光景が次に起きる。



「御貴殿は、そんなに竜が好きか?」

 不意に声を掛けられ、カンソウは振り返った。

 足踏みしながらいつの間にか周囲は朝陽に照らされていた。

 カンソウに声をかけて来たのは、茶色の外套に身を纏った同じ年ぐらいの中年の男であった。彫りの深い顔立ちをし、顎髭を伸ばしている。外套の間に剣の柄が見えた。

「あの時は大変だった。みんな死んだはずだった」

「ああ。それではあなたも白き竜の奇跡を見たのか?」

「俺はべリエル側の傭兵だがな。しかし、両国の差別なく、人も竜も、馬も生き返った」

「その通りだ」

 カンソウは頷いた。

「竜を神と崇めるようになったのはそれからだ。サラディンと言う。ま、闘技戦士として食い扶持を稼いでいる。いつまで現役で居られるかは分からんが」

「俺はカンソウ。すまなかった、俺は行くから礼拝なさると良い」

「ああ」

 カンソウが退くと、サラディンは、懐から酒瓶を取り出し、竜の石像へそなえた。そして何語か分からない言葉で熱心に祈り始めたので、カンソウはその場を後にした。

 宿に戻ると、ゲイルが素振りをしていた。

「師匠、遅かったね」

「ああ、ちと、シンヴレス皇子が設営した竜の像を眺めて来た」

「俺はまだ今よりガキだったけれど、戻って来た兵隊さん達が言うんだ、白き竜にはお礼を、黒き竜には誓いをってね」

「そうだったか」

 奇跡を起こした白き竜も、人間を今一度信じる気になった黒き竜も、今はここから南にある帝国自然公園の山脈で眠りに就いているともっぱらの噂であった。盾と剣が無くならないのは、人々が竜達と共に生き抜くための証だと言われている。ならば、二頭の神竜はコロッセオの剣戟の音を子守歌に眠っているのかもしれない。

「今日の午後は、師匠が出る番だね」

「そうだな。最高の剣舞を見せねばなるまい」

「お客さん喜ぶね」

「そうだな」

 カンソウは弟子に頷いた。

「飯に行こうぜ」

 ゲイルが駆け出す。カンソウは朝陽を眺めながら祈った。白き竜殿よ、黒き竜殿よ、あの少年にあなた方のご加護と導きがありますように。

 そうしてカンソウは目を開き、先で待っている弟子の後をゆっくりと追ったのだった。

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