「カンソウの弟子」
陽光に輝くスケイルメイルを身に纏った一人の中年の男が佇んでいる。鼻の下には左右に分かれた細い髭があった。彼の名はカンソウという。かつては戦士達の集うコロッセオで名こそ残せなかったが活躍した闘技戦士であった。コロッセオのことを思い出すと、左腕が疼いた。感覚があり、腐る心配の要らない程度の病気で、それが運の良いことか悪いことかはカンソウ自身、既に自分にとってどちらなのか決めていた。
今、カンソウの視線は夕暮れの空の下で声を上げて剣を素振りする一人の少年へ向けられていた。
「怒羅! 怒羅!」
数を数えるわけでもなく少年はそう叫び一心に鉄の剣を頭上から足元へ振るっている。
先ほどの病気の話だが、カンソウの左手は上がらなかった。拳を握ることはできるが、上に上がらないのだ。コロッセオを去り、方々で医者や薬師を訪ねたが、治す方法は無かった。
いや、一つだけあった。べリエル王国の地に赴いた時、近い内にでも死にそうなみすぼらしい様相をした医者が、まるでうわ言のように掠れた声で言った。
「だいぶ無理をしてきたようだな。腕の腱という腱が千切れておる」
「してどうすれば良い?」
「腕を切り開いて腱を繋ぎ合わせれば良い」
浮浪者のような老医者は掠れた笑い声を上げた。
「腕を切り開くだと!? 馬鹿を言え、そんなことをしてただで済むわけがない! このボケ老人のペテン師めが、さっさとあの世へ逝け!」
カンソウにとって、以降、有力な情報は入らなかった。
フレデリック。カンソウは闘技戦士時代の友の顔を思い出していた。
あれから数年経った。お前ならば、もう午後の戦士に成りきれただろうな。
当時の友は羨ましいほどひたむきな青年だった。
「怒羅! 怒羅!」
少年の声に息が切れかけている様子があった。
「ゲイル。もう良い、戻って飯にするぞ」
少年はカンソウを振り返る。夕暮れが鉄の剣の刀身を山吹色に輝かせ、黒く伸びた影が大げさに剣を地面に突き立て、肩を上げ下げし息を喘がせる様を映す。
「分かりました、師匠」
ゲイルはそう言うとこちらへ引き返してきた。
夕日に負けない金色の髪をしている。顔立ちは鼻が低く唇が薄かった。そんな中、青い眼だけが剣を握ると爛々と輝く。この生意気盛りの十四の少年は、コロッセオに挑戦する私塾にいるところをスカウトした。動きが抜群に良い、わけでもない。しかし、そのひた向きな姿が、友を思い起こさせたのだ。
こいつには可能性がある。
カンソウはそう信じていた。
「師匠、フレデリックって人はそんなに強いのかい?」
「強い」
「ふーん、俺なら勝てる気がするな」
その意気だ。カンソウはそう思いつつも、弟子であるゲイルの頭に右手の拳を落とした。
「お前では午前の部の前座が務まれば良い方だ」
「午前の部ってのは弱小者の集まりなんだろう?」
ゲイルが自分の頭を撫でながら言った。
「身の程を弁えろ馬鹿者が。みんな少なくとも今のお前よりは強いわ」
「じゃあ、フレデリックはその何倍も強いのかい?」
「ああ。奴に追いつきたければよく食べてよく寝てよく動け」
「わかったよ」
ゲイルはそう答えると、少しだけ遠くに見える町の外壁の影へと駆け出して行った。
その背を見ながらカンソウは思った。
フレデリックよ、俺はもうお前の相手は出来ぬが、それが務まるようにこいつを育て上げるつもりだ。未だに弱小ならそれでもいい。だが、願わくば、それでも強さと勝負にひた向きなお前でいてくれ。あいつの見本になれるような。
ゲイルが立ち止まり、声を上げた。
「師匠! 急がないと、門を閉められちゃうぜ!」
「分かっておるわ!」
カンソウは叫び返し歩み出す。
彼にとってゲイルは唯一無二の宝であった。磨けば磨くほど良く輝く。
基礎はもう十分だ。あとは、実践で動きと勘を磨くべし。今はコロッセオまでの旅路の途中、ゲイルをフレデリックに当てる日は迫っている。カンソウはその日を夢見、また楽しみにしていた。