ダブルシックス
ダブルシックス。
66という事だよな。何が66何だろう。2人合せて年齢が66歳とか? 33歳コンビ。なくはないな。33歳同士で仲が良いとかならダブルシックスとかいうコンビ名を付けられるのも有り得るか……などと、謎の存在“ダブルシックス”の事を考えながら、俺は1人沖店長に教わったルーム清掃をテキパキとこなす。
お客さんが帰った後のルームの飲みの物グラスや食べ終わったポテトのカゴをトレイに乗せ、所定の位置にメニュー表やらを期間限定のオススメフードのPOPを戻し、テーブルをダスターで吹き、マイクに専用の消臭スプレーを吹きかけ、カラオケ機器本体 (コマンダー)をリセットする。カラオケ大手2社の機種、『DIVE』と『Pleasure』によってリセット方法は異なるが、それも以前のカラオケ店でのバイト経験が役に立つ。この辺りの作業は概ねどこのカラオケ店でも同じだろう。沖店長は、一度流れを見せてくれただけですぐに俺に1人で清掃を任せた。俺も一度教わっただけですぐに作業を覚えた。ふっ、俺は何て有能なんだ。
最後に部屋に消臭スプレーを撒き散らして清掃完了だ。
あ、あとルームの冷房は一旦切っておく、と。
「ふっ。我ながら完璧では?」
自分の仕事っぷりに思わず自画自賛して1人ドヤ顔を決める。
お客さんも大して来ていないから清掃も2部屋しかない。ハッキリ言って、カラオケ店アルバイトとしての基礎が出来ている俺にとっては余裕過ぎる仕事だ。
リコリス三鷹店は、ビルの3階のフロア全てを所有している。縦に長いビルなので店舗の面積自体はそこまで広くはない。カラオケルーム数は合計18部屋。4~5人部屋が6部屋、6~10人部屋が5部屋、20人まで入れる大部屋が2部屋。そして、リコリスの最大の特徴である『配信部屋』という1人専用の小部屋が5部屋ある。この『配信部屋』というのは、主に動画配信者がスタジオとして利用するのを目的とした完全防音の部屋だ。もちろん、カラオケの機材は一通り揃っているので1人カラオケにも利用出来る。俺が一度試しに行ってみた新宿のリコリス本店では、この『配信部屋』が10部屋あったが、平日の夕方にはすでに満室となり20人待ちという状況だった。土日になればきっと物凄い人数の人が利用しに来るのだろう。
そう思うと、最初の研修はこの閑静な三鷹店で良かったと思う。
見る限り、5部屋ある三鷹店の『配信部屋』は、たったの1部屋しか稼働していない。
まあ、他のリコリスの店舗は山手線の主要駅の近くにあるのに、三鷹店だけ山手線沿線から外れていて、しかも駅から10分歩くという他と比べると立地の悪い場所にある。
何故三鷹にリコリスを作ったのかは知らないが、山手線沿線から離れたこの店は住宅街にほど近い店舗として、近隣住民や近隣大学の学生の需要を満たす事を目的として建てられたのかもしれない。
「清掃終わりましたー……あ」
俺はバックヤードへ戻ると自分の目を疑った。
俺と沖店長しかいないはずのスタッフがいつの間にか2人も増えていたのだ。しかも、その2人はリコリスの制服が良く似合う、何とも可愛らしい女の子たち。白いブラウスにストライプの黒いベスト。首元にはリコリスの花を意識したようなオレンジと黄色のスカーフ。そしてストライプの黒のタイトスカートに黒タイツ……やっぱシンプルでめちゃくちゃ可愛い! この上ない目の保養に俺は心の中でガッツポーズをする。
「あ、初めましてー! 五十嵐ですっ!」
先に茶髪のショートカットの女の子が笑顔で挨拶をしてくれた。
「十六夜です」
今度はどこかぎこちない感じで作り笑顔をした黒髪の短いポニーテールの女の子が会釈をした。
「あ、えっと、宮坂です。宜しくお願いします」
俺はきっちりお辞儀をして返す。社員たる者、挨拶はきちんとせねばならぬ。そして、第一印象は大事だ。もしかしたら、いずれこの三鷹店を任されて、この2人を直属の部下にする事になるかもしれないのだ。頼りないところを見せるわけにはいくまい。
そんな密かな俺の想いを他所に、2人の女の子の横に穏やかな表情で立っていた沖店長がニンマリと笑った。
「この2人がさっき言ってたダブルシックスだよ、宮坂くん」
「ちょっと、沖さん、その呼び方やめてくださいよー!」
極めて不服そうにショートカットの五十嵐さんが文句を言う。
「てか沖さん、宮坂さんに変な事言ってないですよね?」
「言ってないよ? 言って欲しいの?」
「んなわけないでしょ! 言ったら十六夜と一緒にバイト辞めますよ?」
五十嵐さんの言葉に黙って会話を聞いていた十六夜さんはうんうんと首を縦に振る。十六夜さんは五十嵐さんに比べると大人しめの子のようだ。
「いや、2人に辞められるのはガチで困る。俺、店に寝泊まりしなくちゃならなくなる」
「でしょ? なら余計な事言わないで早く休憩行って来てください」
「あー、ちょっと待ってください。宮坂さんはどこまで出来るんですか? 何教えればいいですか?」
五十嵐さんが沖店長を追い払おうとするのを十六夜さんが冷静に止める。五十嵐さんと十六夜さんが仲良いのは明白だが、沖店長とも仲が良さそうだ。何だか楽しそうな職場だ。
……って、いや、ちょっと待って? 沖店長休憩なの?
て事は、この後ダブルシックスと俺の3人?
「そうだねー。ルーム清掃は出来るから、お客さん帰ったら清掃してもらうのと、キッチン内の商材の場所とか、オーダー入ったら作り方とか教えてあげて。デリバリーもやってもらおうか」
「「はーい」」
沖店長の指示にダブルシックスは満面の笑みで答えた。
「それじゃ休憩いただきまーす。宮坂くん、2人に研修任せたから教えてもらって。ダブルシックス、宮坂くんいじめちゃダメだからねー」
「はいはい、行ってらっしゃーい」
ダブルシックスはひらひらと手を振ると、沖店長はバックヤードから外へと出て行った。
「ふー」
沖店長がいなくなると、五十嵐さんは1つ息を吐いた。
何なの!? 今の何かを切り替えたような呼吸は!?
十六夜さんは危険を察知したのか、スンと笑顔を消して1人キッチンの方へと消えてしまったし。まさか、沖店長がいなくなったのをいい事に、新人の俺を虐めようってんじゃ……
「いきなりでアレなんですけど、宮坂さんていくつなんですか?」
俺の心配は杞憂もいい所。笑顔のまま投げられた質問は、むしろ友好的なものだった。年齢を聞いてくるという事は、俺に興味を持ってくれているという事ではないか!
キラキラした瞳を向ける五十嵐さん。今日はよく可愛い女の子に聖なる眼差しを向けられるなぁ。CAみたいな制服の可愛い女の子に興味を示されるなんて人生で初めてかもしれない。
「24です」
「えー! 若っ!! 私たちとそんな変わらないじゃん!! ねー、イザヨイー、宮坂さん24だってー!」
五十嵐さんはキッチンへ行ってしまった十六夜さんに俺の年齢を伝えた。するとすぐに姿の見えない十六夜さんから返答が返って来る。
「24!? 若っ! お兄さんじゃーん」
お兄さんか。悪くない。見たところ2人は俺よりは若そうだ。女性に年齢を聞くのは失礼と習っているので俺から聞くことは出来ないが、実際のところ2人がいくつなのか気になる。
……そうだ、年齢で思い出した。
ダブルシックスは2人合わせても66歳には見えない。見た感じ20代だろ? そして、俺をお兄さんと表現したところをみると20から23歳くらいか……と、そこでようやくダブルシックスの由来に気付く。
『五十嵐』と『十六夜』の名字に入っている数字、これが合わせて66なんだ。
何だよそのネーミングセンス。本人達は気に入っていないようだから名付け親は沖店長か。
「てか、奈桜ちゃん、ポテト入ったけど宮坂さんに作ってもらいますー?」
「そうねー、そうしよう。宮坂さん、それじゃキッチン入ってください」
『奈桜ちゃん』というのは、五十嵐さんの下の名前か。後でちゃんと従業員名簿見ておくか。スタッフの名前も早く覚えないといけないし。
「よーし! 俺の最初のフード作成はポテトだね! やりますか!」
楽しくなってきた俺は、腕まくりしながらテンションを上げて答えた。喋らな過ぎて暗い社員という印象を与えたくない。最初が肝心だ。頑張れ、俺!
「お! やる気満々ですね〜宮坂さん!」
キッチンに入って行く俺の後ろから、五十嵐さんがニコニコ嬉しそうについて来る。何だよこの子、クソ可愛いなぁ。
「じゃあキッチン入ったら手を洗ってください」
そして十六夜さんが冷静に指示を出す。
「それでは先輩方、宜しくお願いします!」
まずは真面目にやって信用を得よう! 頑張れ俺!